戦火からの願い
その日の午後、私は再び郵便室で手紙の整理をしていた。手に取る一通一通の手紙には、子供たちの純粋な願いが込められている。
「この子は、新しい兄弟が欲しいんだって」
私は微笑みながら手紙を読み進めていた。
しかし、ふと私の手が一通の手紙で止まった。封筒は汚れ、破れかけており、遠い国から長い旅を経て届いたようだった。国名も住所も書かれておらず、ただ「サンタさんへ」と、震える文字で記されていた。
「これは…?」
私はそっと封を開け、中の手紙を読み始めた。文字は少し歪んでいたが、一生懸命に書かれたことが伝わってくる。
『サンタさんへ
ぼくは、せんそうで、おかあさんといもうとをなくしました。
もう、いえもありません。
おかあさんは、いいこにしてたらサンタさんがきてくれると、いいました。
ぼくがわるいこだから、ばくだんがとどいたんですか。
ぼくは、サンタさんに、おねがいがあります。
いいこにするので、おかあさんといもうとを、もどしてください。
せんそうを、なくしてください。
もう、だれも、かなしいおもいを、しなくていいように、してください。
サンタさんが、たすけてくれないなら、ぼくは、わるいやつらを、ゆるしません。
ぼくが、ぜったいに、ゆるしません。』
手紙の主は、紛争地域に住む少年だった。彼の国は、今まさに大国同士の不毛な争いに巻き込まれ、多くの人々が犠牲となっているという。資源の利権、宗教、民族間の対立…様々な要因が絡み合い、弱者である子どもたちにそのしわ寄せが及んでいるのだ。
読み終えた私の手は小刻みに震え、深い悲しみが胸を満たした。瞳には涙が浮かんでいた。
「ひどい…僕たちに何かできることはないのかな?」
ノエルもまた、沈痛な表情を浮かべていた。
しかし答えは見つからなかった。協会の外の世界で起きていることに、私たちはあまりにも無力だった。
────
その夜、私は眠れないまま窓の外を眺めていた。夜空にはオーロラが揺らめき、無数の星々が瞬いている。しかし私の心は重く沈んでいた。
「私たちの力で、彼を救うことはできないのかしら……」
何度も何度も自問自答を繰り返す。サンタクロース協会には、世界中を一晩で飛び回ることのできるソリがあり、何でも作り出すことのできる妖精たちがいる。世界中の子供たちの願いを知ることのできる魔法もある。それでも、目の前の悲しみを癒すことはできないのだろうか。
私自身も戦火で家族を失い、この協会に救われた過去がある。あの時、誰かが助けてくれていれば。誰かが悲劇を止めてくれていれば。
遠い記憶が鮮明に蘇る。戦火に包まれた故郷、逃げ惑う人々、そして優しい両親の最期の姿…。
『助けて…!』
あの時、私には何もできなかった。ただ、泣き叫ぶことしか。
「もし、あの時…私に力があれば…」
拭い去れない無力感が、私の心を蝕んでいく。
少し気分を変えようと、私は部屋を出て静かな廊下を歩き始めた。月明かりが差し込む廊下を進むと、遠くから妖精たちの小さな声が聞こえてきた。
「ねぇ、聞いた? 協会の地下には、誰も入れない部屋があるんだって」
妖精の一人がひそひそ声で話していた。
「そこには、とても強力な魔法が封印されているらしいわ」
「そんな場所が本当にあるの?」
「うん、長老たちが話しているのを偶然聞いちゃって。でも危険だから近づいちゃだめだって」
私は足を止め、その会話に耳を傾けた。
「強力な魔法……」
私の胸に小さな希望が芽生えた。もしかしたら、その力で悲しみを終わらせることができるかもしれない。
翌朝、私は意を決してニコラス様のもとを訪れた。大きな扉を開けると、暖かな暖炉の火が私を迎えた。部屋の中央には、深い赤のローブをまとったニコラス様が座っていた。彼の白いひげは長く立派で、その目は深い慈愛と知恵に満ちていた。
「おや、イリス。こんな朝早くにどうしたのかね?」
彼は穏やかな声で問いかけた。
私は深々と一礼し、手紙を差し出した。
「こちらの手紙を読んでいただきたくて……」
ニコラス様は私の緊張を察し、優しく微笑んだ。
「ありがとう。では、読ませてもらおう」
彼は丁寧に手紙を広げ、一字一句を注意深く読んでいった。読み終えると、彼は深いため息をついた。
「これは……なんと痛ましい」
「はい……聖ニコラス様、世界にはクリスマスの喜びだけではなく、多くの苦しみが広がっています。私たちには、子供たちに笑顔を届けるための力があります。それなら、その力で直接彼らを救うことはできないのでしょうか?」
私の声は震えていた。瞳には真剣な想いが込められていた。
「おぬしはその力で、戦うとでも?」
ニコラス様の問いに、私は一瞬言葉を失った。
「戦うというよりも、苦しんでいる人たちを直接助けたいのです。彼が抱える悲しみや憎しみを、少しでも和らげることができればと」
ニコラス様は静かに首を振った。
「儂らの力は、そんなことには使ってはならんのじゃ。たとえ善意からであっても、力を誤って用いれば、新たな悲劇を生むことになるかもしれない」
「でも、このままでは彼は憎しみに囚われたままです。私たちが何もしなければ、彼は復讐の道を歩んでしまうかもしれない」
「今すぐには世界を変えられずとも、プレゼントを配り続けることで、子供たちの心に優しさを届けられれば。いつかその子、その孫が優しい世界を作ってくれる。儂はそう信じておるよ」
私は唇を噛み締めた。私の中で何かが揺らいでいた。
部屋を後にした私は、心の中で激しい葛藤を抱えていた。廊下を歩く私の足取りは重く、その姿を見たノエルが心配そうに駆け寄ってきた。
「イリス、大丈夫?」
彼は私の顔色が悪いことに気づき、手紙を覗き込んだ。
「ノエル……実は——」
私は彼に全てを打ち明けた。手紙の内容、ニコラス様とのやり取り、自分の感じている無力感。
「聖ニコラス様は、私たちが直接介入することを許してはくれなかった。でも、私は何かをしなければいけない気がするの」
ノエルは真剣な表情で私の話を聞いていた。
「気持ちはわかるよ。でも、僕たちだけで何ができるだろう?」
「それでも、何もしないよりはいい。たとえ小さなことでも、彼の心に寄り添うことができれば」
ノエルはしばらく黙って考え込んだ。
「わかった。僕も協力するよ。一緒にできることを探そう」
私は驚きの表情を浮かべた。
「ノエル、ありがとう」
私たちは手紙の少年が欲しがっていたというサッカーボールを用意することにした。妖精たちに依頼し、世界に一つだけの特別なボールを作ってもらった。それは透明な素材でできており、中には小さな星が輝いているように見える。
「これなら、きっと彼も喜んでくれるはず」
私はボールを大切に抱えながら微笑んだ。
「早速届けに行こう。彼にサプライズを届けよう」
ノエルも意気込んでいた。