溶岩塩を求めて
翌朝、リリィは早速オラフルに溶岩塩の採取について相談した。
「ほう、あの塩に興味があるのかい? あれはな、熱の塩『ヒータサルター』と呼ばれていて、特定の火山の、まだ熱を帯びている溶岩洞の奥深くでしか採れない貴重なもんなんだ。普通の人間が行けるような場所じゃないぞ。それに、最近は地熱活動が不安定でな、昔よりも危険が増しているとも言われている」
オラフルは少し驚いた顔をしたが、リリィの真剣な眼差しを見て、にやりと笑った。
「だが、まあ、あんたみたいな若いお嬢さんがそこまで言うなら、案内してやらないこともない。実はな、俺は趣味でこの辺りの自然ガイドもやっていてね。地質学にも詳しいんだ。火山のことも、安全なルートも知っている。明日の早朝なら、漁も休みだし、案内してやろう」
「本当ですか!? ありがとうございます、オラフルさん!」
リリィは心から感謝した。
「ただし、危険な場所であることには変わりない。俺の指示には必ず従ってもらうぞ。」
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翌日、まだ薄暗い早朝、三人と一頭はオラフルの古い四輪駆動車に乗り込み、火山地帯へと向かった。舗装された道はすぐに途切れ、ごつごつとした溶岩台地の上を、車は揺れながら進んでいく。窓の外には、黒や赤茶けた岩肌がどこまでも続き、草木もまばらな荒涼とした風景が広がっていた。
「さあ、ここからは歩きだ」
車を降りると、冷たく強い風が吹き付けてきた。オラフルを先頭に、一行は溶岩でできた岩場を歩き始めた。足場は悪く、時折鋭い岩が突き出ている。
「気をつけて歩けよ。この辺りは地面の下が空洞になっていることもあるからな。それに、昔はもっと雪が積もっていて歩きやすかったんだが…」
オラフルが、過去を懐かしむように呟いた。
しばらく歩くと、前方に大きな亀裂が見えてきた。亀裂の底からは、白い蒸気がもうもうと立ち上っている。
「ここが、ヒータサルターが採れる溶岩洞への入り口だ。ここから先は、さらに危険になるぞ」
オラフルはロープを取り出し、自分の体に巻き付けると、亀裂の縁にある頑丈そうな岩に固定した。
「俺が先に降りる。安全を確認したら合図するから、それから一人ずつ降りてこい」
彼は慣れた手つきでロープを操り、蒸気の立ち込める亀裂の中へと姿を消した。しばらくして、下から「オーライ!」という声が聞こえてきた。
次はいよいよリリィの番だ。ノエルは心配そうに見守っていたが、リリィは全く臆する様子を見せなかった。彼女はオラフルから借りたハーネスを手早く装着すると、ロープを掴み、驚くほどスムーズに崖を降りていった。その動きは、まるで熟練のクライマーのようだ。
「リリィ、すごい……」
ノエルは感嘆の声を漏らす。
「トナカイにはこの崖は危険すぎる。ここで待っていてくれ。次はノエル、君だ。」
ノエルはオラフルの助けを借りながら、なんとか亀裂の底へと降り立った。
そこは、まるで別世界だった。薄暗く、蒸気で視界は悪いが、壁面は様々な色合いの鉱物が結晶のように輝き、地面からは生暖かい空気が吹き上がっている。地球の胎内、その力強さを感じさせる空間だ。
「こっちだ。塩があるのは、この洞窟のもっと奥だ」
オラフルはヘッドライトを点け、洞窟の奥へと進んでいく。道は狭く、天井も低い。時折、熱水が滴り落ちてくる場所もある。
「見て、あれがヒータサルターよ」
リリィが、少し開けた場所の壁面を指差した。壁には、まるで珊瑚のように、赤みがかった結晶質の塩が付着していた。近くに寄ると、ほんのりと温かい。自然が生み出した神秘的な造形に、リリィは畏敬の念を抱いた。
「よし、採るぞ。ただし、長居は無用だ。この洞窟はいつ何が起こるか分からんからな」
オラフルとリリィは、ハンマーとタガネを使って、慎重に塩の結晶を壁から剥がしていく。必要以上に採らず、自然への敬意を払いながら、丁寧に作業を進める。ノエルも手伝おうとしたが、慣れない手つきではなかなかうまくいかない。
その時、洞窟の入り口の方から、誰かの声が聞こえた気がした。
「おーい! ビョルンソンさーん! リリィさーん! すごい場所ですねー!」
声の主は、昨日、街で偶然出会った男だった。マグナスと名乗った彼は、気さくな笑顔を浮かべ、大きなカメラを構えていた。
「いやー、市場で面白い食材を探してるって話を聞いてね! これは絶対に面白い絵が撮れると思って、こっそり後をつけてきちゃいました! まさかこんな秘境だったとは! 最高ですよ!」
マグナスは興奮した様子で、洞窟の中や塩を採取する様子を、遠慮なく撮影し始めた。
「君は…! なぜここに!?」
オラフルは驚き、そして眉をひそめた。「ここは危険な場所だぞ! 勝手に入ってきてはいかん!」
「まあまあ、そう固いこと言わずに! ちょっと撮影させてくださいよ。こんな珍しい塩、絶対にバズりますって!」
マグナスは悪びれる様子もなく、カメラを回し続ける。
リリィは、彼の無神経な態度と、神聖な場所であるかのようなこの洞窟を土足で踏み荒らす行為に、強い不快感を覚えた。自然への敬意が全く感じられない。彼女は黙々と作業を続けたが、その表情は硬く、いつもの明るさは消えていた。
ノエルは、リリィのそんな様子を見て、マグナスに対して何か言おうとしたが、リリィが「今はいいの、ノエル。早く終わらせましょう」と、静かに制した。彼女の目には、怒りよりも深い悲しみのような色が浮かんでいるように見えた。
採取を終え、一行が洞窟を出ようとした時、マグナスは「いやー、素晴らしいものを見せてもらいました! これは絶対に人気動画になりますよ! ありがとうございました!」と言い残し、一足先に地上へと戻っていった。
地上に戻ったリリィは、採取したばかりのヒータサルターを大切そうに布に包みながら、小さくため息をついた。
「あの人……きっと、あの場所のことを、面白おかしく配信するつもりね……」
「リリィ……」
ノエルが心配そうに声をかける。
「いいの」
リリィは無理に笑顔を作った。「食材自体は、私のものじゃない。誰が見つけたって、それはその人の自由だもの。ただ……」
彼女は言葉を切り、遠くの火山を見つめた。
「ただ、あの場所が、自然が与えてくれる恵みが、お金儲けや、ただ面白いっていうだけの理由で、踏み荒らされてしまうのは……やっぱり、悲しいことだと思うの。自然は、もっと敬意を持って接するべきものなのに」
その横顔は、普段の快活さからは想像もつかないほど、繊細で傷つきやすいように見えた。ノエルは、リリィの料理への深い愛情と、自然への敬意を改めて感じると同時に、マグナスへの静かな怒りを覚えるのだった。