サンタクロース協会の憂慮
北極の奥深く、オーロラが七色のカーテンのように揺らめくサンタクロース協会にも、「黒き聖夜の審判」のニュースは届いていた。それは、温かな暖炉の火を囲み、ホットチョコレートの甘い香りに満ちたこの聖域には似つかわしくない、冷たく、そして悲しい報せだった。
妖精たちが働く工房の一角。古株の妖精たちが集まり、沈痛な面持ちで古い羊皮紙のニュース記事を読んでいた。
「ネットワークに忍び込み、情報を操る魔法…まさか、あの時の『好奇心』が生んだあぶくのような力が、こんな形で使われることになろうとはのぅ…」
緑の帽子を目深にかぶり、長い白髭を揺らす老妖精が、力なく肩を落とした。彼はかつて、おもちゃ工場の技術開発を取り仕切っていたグレンという名の妖精だった。
「あれは…そうじゃったな、外の世界で『こんぴゅうたぁげぇむ』なるものが流行りだしての。子供らがそれを欲しがる手紙も増えてきて…わしら古いもんには新しい理は難儀じゃったが、なんとか魔法で、子供らを笑顔にする『夢の盤上遊戯』でも作れんかと、古い知恵を絞ったもんじゃ」
グレンは遠い目をして、工房の天井を見上げた。そこには、彼が若い頃に作ったであろう、少し古風な木製のロボットや飛行機が、誇らしげに飾られている。
「じゃがな、その『夢の盤上遊戯』の魔法を織りなす過程で、意図せずして顕れてしもうたのじゃ。人の心の網の目に入り込み、情報を書き換えるような…実に、手に負えぬ影がな。あれはまさに、望まぬ副産物じゃった」
彼の隣にいた別の妖精が、ふう、と苔むしたような深いため息をついた。
「多くの試行錯誤の先に、一つの光明があるは世の常じゃからのぅ。じゃが、イリス嬢が、よりにもよって禁書に手を出すとは…」
その時、工房の入り口に、静かな威厳を漂わせた人影が現れた。サンタクロース協会の長、聖ニコラス22世だ。彼は厳しい、しかし深い悲しみを湛えた表情で工房の中を見渡し、そして、グレンのそばへと歩み寄った。
「グレン、話は聞いておったぞ」
その声は落ち着いていたが、重い憂いが影を落としていた。
「おお、ニコラスの坊やか」
グレンはゆっくりと顔を上げ、旧知のサンタクロースを見つめた。その目には長い年月を生きた妖精特有の、森の奥のような深さがあった。
「おぬしも、心を痛めておるのじゃろう。まるで凍てつく夜風が魂を撫でるようじゃな」
「…うむ」
聖ニコラスは静かに頷いた。
「イリスのこと、そして、彼女が選んでしもうた道のことを思うと、心が重く沈むのじゃ。まるで、終わらない冬が来てしまったかのようじゃ」
「のぅ、ニコラスの坊や、一つ尋ねたい」
グレンは杖にそっと体重を預け、探るような目で問い詰めた。
「悪用される危険のある魔法を、わざわざ禁書としてまで残しておく必要が、果たしてあったのか? 悪い芽は、育つ前に摘み取るのが道理ではないのか?」
聖ニコラスは、グレンの長年の知恵から来る問いを、真っ直ぐに受け止めた。しばしの沈黙の後、静かに、しかし確かな重みのある口調で語り始めた。
「…グレン、その問いはもっともじゃ。儂とて、幾度も自問した。じゃがな、それが我々サンタクロースに代々伝わる掟であり、未来への責務でもあるのじゃ。魔法の力は、光もあれば影もある。使い方一つで、祝福にもなれば、計り知れぬ悲劇を生むこともあろう。だからこそ、成功も失敗も、善き力も…そして危険な力も、全てを記録として残し、その危うさを後世に伝えねばならん。それが、同じ過ちを繰り返さぬための、我々の…儂に課せられた務めだと、そう考えておるのじゃ」
彼は窓の外、静かに舞い落ちる雪の景色に目を向けた。その横顔には、深い苦悩の色が浮かんでいた。
「…いや、詭弁じゃろうか。グレン爺の言うとおりかもしれん。儂が、サンタクロースたちの…そして、イリスの持つ善き心を、過信していたのかもしれんな。純粋な光が、時として影をも濃くするということを、見誤っていたやもしれん…」
「善性、か…」
グレンは再び深く息を吐き、白髭を撫でた。
「儂は…イリスは限りなく善き娘であったと思うておるよ。泉の水のように純粋で、春の陽だまりのように優しくて、誰よりも子供たちの痛みに心を寄せられる子じゃった。だからこそ…あの手紙を読み、人の世の非情さを目の当たりにして…己の非力さに耐えきれず、禁じられた泉に手を伸ばしてしまったのじゃろうな…」
工房に、重い沈黙が落ちる。暖炉の薪がパチパチと爆ぜる音だけが、静かに響いていた。