問われる覚悟
カイトの地下作業場は、相変わらずモニターの青白い光と、キーボードを叩く音、そしてインスタントラーメンの匂いに満ちていた。イリスからのメッセージが表示されたモニターは、すでに元のデスクトップ画面に戻っていたが、部屋の空気にはまだ、得体の知れない魔法の残滓のようなものが漂っている気がした。
「やっぱり、無理だ。痕跡が完全に消えてる」
カイトは、解析ツールの画面を睨みつけながら、悪態をついた。
「侵入経路どころか、アクセスログすら残ってない。まるで最初から何もなかったみたいだ。こんなの、ハッキングじゃねえ…魔法だよ、魔法」
彼は椅子に深くもたれかかり、天井を仰いだ。
「で、どうするんだ? ノエル君」
カイトはノエルの方を向いた。
「イリスちゃんの居場所、何か心当たりはあるのか?」
ノエルは、カイトの言葉に少し戸惑いながら答えた。
「あ、当てっていうほどのものはないんだけど…協会を出るとき、ルドルフが鼻で、イリスの匂いが東の方に残っているって教えてくれたんだ。だから、それを辿って…でも、この街に着く前に、すぐに見失っちゃって…」
「匂い? トナカイの鼻ってそんなに効くのか。へぇ」
カイトは面白そうに言った。
「で、東って?」
「イリスは、ロシカに近い東エウロの小さな村の出身なんだ。戦争で故郷も家族も失って、協会に引き取られたって聞いている。だから、もしかしたら故郷の近くを目指しているのかなって…」
リリィが、テーブルに置かれた地図を広げながら口を開いた。
「東エウロ…ノードハイムからはかなり遠いわね。それに、紛争地域も近い。危険じゃないかしら」
カイトは地図を覗き込み、腕を組んだ。
「東エウロねぇ。うーん、なんとなくその線は低いと思うぜ。今回、イリスが暴露した政治家はアメリア政府の人間が中心だし、爆破されたヘリオス社もアメリアの大企業だ。標的は明らかにアメリアに向いてる」
彼はモニターを指差した。
「そりゃ、オレには魔法の力なんて想像もつかないから、もしかしたら東エウロに拠点を置いて、そこから遠隔でヘリオスを攻撃したのかもしれないけどさ。」
「…そうだね」
ルドルフが静かに同意した。
「イリスは、遠くから爆弾をポンポン落として高みの見物をするような性格じゃない。彼女が本気で何かを変えようとするなら、必ずその中心地の近くにいるはずだ。アメリア…可能性は高いと思う」
「アメリアかぁ…」
ノエルはため息をついた。
「遠いよね。どうやって行こう…お金、全然持ってないんだけど…」
「おいおい、サンタクロース見習いが何ケチくさいこと言ってんだ?」
カイトは呆れたように言った。
「そこの赤鼻のトナカイと魔法のソリで、ひとっ飛びだろ? それがサンタクロースってもんだろ?」
「はは…やっぱり、みんなそう思うよね」
ノエルは苦笑した。
ルドルフが、いつものように落ち着いた口調で説明を始めた。
「僕たちサンタクロースの力は、神聖なものだからね。使える条件があるんだ」
「聖夜、あるいはそれに準ずる特別な時に、子供たちの純粋な願いに応えるためだけなんだ。困っている子を助けたい、悲しんでいる子を励ましたい、子供たちを笑顔にしたい…そんな清らかな心に共鳴して、初めて奇跡は起こる。大人の都合や、ましてや個人的な目的のために使えるような便利な力じゃないんだよ」
「へえー、サンタクロースってのも、随分と不便なもんなんだな」
カイトは鼻で笑った。
「じゃあさ、こういうのはどうだ? 入手困難な限定版のおもちゃとか、プレミアもののゲームとかを、その魔法の袋から大量に出してさ、ネットで転売して大儲けするんだよ。足のつかないフリマサイトのアカウントくらい、オレがいくらでも用意してやるぜ。成功報酬は3割バックでどうだ? 旅費くらいすぐに稼げるぞ」
「ダメに決まってるでしょー!」
ルドルフが即座に、そして少し怒ったように言った。
「ちぇっ、冗談だよ、冗談」
カイトは肩をすくめた。
「でもよぉ、サンタクロースの力は神聖だー、清らかな心だーって言うのは分かってるけどよ。今、イリスっていう、オレからしたら得体の知れない強力な魔女をなんとかしようって時にさ、そんな悠長なこと言ってていいのか? ノエル君よぉ、覚悟が足りねぇんじゃねえか?」
カイトの目が、鋭くノエルを捉えた。
「オレはな、目標のためならなんだってするぜ。表向きはしがない情報屋だが、裏では顔を出さないVtuberをやってて、そこそこのインフルエンサーでもある。いざとなったらネット世論だって動かせる。グレーな依頼を受けて、ダークウェブ上で個人情報を漁ることもある。違法とは言わねえが、褒められたもんじゃない仮想通貨を拝借することだってある。そういうダーティなことも含めて、目的を達成するための『覚悟』ってもんがあるんだよ。君には、それがあるのかい?」
カイトの言葉は、ナイフのようにノエルの胸に突き刺さった。ノエルは何も言い返せず、俯いてしまう。
重くなった空気を変えるように、リリィが明るくパン、と手を叩いた。
「はいはい、無駄話はそのくらいにして! ねぇ、ノエル、ルドルフ。アメリアまでの旅、もしよかったら私と一緒に行ってみない?」
「え?」
ノエルが顔を上げる。
「実はね、私、世界中の珍しい食材を集めて料理の腕を磨くために、船で旅をする計画を立てていたの」
リリィは手帳を取り出し、ページをめくった。
「豪華客船『オーロラ号』で、スヴェーア、ノルドヴェーグ、メルケ、スネーランド、ノースウッズを経由して、アメリアの東海岸まで行く航路よ。それぞれの寄港地で、その土地ならではの食材を集めようって、前々から計画していたの」
彼女はにっこりと微笑んだ。
「ちょうどいい機会だし、一緒に行きましょう。旅費は、私の食材集めを手伝ってもらう代わりってことで、どうかしら?」
「ほ、本当!?」
ノエルの目が輝いた。
「ありがとう、リリィ!助かるよ!」
「へえ、豪華客船ねぇ。そりゃ優雅でいいや」
カイトが口笛を吹いた。
「ま、オレはここからイリスの動向を探りつつ、情報収集を続けるさ。アメリアに着いたら連絡くれよ。現地の頼れるハッカー仲間を紹介してやる」
「ありがとう、カイトさん!」
ノエルは力強く頷いた。
アメリアへ。目的地が決まり、ノエルの心に新たな決意の光が灯った。