夢を守る魔法
翌日、オラフル家に警察が訪れ、事情聴取が行われた。オラフルとリリィは目撃者として協力。警察はネット上の証拠も把握しており、マグナスの逮捕は確実だった。
そして、マグナスが滞在先から連行される際、彼は最後の悪あがきを試みた。集まった野次馬や報道陣に向かって叫んだのだ。
「待ってくれ! 俺は嵌められた! あの漁師の家にいる奴らがおかしいんだ! 赤い服のガキは『サンタクロース協会』とか『魔法』とか言ってた! それに、あのトナカイ! 喋るんだよ! 本当だって! 録音…いや、確かに聞いたんだ! 信じてくれ!」
その叫びは、逮捕される人間の見苦しい言い訳としか取られず、失笑が漏れた。炎上系ストリーマーの末路としては、ある意味当然の反応だった。
しかし、その言葉を聞いたノエルとルドルフは、顔を見合わせて内心焦った。まずい。協会の秘密が! たとえ誰も信じなくても、情報がネットに残るのは危険すぎる。
「ノエル、やるしかない」ルドルフが低い声で促す。
「うん…!」
ノエルは頷くと、ポケットから小さな革袋を取り出した。中にはキラキラと輝く金色の粉。それは、サンタクロース協会に古くから伝わる『忘却の砂』だった。サンタクロースに関する特定の記憶を曖昧にする、古くからの魔法。
人混みに紛れ、パトカーに乗せられる寸前のマグナスに近づき、ノエルはそっと砂を振りかけた。金の粒子が一瞬輝き、マグナスに降り注ぐ。彼は何かを払う仕草をしたが、すぐに警察官に促され車に押し込まれた。その目から先ほどの狂的な光が消え、どこか虚ろな表情に変わっていた。
「……行ったわね」一部始終を見ていたリリィが、ノエルの隣で静かに呟いた。その声には、安堵とは違う、複雑な響きがあった。
家に戻ると、リリィはノエルに尋ねた。
「ねぇ、ノエル。さっきの…あの金色の粉は何? マグナスさん、急に大人しくなったみたいだったけど……」
「あれは、『忘却の砂』っていう魔法の粉なんだ。サンタクロースに関わる記憶だけを、少しだけ忘れさせて曖昧にする力があるんだよ」
「記憶を…曖昧にする…」リリィは目を見開いた。
「うん。クリスマスの夜に子供たちにプレゼントを届けたら、親は 『あれ、こんなプレゼント買った覚えないぞ?』って不思議に思うでしょ。そういう記憶を少し曖昧にして、夢を守る必要があるんだ。よく絵本とかで、サンタさんのソリがキラキラした粉を撒きながら飛んでる絵があるでしょ? あれが忘却の砂なんだよ」
「でも…」
リリィの声には、拭えない戸惑いの色が浮かんでいた。「記憶を操作するってことでしょう? それって、少し怖いわ。」
「マグナスさんがああいう人だったのは確かよ。でも、どんな相手でも、同意なく記憶に干渉するのは…なんだか、すごく怖いことのように感じるわ。あなたたちは、それを…あまりにも当然のように使ったように見えた」
リリィは、ノエルたちの持つ『常識』と自分たちのそれとの間に、見えない、けれど深い溝があることを感じていた。
「そう…感じるかもしれないね」ルドルフが静かに口を開いた。「だがリリィ、サンタクロースの存在は、子供たちの夢そのものだ。その純粋な夢を守るためには、時にはこうした手段も必要になる。もしサンタの秘密が暴かれ、世界中の子供たちが夢を失ったら…それはもっと悲しいことだとは思わないかい?」
「それは…そうかもしれないけど…」リリィは俯いた。「サンタさんの力は、人を喜ばせる、優しい力だと思っていた。でも、イリスさんが持ち出した禁書には人を傷つける魔法もある。今ノエルが使ったみたいに記憶を操る力もある。あなたたちの『正しさ』の基準が、私の知ってるものと違う気がして…正直、少しだけ、怖いの」
リリィはそこで言葉を切ると、少し間を置いて、不安げな表情でノエルとルドルフを交互に見つめた。
「ねぇ……私も、ルドルフが話せるって知っているわ。私にも……いつか、その砂を使うの?」
彼女の声はわずかに震えていた。それは、目の前の友人たちへの不信感というよりも、自分たちの常識が通用しない、未知のルールを持つ世界に対する、純粋な恐れのように聞こえた。
ノエルは答えに窮したように視線を逸らしたが、やがて意を決したように、リリィの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。嘘をついてはいけない相手だと、思ったからだ。
「……ごめん、リリィ。それが、僕たちの掟なんだ」 ノエルの拳が、痛いほど強く握りしめられる。
「サンタクロースの存在は、子供たちの夢の中にだけあるべきものだから。大人の世界に、確かな証拠として残してはいけないんだ。だから……イリスを見つけて、この旅が終わったら……」
「私の記憶も、消すのね」
「……うん。ほんとは最後まで言わないつもりだった」
重い沈黙が流れた。ルドルフも、痛ましげに目を伏せている。
リリィは静かに息を吐くと、少しだけ寂しそうに、けれど優しく微笑んだ。
「そう……。なんだか、魔法が解けて消えてしまう、シンデレラみたいなお話ね」
「リリィ……怒らないの?」
「怒りたい気分よ、もちろん。でもね」 彼女はノエルの手を取り、その温かさを確かめるように握った。
「終わりが決まっているからこそ、大切にできることもあるわ。料理だってそう。食べてしまえばなくなってしまう。でも、その瞬間の美味しさや、囲んだ食卓の温かさは、確かにそこに存在した真実よ」
彼女の瞳に、強い光が宿る。
「いいわ、ノエル。最後まで付き合ってあげる。その代わり、忘れるのが惜しいくらい、最高に美味しい旅にしなさいよね? 私の記憶が消えても、あなたの心には残るように」
「……うん! 約束する!」




