泡沫の夢
「リリィ……約束の時だ」
夢の中のノエルは、悲痛な表情を浮かべていた。隣のルドルフも、静かに目を伏せている。 いつの間にか、周囲は真っ白な雪原だった。旅の終わり。別れの時。
「分かっているわ」 リリィは静かに頷いた。怖くはなかった。ただ、胸が張り裂けそうに痛い。 「ありがとう、ノエル。あなたたちとの旅、本当に楽しかった。忘れたくないくらい、素敵な冒険だったわ」
「さよなら、リリィ。君のこれからの人生が、悲しみではなく、温かい光で満たされますように……」
ノエルは詩人のように美しい言葉を紡ぎながら、ボロボロと涙をこぼしていた。震える手でポケットから『忘却の砂』の革袋を取り出す。
まるで映画のワンシーンのように、悲しくも美しい別れの儀式。 ノエルが優雅な手つきで砂を振りかけようとした、その瞬間。
「へっ、へっ……へくちゅんッ!!」
感極まって鼻水が出ていたノエルが、盛大なくしゃみをした。 その反動で、手元の革袋が宙を舞い――バサァッ! 金色の砂が、全部ノエルの顔面に降り注いだ。
「あ……」
「あ……あわわ……ま、間違って自分にかけちゃった……! ど、どうしよう! 僕、今、すごく大事なこと言おうとしてたのに、忘れちゃったよ!?」
「もう……本当に、あなたは……」
────
「……ふふっ」
リリィは、自分の笑い声で目を覚ました。 オラフル家の客間の天井が見える。窓の外はまだ薄暗く、聞こえるのは風の音だけ。
「……本当に、バカなんだから。……夢の中でくらい、カッコよくお別れさせてよ」
ノエルの間抜けな顔を思い出し、おかしくてたまらない。あんな別れ方があるだろうか。 くすくすと笑いながら、寝返りを打とうとして――リリィは、動きを止めた。
「あれ……?」
枕が、冷たかった。 指先で頬に触れると、拭っても拭っても、涙が後から溢れてくる。
「どうして……私、笑ってるのに……」
夢の中のノエルは、最後にはドジを踏んだけれど、その瞳は本気だった。 金色の砂が舞った瞬間、胸が張り裂けそうになった感覚だけが、痛みとして身体に残っている。
「……やっぱり、嫌だな。忘れたく、ないな……」
あんなドジな彼のことだ。きっと現実の別れの時も、泣いたり、失敗したりして、私のこと困らせるに違いない。 でも、その「いつか」が来たら、私は彼との旅を――この温かいスープの味も、アニーの笑顔も、彼の真っ赤な服も――全部、忘れてしまう。
(それでも、いつかその時は来る……)
ギャグのような夢だったけれど、それがかえって「終わり」の存在をリアルに感じさせた。 リリィは濡れた枕に顔を埋め、湧き上がる寂しさを必死に押し殺した。
「……今はまだ、忘れなくていいんだものね」
この泡沫のような時間を、一分一秒でも大切にしよう。 彼女は涙を拭い、窓の外の白夜の空を見上げた。その瞳には、不安の影と共に、以前よりも強く、静かな覚悟の光が宿っていた。




