船上のメリークリスマス
「よし、準備ができたわ!」
リリィは焼きあがったお菓子のバスケットを持ち、ノエルを促した。
「さあ、子供たちのところへ行きましょう! パーティーが始まってる頃よ。ノエルも、そのサンタさんの格好、出番じゃない?」
「せっかくだから、あなたも何かしてみたらどう? ほら、あなたのその赤い服、すごく本格的だし、子供たち、絶対に喜ぶんじゃないかしら?」
「え? 僕が?」
ノエルは少し戸惑った。「でも、僕はまだ見習いだし、それに、突然行ってもみんな驚いちゃうんじゃ…ただのコスプレだって思われるだろうし…」
サンタクロース見習いとしての自覚はあっても、協会の外で、自分が「サンタクロース」として振る舞うことには、まだ少し抵抗があった。
「いいじゃない! たとえコスプレだって思われたって!」
リリィは明るくノエルの背中を押す。「大切なのは、子供たちを喜ばせたいっていう気持ちでしょう?私も子供たちを喜ばせたくて、厨房を借りて、特製のジンジャークッキーとカップケーキを焼いたの。一緒に配りにいきましょう!」
「それに、君は本物の見習いサンタなんだから、もっと自信を持っていいんだよ」
客室の隅でゆったりと干し草を食んでいたルドルフも、穏やかな声で後押しした。「なんなら、私も一緒に行ってあげようか。大きなトナカイがいれば、もっとサンタさんらしいだろう?」
ルドルフは悪戯っぽく片方の眉を上げてみせた。
「ルドルフも!?」
ノエルは驚いたが、すぐに顔が輝いた。「うん、それなら心強いや! よし、決めた! やってみよう!」
二人の言葉に勇気づけられ、ノエルは決心した。彼は、協会から着てきた、赤と白のサンタクロースの正装に身を包み、改めて姿勢を正した。少しだけ緊張しながら鏡を見ると、確かにそれらしい姿に見える。
リリィは美味しそうな匂いが漂うお菓子のバスケットを持ち、ノエルは魔法の袋をしっかりと肩にかけ、そして大きなルドルフを伴って、彼らは意を決して子供たちのパーティー会場へと向かった。
「メリークリスマス! みんな、良い子にしてたかな?」
ノエルが、練習した通りの、少しだけ威厳のある、それでいて優しい声で呼びかけると、会場にいた子供たちは一斉に振り返り、目を輝かせた。
「わー! サンタさんだー!」
「本物!?」
「うわっ!おっきなトナカイさんもいるー!」
子供たちの純粋な歓声と、驚きと喜びに満ちたキラキラした視線が三人に注がれる。その熱気に、ノエルの緊張は一瞬で吹き飛んだ。胸の中に、温かくてくすぐったいような、不思議な高揚感が込み上げてくる。
「はっはっは! こんばんは、みんな! よく来たね!」
ノエルは少し芝居がかった口調で続けた。「今日は特別に、私の大切な友達、ルドルフも一緒に連れてきたんだよ!」
ルドルフは子供たちの前で、静かに、しかし優雅にお辞儀をしてみせた。子供たちは「すごーい!」「鼻が赤い!」とさらに興奮している。
「さあ、今日はみんなにプレゼントがあるよ!」
ノエルは肩にかけた魔法の袋に手を入れ、心の中で「この子たちが喜ぶ、小さなおもちゃを」と念じる。すると、袋の中がふわりと温かくなり、いくつかの優しい感触が手に伝わる。彼はそれを一つずつ取り出していった。木製の小さな動物、カラフルな積み木、可愛らしい人形、手のひらサイズのミニカー……。
「はい、どうぞ! これは妖精さんが作った素敵な積み木だよ」
ノエルがおもちゃを手渡すと、すかさず隣のリリィがバスケットからお菓子を取り出し、「メリークリスマス! お姉ちゃんからもプレゼント、クッキーとカップケーキよ」と、子供に笑顔で手渡す。
「わーい! ありがとう、サンタさん! お姉ちゃん!」
子供たちは、二重のプレゼントに目を輝かせ、歓声を上げて受け取った。ルドルフはその様子を、少し離れた場所から優しい目で見守っている。時折、子供たちが恐る恐る近づいてきてルドルフの鼻に触ろうとすると、彼はくすぐったそうに鼻をひくつかせ、子供たちの笑いを誘っていた。
中には、ノエルの顔をじっと見て、「サンタさん、お髭は?」と不思議そうに尋ねる子もいた。
「うーん、それはね…」
ノエルは一瞬言葉に詰まったが、すぐに笑顔で答えた。「サンタさんもね、たまーに、お髭を剃ってイメージチェンジすることもあるんだよ。今日は、ちょっと若々しいサンタさんってわけさ! どうかな?」
子供は「かっこいー!」と素直に納得していた。協会の教官が見たら「何を教えているんだ!」と叱られそうだが、子供が笑顔になってくれるなら、それも良いのかもしれない、とノエルは思った。
小さな女の子が、もらった木製のウサギとカップケーキを大事そうに抱えながら、ノエルに尋ねた。「サンタさんは、どうしてお空を飛べるの?」
「それはね、隣にいるルドルフみたいな大切なトナカイさんたちが、特別な魔法の力を持っているからだよ。そしてね、世界中の子供たちが、サンタさんを信じて、良い子にしてくれていると、その魔法の力がもっともっと強くなるんだ。だから、みんなの信じる気持ちが、僕たちを空に飛ばせてくれているんだよ」
ノエルは隣のルドルフを優しく撫でながら答えた。ルドルフは誇らしげに胸を張った。
「じゃあ、サンタさんはどこに住んでるの?」
別の男の子が尋ねる。
「うーん、それはね、とっても寒くて、一年中雪が降っていて、夜空には綺麗なオーロラが揺らめいている…そんな秘密の場所に住んでいるんだよ。たくさんの優しい妖精さんたちと一緒にね」
ノエルは、子供たちの曇りのない瞳と言葉に、一つ一つ真摯に向き合った。それは教科書通りの答えではなく、彼自身の言葉で語る、サンタクロースとしての想いだった。協会で教わった知識、ルドルフやリリィとの旅で感じたこと、そして、かつて自分が欲しかった温もり——その全てが、自然と言葉になって溢れ出す。
子供たちの輝く笑顔が、まるで暖炉の火のように、ノエルの心を温めていく。そうだ、これだ。自分が届けたかったものは。自分が、イリスと一緒に届けたかったものは、この純粋な喜びの光だ。
イリスを追う旅は、険しく、辛い。彼女が選んだ道は、あまりにも悲しく、危険だ。自分の無力さを痛感することも多い。カイトに指摘されたように、覚悟が足りないのかもしれない。
けれど——。
この笑顔を守りたい。この温かな光を、絶やしたくない。
イリスも、きっと心の奥底では同じことを願っているはずだ。彼女が抱える深い闇も、痛みも、僕が全て受け止めなければならない。そして、必ず連れ戻す。もう一度、一緒にこの笑顔のために働けるように。
魔法の袋の重みが、心地よい責任感となってノエルの肩にかかる。彼は子供たちに向かって、とびきりの笑顔を見せた。それはもう、ただの頼りない見習いサンタの笑顔ではなかった。困難な旅の中で少しだけ成長し、揺るぎない決意を胸に秘めた、一人の若者の顔だった。
「みんな、メリークリスマス! サンタさんは、いつだって君たちのことを見守っているからね!」
その声は、船の喧騒にも負けないくらい、強く、優しく響き渡った。