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聖夜の黄昏  作者: 那王
4章 氷と炎のコントラスト
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白夜の国の港へ

オーロラ号がゆっくりと港に近づくと、ノエルは甲板の手すりから身を乗り出し、息を飲んだ。目の前に広がるのは、これまで見てきたどの港とも違う、荒々しくも神秘的な風景だった。灰色の空の下、海と陸の境界線には、黒い溶岩が冷え固まったようなごつごつとした岩場が続き、その向こうには雪を頂いた、しかし以前よりその白さが減ったようにも見える山々が連なっている。街並みはカラフルな屋根の家々が寄り集まるように建ち並び、まるで厳しい自然の中に咲いた小さな花のようだ。空気は澄み渡り、どこか硫黄の匂いが混じっている気がした。


「ここが、スネーランド……首都のレイカヴィクね」

リリィが手帳を確認しながら呟いた。


船が接岸し、タラップが下ろされる。ノエル、リリィ、そして大きな体で器用にタラップを降りるルドルフは、ついに氷と火山の国、スネーランドに第一歩を踏み出した。港には活気があり、屈強そうな漁師たちが網の手入れをしたり、水揚げされたばかりの魚を運んだりしている。しかし、ノエルの目には、その活気の中にどこか影があるようにも見えた。潮の香りに混じって、魚の匂いと、どこか暖かい地熱の匂いがした。


「さて、まずは情報収集と、今夜の宿探しね」

リリィは手帳を開きながら、テキパキと計画を立て始めた。船旅の間も、彼女はスネーランドについて念入りに調べていたようだ。

「この街には有名な市場があるらしいわ。そこで新鮮な食材を見て回りながら、地元の人に話を聞いてみましょう」


三人は港から続く石畳の道を歩き始めた。道行く人々は、北欧らしい彫りの深い顔立ちで、厚手のセーターやコートを着込んでいる。彼らの話す言葉はノエルには全く分からなかったが、どこか素朴で温かい響きを持っていた。


街の中心部にある市場は、想像以上に賑わっていた。しかし、並んでいる魚介類の種類は、リリィが事前に調べていたよりも少ないように感じられた。色とりどりの野菜や果物、そして見たこともないような海藻や干物が並んでいる。リリィは目を輝かせつつも、少し眉を寄せながら、店主と身振り手振りでコミュニケーションを取り、熱心に食材を見て回った。


「この『ハカール』というのは……サメを発酵させたもの? 強烈な匂いだけど、地元では伝統的な珍味なのね。ふむふむ……。こちらは『スキール』。ヨーグルトに似ているけど、もっと濃厚な……」

彼女の探求心は尽きることがない。


市場の一角で、ノエルは少し年配の女性が売っている奇妙な形のパンに興味を持った。

「これは何ですか?」

リリィが現地語の簡単なフレーズ集を頼りに尋ねると、女性はにこやかに答えてくれた。それは地熱を利用して地面の中で蒸し焼きにする、この国伝統のライ麦パン「クヴェラブルー」だという。試食させてもらうと、ほんのり甘く、独特の香ばしさがあってとても美味しかった。


パンを頬張りながら歩いていると、魚屋の店主と立ち話をしているリリィの声が聞こえてきた。リリィは、店の並ぶ魚の種類が予想より少ないことを尋ねているようだった。


「ああ、嬢ちゃん、目が良いねぇ」

魚屋の店主は、深く刻まれた皺をさらに深くしてため息をついた。

「昔はね、この港もタラやニシンで溢れていたんだ。冬になれば、ハカールを作るためのサメだって、もっと簡単に手に入った。どこの家でも、ニシンの干物を作るのが当たり前の光景だった」

店主は、少し寂しそうに呟いた。

「だが、ここ数十年で海流が変わってしまってね。水温も上がったせいか、昔ほど魚が獲れなくなった。特に、この国の大事な収入源だったタラは激減してしまったし、小型化もしてる。ニシンの大群なんて、もう何年も見ていないよ。ハカールも、昔は貧しい家の保存食だったのに、今では高級品さ」


「温暖化の影響、ですか?」

リリィが尋ねる。


「ああ、それもあるだろう。専門家は色々言っているがね」

店主は首を振った。「気候もおかしくなっている。昔はもっと雪が多かったし、夏も涼しかった。あの山を見てみな。俺が子供の頃は、もっと真っ白だったよ。氷河も年々小さくなっている。自然の恵みが、少しずつ失われているような気がして、不安になる時があるよ」


その言葉は、リリィの心に重く響いた。彼女にとって、食材とは単なる材料ではなく、その土地の歴史や文化、自然環境そのものなのだ。それが失われつつあるという事実は、彼女の心を痛ませた。ノエルも、サンタクロース協会ではあまり意識することのなかった、地球規模で進む環境の変化が、人々の暮らしに影を落としている現実に、初めて触れた気がした。


市場で情報収集をする中で、リリィは今夜の宿についても尋ねていた。ホテルもあるが、もっと地元の人々の暮らしに触れたいと考えた彼女は、「ホームステイのような形で泊めてくれる家庭はないか」と聞いて回った。すると、ある店の主人が「それなら、知り合いの漁師で、時々旅人を受け入れている男がいるよ。オラフル・ビョルンソンっていう、ちょっと風変わりだが気のいい奴さ」と教えてくれた。


紹介されたオラフル家は、港を見下ろせる小高い丘の上にあった。赤い屋根の可愛らしい家で、庭には漁に使う網や道具が置かれている。ドアをノックすると、中から大きな声と共に、がっしりとした体格の男性が現れた。太陽に焼けた顔に、豊かな髭をたくわえ、目は悪戯っぽく輝いている。彼がオラフル・ビョルンソンだった。


「ようこそ、遠い国からのお客さん! 話は聞いたよ。まあ、入りなさい」

オラフルは豪快に笑い、二人と一頭を家の中に招き入れた。家の中は木の温もりに満ちており、暖炉の火がパチパチと音を立てている。奥からは、優しそうな笑顔の女性――オラフルの妻、インガ――と、二人の子供、元気な10歳くらいの男の子ビャルキと、少し恥ずかしがり屋の7歳くらいの女の子ソーラが現れた。そして、足元には人懐っこいボーダーコリーのフロキが尻尾を振って駆け寄ってきた。


「まあ、トナカイさんまで! 大きいのねぇ」

インガは驚きながらも、温かくルドルフを迎えてくれた。子供たちは最初、大きなルドルフに少し怖がっていたが、彼が穏やかで優しいと分かると、すぐに興味津々で周りをうろつき始めた。フロキも、最初は警戒していたものの、すぐにルドルフと仲良くなったようだった。


その夜、オラフル一家は、ノエルたちを家族同然に迎え入れてくれた。インガの手料理は、地元の食材をふんだんに使った素朴ながらも心のこもったもので、特に魚のスープは絶品だった。食卓では、オラフルがスネーランドの自然や歴史、そして彼自身の漁師としての経験や、趣味である地質学の話を、ユーモアたっぷりに語ってくれた。


「それにしても、インガさんのスープ、本当に美味しいです。この魚は?」

リリィが尋ねると、インガは少し寂しそうに微笑んだ。

「ありがとう。これは近海で獲れたカレイよ。昔はこのあたりの海で、もっとたくさんの種類の魚が獲れたんだけどねぇ」

彼女は少し寂しそうに付け加えた。

「父の代の頃は、冬になると湾内にニシンの大群が押し寄せて、港が銀色に輝いたって話よ。でも、最近は海の水温が変わったのか、海流が変わったのか…すっかり数が減ってしまってね。タラだって、昔のような大きなものはなかなかお目にかかれない。昔ながらの干物を作るのも、一苦労さ」

彼女の言葉には、地球規模で進む気候変動の影響が、この遠い北の島国にも確実に及んでいることを感じさせた。


「昔ながらの食材が、手に入りにくくなっているのですね…」

リリィは少し考え込むように呟いた。


「そうなんだ」オラフルが頷いた。「自然の恵みは、決して無限ではないと思い知らされるよ。この国はな、地球が生きていることを実感できる場所なんだ。火山が噴火し、大地が動き、氷河が全てを覆い尽くす。厳しくもあるが、他にはない特別な恵みも与えてくれる。だが、そのバランスが、少しずつ崩れてきているのかもしれん」

彼は窓の外、遠くに見える火山のシルエットを指差した。

「あの山の麓にはな、溶岩が冷え固まる際に生まれる、特別な塩があるんだ。ミネラル豊富で、独特の風味があってね。昔から、特別な料理に使われてきたんだが、採るのが難しくてな」


「特別な塩…!」

リリィの目が、探求者のそれに変わった。

「オラフルさん、その『溶岩塩』について、もっと詳しく教えていただけませんか?」


その夜、用意された客間で、ノエルは窓の外の薄明るい白夜の空を見上げていた。ルドルフは部屋の隅で静かに反芻している。

「温暖化…か。協会では、そういう話はあまり聞かなかったな。妖精さんたちは自然の変化に敏感だから、何か気づいていたのかもしれないけど…」

「我々の住む場所は、良くも悪くも外界の変化から隔絶されているからね。だが、世界は繋がっている。どんなに離れていても、影響は必ずどこかに現れるものだよ」

ルドルフは静かに答えた。「スネーランドの海の変化も、遠い国々の産業活動や、人々の暮らしと無関係ではないのかもしれない」


「イリスは、こういう世界の歪みも、変えたいと思っているのかな…戦争や貧困だけじゃなくて、自然を壊してしまう人間の活動そのものも……」

ノエルは複雑な気持ちで呟いた。イリスが立ち向かおうとしている問題は、想像以上に根深く、大きいのかもしれない。自分に何ができるのか、改めて考えさせられた。

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