表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖夜の黄昏  作者: 那王
5章 蝕まれる世界
31/48

カウントダウン

スネーランドの白夜とは対極にある、灼熱の太陽が照りつける中東、スーリア国境付近。数週間前にアメリア軍による激しい空爆を受けた村々は、未だ生々しい傷跡を残していた。破壊された家屋の瓦礫が散乱し、黒く焼け焦げた地面が広がっている。国際的な支援団体のテントがいくつか設営され、わずかな食料や医薬品の配給を待つ人々の長い列ができていたが、その顔には深い疲労と、拭いきれない不安の色が浮かんでいた。


第一次攻撃から束の間、訪れていた静寂は、やはり嵐の前のそれに過ぎなかった。アメリア政府が「テロ組織による新たなテロ計画を未然に阻止するため」と称し、「第二次限定攻撃」を決定したというニュースは、衛星放送や口コミを通じて瞬く間にこの地域にも伝わり、人々の間に再び絶望と恐怖の影を色濃く落としていた。乾いた風が瓦礫の隙間を吹き抜ける音すら、人々には不吉な予兆のように聞こえる。空を見上げる人々の目には、いつまた鉄の鳥が死の雨を降らせてくるのかという怯えが宿っていた。


その緊迫した空気を、まるで遠い高みから、あるいは深淵の底から観察するかのように、一人の男は歪んだ笑みを浮かべていた。

巨大複合企業グローバル・オムニ・グループ(GOG)の本部、その地下深くに存在する、外界から完全に遮断されたモニタールーム。

冷たく青白い人工光だけが支配する空間で、Dr.神室は複数の大型モニターに映し出されるスーリアのリアルタイム映像と、アメリア軍の展開状況を示す戦術マップを、爬虫類を思わせる冷たい瞳で見つめていた。


「ヒッヒッヒ…準備は整ったか。実に良い。実に結構。哀れで愚かな子羊を誘い出す、これ以上ない最高の舞台がな」

彼は揃えられた指先で神経質そうに顎の先端を撫でながら、満足げに呟いた。

モニターには、GOGが開発した最新鋭のステルス偵察機『アルゴスの目』から送られてくる、高解像度の戦場映像が、まるで神の視点のように映し出されている。攻撃部隊であるアメリア空軍第13戦闘航空団『ケルベロス隊』は、すでにスーリア領空深くまで侵入し、指定されたターゲットエリア上空で静かに旋回、待機していた。

表向きの作戦名目は「テロリスト関連施設の掃討及び無力化」だが、Dr.神室にとっての真の目的は、ただ一つ。『黒き聖夜の審判』と名乗る、古の魔法を操る小娘の捕獲である。


「第一次攻撃の際、あの小娘はこの地にまんまと姿を現した。実に単純。感傷的な正義感、子供じみた罪悪感…なんと御しやすいことか」

神室は、部下の諜報分析チームから提出されたイリスの行動パターン分析レポートを一瞥し、嘲るように鼻を鳴らした。


「今回も同じだ。己の行動が引き金となった騒乱には、必ず現れる。そこで待ち伏せし、その忌まわしくも美しい、実に興味深い『魔法』の力を、この目で存分に観察させてもらう。そして…脆弱なその肉体ごと、生きたまま捕獲するのだ」


彼の歪んだ脳裏には、サンタクロース協会が秘匿してきた古の遺産を解析し、自身の最先端科学技術と融合させることで得られるであろう、無限の可能性が広がっていた。それは、人類の進化などという陳腐な言葉では言い表せない。彼自身が、この愚かで矮小な人類を超越し、新たな段階へ…いや、神へと至るための、絶対的な手段なのだ。


モニターの一つに、アメリア軍の現地指揮官から神室直属の連絡員へ、作戦開始準備完了を示す緑色のシグナルが点灯した。パイロットたちのヘルメットに装着されたカメラからの映像も、リアルタイムで表示されている。彼らの緊張した呼吸音まで聞こえてきそうだ。

「ヒッヒッヒ…さあ、始めようではないか。ショータイムだ」

神室は爬虫類の舌なめずりを想像させるような表情で、コンソールの発信ボタンに、白く細い指を伸ばした。


「攻撃シーケンス開始。最終座標確認……。攻撃開始まで、あと5分……4分……」

カウントダウンを告げる冷静な合成音声が、静寂なモニタールームに無機質に響き渡る。神室の口元には、歪んだ期待の笑みが深く刻まれていた。彼はモニターを凝視し、イリスが現れるであろうその瞬間を、文字通り固唾を飲んで待ち構えていた。早く来い、早く来い、と心の中で繰り返す。まるで恋人を待つかのように。


「さあ、早く姿を現すがいい、忌まわしき聖夜の魔女よ。そして、その矮小な身に宿した、古の愚かな力…この私に、その全てを見せてみろ!」


スーリアの上空では、太陽光を鈍く反射させる翼下に、最新鋭の対地ミサイル『ジャガーノート』を搭載した戦闘機が、静かにその時を待っていた。パイロットたちは、眼下に広がる、何も知らずに日常を送ろうとする人々の姿を、赤外線スコープ越しに捉えている。彼らにとって、それは再び訪れる悪夢の始まりを告げるカウントダウンに他ならなかった。空は、皮肉なほどどこまでも青く澄み渡っている。しかし、その美しいコバルトブルーの下には、濃密な死の気配が、まるで重油のように漂っていた。


――――


「待て! ケルベロス全機、攻撃中止せよ! コード・レッド! 繰り返す、全機ただちに攻撃を中止し、現空域より離脱せよ!」


攻撃開始まであと数秒、というまさにその瞬間、けたたましいアラート音と共に、最高司令部からの緊急通信が、全ての作戦参加機体の回線に最優先で割り込んできた。それは、すでに開始されていた攻撃シーケンスを強制的に中断させる、ありえないレベルの命令だった。


「なっ……!? どういうことだ!?」

「誤報か!? いや、コード・レッドは本物だ!」

カウントダウン音声がプツリと途絶え、現場のパイロットたちに激しい動揺が走る。攻撃開始寸前での、この不可解な命令。


「どういうことだ!? 説明しろ! 誰の命令によって、私の完璧な計画を邪魔するのだ!?」

Dr.神室は椅子から文字通り飛び上がり、モニターに向かって金切り声を上げた。最高のショーの幕開けを邪魔された怒りが、彼の爬虫類めいた顔をさらに醜く歪ませる。


「Dr.神室! これは……ホワイトハウスからです! アシュフォード国防長官直々の命令とのことです!」

通信オペレーターが、恐怖に引きつった声で報告する。


「アシュフォードだと!? なぜ彼が!? 馬鹿な! ありえん!」

神室は我を忘れ、取り乱した。GOGの意向は、CEOであるバーンズを通じて、ホワイトハウスの最高レベルにまで伝えられているはずだった。大統領さえもこの作戦を承認していたのだ。アシュフォード国防長官が、この土壇場で、GOGの意向に逆らう形で介入するなど、全くの想定外だった。

彼は清廉潔白で国民からの人気も高いが、同時に現実主義者でもある。GOGに逆らうことが何を意味するか、分かっているはずなのに。


アメリア軍統合参謀本部からの公式な作戦中止命令が、再度、全軍に通達された。

理由は「予測不能な状況の変化、及び人道的見地からの再検討」としか伝えられない。あまりにも曖昧で、不可解な理由だった。


「おのれぇぇぇ……! あの老いぼれめが! いったい何を考えている……!?」


神室は怒りに顔を歪ませながらも、すぐに冷静さを取り戻した。彼は指先で神経質にこめかみを叩きながら思考を巡らせる。

「一体、何が起きている……?」


アシュフォード国防長官。軍人上がりで叩き上げ、汚職とは無縁。その清廉さで国民の人気は高いが、神室に言わせれば、それは計算されたポーズに過ぎないはずだった。


<まさか本当に正義感や人道主義などという、非論理的な感情で動いたとでもいうのか? 馬鹿馬鹿しい。理解不能だ。>


「理解できんな……実に不愉快だ」

理解できないものへの嫌悪感が、彼の爬虫類のような瞳に宿る。


計画を狂わされたことへの怒りよりも、人間の不可解な感情に対する生理的な拒否反応に近い苛立ちが、彼の神経を逆撫でした。アシュフォードの行動原理が、彼の緻密な計算や論理から逸脱していることが、許しがたいノイズのように感じられたのだ。


「まあいい。理由が何であれ、私の完璧な計画に泥を塗った事実は変わらん。アシュフォードめ…この屈辱は忘れんぞ。だが、それよりも今は…」


彼は再び椅子に深く腰掛け、モニターに映る情報の奔流を、蛇のように執念深い目で追い始めた。「魔女の捕獲は失敗したが、奴は必ずまた動く。次の機会は逃さん…絶対にだ」

盤上の駒が予測不能な動きを見せた。それは神室にとって、ただただ不愉快で、排除すべき不確定要素が増えたという認識でしかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ