婚約者にうとまれ傷ついていましたが運命を変える犬に出会いました 今更縋られても知りません
「ライアン殿下! いい加減もう一度お考え直しください! 婚約者であるわたくし、エルサがおりますのに、むやみやたらに女性にお声をかけるなど王族の品位に関わります!!」
ピンクブラウンの美しい長い髪をゆるく巻き、普段は優しいであろう大きな目を少し吊り上げ怒りをあらわにしている美しい女性にたいして鬱陶しそうに男は答える。
「うるさい! いちいち私に指図するな!! 王族として親睦を深めるのも役目の1つだろう!!」
王族特有の金の髪を乱暴に手で乱し、切れ長の目に美しい青色の瞳が容赦なく自分の婚約者を睨みつける。端正な顔立ちのため、耐性のない者はきっとすくみ上って何も言えなくなるだろうが、彼の幼い頃からの婚約者にはもちろん効きそうにない。
ここは、貴族が通う由緒ある学校の生徒会室の一室である。その部屋で二人の男女は毎回のように言い争っていた。その光景は、一種の風物詩となっていて、同じ部屋にいる生徒会メンバーもまた始まったと呆れた顔を隠さず二人を見てうんざりしていた。
ライアン・ブライトの女好きは今に始まったことではない。毎年、春と秋のこの時期の王室主催の茶会で見繕った好みの女性にちょっかいをかけ、勘違いした女が、婚約者であるエルサ・カスティーにマウントを取る。そして王族としてしっかりと国を支える王になってほしいとエルサがライアンに注意する。そして冒頭のような言い争いになる。それが毎年春と秋の一番忙しい時に行われ続けること5年……。周りとしても困惑を通り越し、怒りへと変わっていっていた。
「まあまあ!お二人共落ち着いてください! エルサ様。申し訳ありませんがまた別の機会に殿下とお二人で話し合っていただけませんか?」
そう面倒臭さを隠さず発言したのは、唯一王族と侯爵家令嬢に意見ができるこの国の宰相の息子であり、王太子の幼馴染でもあるローワン侯爵令息である。茶色い髪を少し伸ばし、眠そうな目を時折真剣な眼差しにしバカ王子と向き合う姿が隠れた人気の男性である。ローワンは他の生徒会メンバーからも信頼されているため、本来言いづらい本音を口にしてくれたことに皆が同意し、口にはださないが迷惑そうにエルサとライアンを見つめる。
しかし、エルサにもこの場所でなければならない理由がちゃんとあるのだ。そして何回目になるかわからない説明と、エルサも腹に据えかねているものが限界にきていたので一言厭味を添える。
「皆様いつもご迷惑おかけしていること誠に申し訳ございません。何度もご説明させていただきますが、会議の前でないとライアン様はすぐどこかへ行ってしまわれるので、この場でないと話ができないのです。恥ずかしながらわたくしも王妃様からライアン殿下を支える者としてしっかりするようお叱りを先日受けてしまい、なりふり構っていられないのです」
ちらりとライアンを諫めるように見る。しかし、ライアンはその反抗的な態度と恥をかかされたという思いで腹を立て、とんでもない暴言を吐いてしまう。
「お前の努力不足を私のせいにするな! 会えば何かと上からものを言い、指図までする! 何様だ!? お前といると息が詰まる!! お前のようなかわいげのない女より他の女に目がいくのは当然だろう!!
お前こそもっと女として、婚約者として私を繋ぎとめる努力をしたらどうだ!?」
しんと静まり返る生徒会室。思わぬ暴言を受けたエルサは茫然としてしまう。そしてゆっくりとうつむき、声を震わせながら謝罪する。
「……ですぎた真似を致しましたことを深くお詫び申し上げます……。今後このようなことがないよう一層精進してまいります。……失礼致しました」
震える声とは裏腹に完璧なカーテシーを披露し足早に部屋を出て行ってしまった。修羅場を目撃してしまった者達は、あまりの王太子の酷さに思わずエルサに同情してしまった。なぜなら皆がエルサの並々ならぬ努力の数々を知っているからである。確かに迷惑だとは思っていたし、この時期やらねばならぬことが多くあり心に余裕をもてなかったのもあった。だが王太子が捕まらないこともわかっていたし、何より今回のことで、毎回あのバカ王子にエルサは付き合わされていると嫌でも理解してしまい、逆に申し訳ないことをしたと後悔した。それはローワンも同じだったようだ。
「ライアン! いくら何でも酷すぎるぞ!! エルサ嬢が君のために沢山努力していたのは知ってるだろう!? そりゃ厭味の一つでも言いたくなるさ。君は変わろうとしないのに王妃様からエルサ嬢のせいにされたら……。あぁ、僕はそんな事情も知らずになんてことを……!」
王妃に責められていたことを知らなかったとはいえローワンも自分の態度に深く反省した。王妃は完璧主義に近い性格で、それを自分にも人にも求めるのだ。エルサは唯一その王妃から認められた素晴らしいご令嬢なのに、その凄さに甘えてしまっていた。完璧な人間などいやしないのに。すべて彼女の努力なのに。王妃様の最大の欠点はこのバカに甘いことである。
「ふん! 母上に責められたなど私のせいにしおって!! エルサが美しいのは見た目だけだ。どうせ結婚はエルサで決まってるんだから今くらい羽目を外してもいいだろうが」
吐き捨てるようにつぶやくライアンに皆が絶句した。
「……ライアン。君にはまだ婚約者候補が二人いただろう。知らないぞ捨てられても」
「バカを言うな! エルサは私に惚れ込んでる。あの毎度の小言がいい証拠だろ! 女といるといつも口うるさく嫉妬をむけてくる」
まんざらでもなさそうに喋る王太子に皆が嫌な予感を感じずにはいられなかった。
放課後、従者が迎えに来てくれたいつもの馬車に乗り込むエルサ。侍女のナターシャは自分の主が見たことないほど落ち込んでいる姿に心底心配した。
「お嬢様、どうかなさったのですか? お具合が悪いのですか? ナターシャにできることがあれば何でもお申しつけください!」
幼い頃からずっとエルサのそばにいてくれた侍女がとても心配そうにしている。茶色い髪を綺麗にまとめあげ清潔感を常に心がけている姿に安心と信頼が持てた。なによりいつも優しく見守ってくれるおっとりとした目が大好きだった。心のどこかで姉のように慕っていたナターシャに、気づけば先ほどのことをすべて話していた。
「まぁ!! 何って酷いご婚約者でしょう!! 私の大切なお嬢様に!! こんなにも頑張っていらっしゃるエルサお嬢様にーー!!」
きぃー!!っと感情をあらわにするナターシャと話が聞こえてしまった他の従者も内心、心底憤っていた。
「だいたいエルサお嬢様に王族の方々は頼りすぎなのです!! お嬢様の人生をなんだと思って……!!」
「ナターシャ。不敬罪になってしまうわ」
「かまいません!! お嬢様のお心も人生も守れるのなら私の命など安いものです!!」
「それは悲しいわ。でも、ありがとう……」
ナターシャの言葉にエルサは思わず涙ぐんでしまう。だが、その涙に淑女としての見栄を守らなければと無意識にグッと我慢し、いつものように小さく微笑む。その姿にナターシャはまたしても胸が痛くなったが、主の努力に水は差せないと自身もこらえる。
窓からは沈む夕日のキラキラとした反射が周りを赤く染め上げていた。その時ふとエルサは昔を思い出す。それは5年前にこの世を去った大好きな祖母のことだ。気づけばエルサは口を開いていた。
「……ねぇ。マーヤ湖に行ってくれない?」
「マーヤ湖ですか? わかりました。御者にお伝えしますね」
日が暮れそうではあったが、主の気分を少しでも楽にできるならと皆が行こうと同意してくれた。その優しさに感謝しつつ、エルサはマーヤ湖の伝説と祖母との思いでを振り返っていた。
『いいかい? エルサ。マーヤ湖には運命を司る女神様がいらっしゃるんだ。辛くなったら行ってごらん。優しい女神様はきっと苦しんでいる人に素晴らしい運命を用意してくださるから……』
優しく笑う大好きな祖母。女神様よりも祖母に会いたくて、縋るような気持ちで湖に向かう。
森の奥にある少し小さな湖。美しい水質を誇るエメラルドグリーンの湖は日が暮れてもなお美しい透明度だった。その湖面を覗こうとすると、森の奥から一匹のボロボロの犬とその犬を追いかけて三匹の犬が牙をむきながら、自分たちがボロボロにしたであろう犬にさらに追い打ちをかけるために襲い掛かっていた。そばにいたナターシャはエルサを抱きしめるようにかばい、護衛の騎士もエルサを守ろうと前に出て剣をかまえる。しかし犬達は気づいてないようで、一匹の犬を執拗に攻撃していた。
「お嬢様! ここは危険です。帰りましょう」
ナターシャに促され、騎士にそっと手を差しだされるが、エルサは犬達から目が離せなかった。尻尾を丸め、怯えて逃げ続けるボロボロの犬。もう反撃などできようもないのに攻め立てる三匹の犬達。その姿が自分と重なって見えてしまった。そしてどうしようもない怒りがこみあげてくる。今まで抑えに抑えていた感情が噴火するマグマのようにせりあがってきた。
「うわあああああぁぁぁ!!!!」
気づいた時には騎士の剣を奪い、攻撃をやめようとしない三匹の犬に剣を振り回していた。あまりのエルサの剣幕と叫びに三匹の犬達は慌てて逃げていく。肩で息をしながらボロボロの犬へと振り返る。ビクッと体を震わせ怯えた目で犬は見つめてくる。
「お嬢様!! ご無事ですか!?」
「なんて無茶を……!!」
ナターシャや騎士が口々に心配してくれるがエルサはそれどころではなかった。気持ちを鎮められず今まで押し殺していた感情が溢れて止まらない。誰も見たことがない程しゃくり上げ涙を流し続けるエルサに皆が驚き動けなくなってしまった。剣を落としがっくりと膝をつき泣き続けるエルサ。ナターシャも騎士もどうしていいかわからず、主を追いかけるように膝をつき慰める。その時、ボロボロの犬がエルサの匂いを恐る恐る嗅ぎ、ペロっと手を舐める。恐怖の消えない目だったが、まるでエルサを気遣うようにジッと見つめる。
「……なんて……優しい子なの……」
その姿にエルサは犬を優しく抱きしめ子供の様に泣き続ける。犬の汚さにナターシャは一瞬戸惑ってしまったが、決して感情を表に出さずずっと我慢し続けた大切な女の子が人目もはばからず泣く姿に思わず涙ぐむ。エルサは一頻り泣いたあと優しく犬に話しかける。
「ワンちゃん……一緒に行きましょう……」
犬を抱きしめ帰路に就く。そして我が家に入ると家族や他の従者が驚きと焦りをもってして出迎えてくれた。
「エルサ……! どうしたんだ!! その……犬は……?」
父グレイルは泣きはらしたであろう目を隠さず、ボロボロの犬を抱えて家へと戻った愛する娘を酷く心配する。人のよさそうな顔を精一杯困らせ、娘と犬とを交互に見やってどうしていいかわからず珍しく焦っていた。
「エルサ……! 大丈夫よ。事情を話してくれる……?」
母アメリアが娘の目線まで屈みこみ同じく人のよさそうな優しい目をエルサに向け、そして腕の中で震えて上目遣いをする犬を見る。犬はアメリアと目が合うと体を大きく震わせエルサに強く抱き着き尻尾をさらに深く丸めてしまった。その犬にエルサは頬を寄せ、抱きしめる力を少しだけ強くした。
汚い犬に躊躇せず、何も喋ってくれない娘に両親は顔を見合わせ困り果てる。ナターシャは他の侍女に目配せしエルサを任せるとグレイルとアメリアに事情を説明する。その間にエルサは医療器具を持ってきてもらい、犬を優しく治療する。犬は不安そうにエルサを見つめるが、微笑み頭を優しくなでてくれるエルサに小さく尻尾を振ってされるがままになる。
「……なんてことだ! 殿下も陛下もあんまりだ!! エルサをなんだと思ってる……!!」
「……あなた、王族にまかせたのが間違いでしたわ……。これからどうしましょう?」
夫婦で話し合いエルサと犬を見る。嬉しそうに、そして慈しむように犬を愛でる娘を見て心に決める。驚かせないように、ソファーに座っているエルサと犬に近づく。
「エルサ。その子はうちで飼おう。今日からみんなで世話をしよう。」
「ふふ。では名前を決めてあげましょう。エルサ、どんなお名前にする?」
驚くエルサ。反対されると思っていた。そうなったら醜くわめいてもこの子を守ろうと思っていたが、杞憂に終わった。身構えていた分また涙がポロポロと落ちていく。その痛々しい姿に父も母も涙を目にため、愛する娘を優しく抱きしめる。その主一家の愛と温かさに従者一同も涙を拭う。
「おとうさま……おかあさま……みんな……」
泣きはらした目が痛い。そしてしゃくり上げすぎて上手く言葉が出ず、舌足らずになってしまったが恥ずかしさなど感じなかった。そして、手に湿った温かさを感じ目を向ける。自分の方がボロボロなのにエルサを気遣うように舐める犬に嬉しさと、そして苦しみからの解放を感じた気がした。
こんなにも家族や沢山の人に愛され思われていた事実をしっかりと受け止める。今だけはこのぬくもりをまだ感じていたくて目を閉じた。カスティー侯爵家が本当の意味で一つになった瞬間だった。
そして三か月が過ぎた寒い冬。カスティー家は冬の寒さに負けない暖かさが家全体を優しく包み込んでいた。
「ダスティン!! ほらおいで!!」
「ワンワン!!」
ダスティンと名付けられた犬はあれから手厚く看病され、ボロボロだった毛は愛情をたっぷりと受け艶々と美しく輝き、貧相だった細い尻尾はフサフサと元気よく揺れている。愛嬌たっぷりのダスティンはカスティー家と従者達のアイドルとなっていた。ダスティンも優しい皆が大好きで、いつも皆の周りを明るく歩いてまわり、嬉しそうに遊んでもらっていた。中でも特別大好きなのはもちろんエルサである。
エルサが学校で日中いないことを最初は不安そうにしていたが、賢いダスティンはそういうものだと理解し、エルサが帰ってくるであろう時刻に玄関の大扉の前でちょこんと座り大人しく待つことを覚えた。その姿がまたカスティー家の癒しとなり、エルサが帰ってくる頃には皆がダスティンと一緒にエルサを盛大に出迎えることが日課となっていった。
そんな惜しみない愛をダイレクトに伝えてくるダスティンのことがエルサは愛おしくてたまらなかった。今まで傷つけられていた心が徐々に癒されていくのを身に染みて感じていた。ダスティンを通して今まで見ようともしなかった人の愛も見えるようになったことにも感謝でいっぱいだった。
庭で楽しそうに駆け回る愛娘と愛犬を愛おしそうに、父グレイルと母アメリアが見つめる。その手にはダスティンが使ってくれるだろうかと犬用のおもちゃをいくつも手作りしたあとだった。その光景を従者が微笑ましく見守る。すべてがいい方向へと進み、幸せな日々を過ごしていた。
そんなカスティー家とは逆に王太子ライアンはイライラとしていた。あれから一度も自分のもとを訪れないエルサに腹を立てていたのだ。最初はようやく反省したかと自分の勝利を確信し、女性と遊びまくるという王族にあるまじき暴挙を繰り返していたが、一か月たっても二か月たってもエルサはライアンの前に姿を見せることはなかった。そして女遊びに少し飽きてきた頃、相手をしてやるかと偉そうにエルサのいる教室へとむかうもエルサは学校が終わるとすぐに帰宅をするらしくいつもいなかった。
「なんなんだ……! エルサの奴!! またこの私に恥をかかせて……!!」
そうつぶやきながら廊下を不機嫌に闊歩する。その間に自分が遊んだであろう勘違いした女生徒が馴れ馴れしく話しかけ腕を妖艶に絡ませてくる。いつもなら鼻の下を伸ばしたくなる出来事だが、今はエルサへの怒りで頭がいっぱいのため、鬱陶しそうにその手を払いのける。以前と違う冷たい態度に一瞬、女生徒は止まってしまったが、我にかえると怒ってどこかへ行ってしまった。
その女生徒の身分不相応な態度にも腹ただしさを感じ、さらに乱暴に歩を進め生徒会室の扉をそのままの勢いで同じく乱暴に開け放つ。誰もいない部屋で不機嫌さを隠さず舌打ちし、ソファーをベッド代わりに寝転がり目を閉じる。
「どうせエルサが我慢できなくなって私にいつものように縋りついてくる……」
怒って傷つくエルサの顔を思い出しニヤける。なんだかんだでエルサの美しい顔と魅惑的な体が好きなライアン。最低最悪なこの男の本性を実の母である王妃は見抜いているのだ。だからこそ最後はエルサと結ばれるのだから、つまみ食いをしたい時期だと最低な言い訳を自分に言い聞かせながら眠りにつく。
だが、ライアンの思惑は外れ、三か月が経ってもエルサがライアンの前に姿を見せることは一度もなかった。
「どーーーなってるんだ!! エルサの奴!! もう許さん!!!」
「そりゃそうだろう……。あんな酷いこと言われたら我慢の限界なのはエルサ嬢のほうだろ……」
友であるローワンの言うことが怒りのあまり耳に入ってこず、ズカズカとエルサがいるであろう教室に足を踏み入れエルサを呼ぶ。しかし反応がない。昼休みならいるだろうと狙って来たのにいないとわかるとまた頭にくるライアン。近くにいた生徒に詰め寄り人目もはばからず怒鳴りつける。
「エルサはどこ行った!!」
「エ……エルサ様は……家庭科室の方へ、い、行かれました……!」
王太子に突然詰め寄られビビり散らかす男子生徒を気にもかけず、怒りのままエルサがいるであろう家庭科室へと急ぐ。教室の前までくると、複数の女生徒とそしてエルサの楽しそうな声が聞こえる。が、次の婚約者の発言にライアンは固まってしまう。
「ダスティン喜んでくれるでしょうか?」
聞いたことのないエルサの明るい声と知らない男(犬)の名前を聞いて、頭が怒りで沸騰しそうになった。その怒りのまま教室の扉を壊れんばかりの勢いで叩きつけるように開ける。
「「きゃあ!!」」
その激しい音に複数の女生徒は悲鳴を上げるが、エルサは驚いた顔をしてはいたが声を上げるようなことはしなかった。
「エルサ!! お前……! いつまでも姿を見せないと思ったら浮気などと……!! 王族を謀った報い覚悟しろ!!!」
怒りに身をまかせ言い放った言葉を聞いたローワンは頭を抱え呆れ果てる。肩で息をし、興奮するライアンに女生徒一同は冷ややかな目を向けたあと怒りを含みながら、友であるエルサを守るために発言する。
「恐れながら王太子殿下。これは犬用のクッキーにございます」
「そんな言い訳が通じるわけ……ふが!!」
喚き散らすライアンの口の中にエルサの一番の親友であるマリッサがクッキーを大量に勢いよく詰め込む。突然のことに驚いたライアンだったが、クッキーを自分の口に詰め込んだ女生徒を見て人知れず唾を呑む。
真っ赤な燃えるような髪をポニーテールにし、大きな猫目は怒りを含ませさらに吊り上げライアンを睨んでいた。健康的な小麦の肌は大事な同盟国である海洋国家の民の特徴。目の前でライアンに怒りを隠さず向け続けるこの女性はその海洋国家の第二王女であり、留学生としてこの学校に在籍している大事な人物である。
エルサの親友であるのと一人の発言でなにかがあるわけではないとは思うが、万に一つでも可能性がないわけではない。自分のせいで、内陸にあるこの国の生活に欠かせない塩の輸入に影響がでる恐れがあったため、そのことを頭で瞬時に計算し怒りをマリッサに向けずに口の中のクッキーを静かにモグモグする。
「……う``っ!?」
うぇっと口の中のクッキーを盛大にゴミ箱に吐き出すライアンにずっと冷ややかな目を向け続けるマリッサと女生徒達。
「なんっっっだ!? このクッキーは! まずすぎるぞ!!」
「当たり前です。犬用だって言ってるでしょう」
そう吐き捨てるマリッサにライアンは何も言い返せずエルサを睨みつける。その威圧にエルサは何も感じてはいなかった。その気持ちを察したライアンはエルサに詰め寄る。
「犬用のクッキーではなく私に尽くすために努力をするんじゃなかったのか?」
凄みをこれでもかと利かせるライアンをエルサはじっと見つめ返す。その態度にさらなる怒りを感じたライアンはもっと言ってやろうと口を開こうとするがエルサに先を越された。
「わたくしはもうあなた様の婚約者ではありません」
「……は?」
エルサの衝撃的とも言える発言にライアンもローワンも動けなくなる。
「な……な……にを……言っ……」
「一か月前、王妃様にお会いしに行く父と母に伴い打診しに行ったのです。わたくしに王太子殿下をお止めすることができないこと、疎ましがられていることを。すると王妃様はここ二か月のあなた様の振る舞いをご考慮され、わたくしでは王妃として務まらぬとご判断し、婚約を解消する旨をお伝えくださいました。手続きも無事済みましたのでわたくしはもう王太子殿下の婚約者ではありません」
「な……な……!! なぜそんな勝手なことを……!!」
「勝手はどちらですか!? わたくしは再三申したはずです!! 先に梯子を外したのはあなた様ではありませんか!!」
「だ……だが! エルサは私を愛してくれて……」
「そんな訳ないでしょう!? 王太子妃としての責務を全うしなければならなかっただけです!! 愛などどこに感じるというのですか!?」
ライアンの顔から血の気が引いていく。何も言えず冷汗が止まらないライアンにローワンも何も言えなかった。さらに追い打ちをかけるようにマリッサが畳み掛ける。
「エルサは来年から私の国に留学するので本当にお別れですね」
嬉しそうに笑うマリッサに周りにいた女生徒はわっと祝福の言葉を述べる。
「おめでとうございますエルサ様!」
「せっかくできた愛犬家友達でしたのに寂しくなりますわ」
「でもマリッサ様のお国は動物も沢山いるのでダスティンもきっと喜びますね!」
友達の思い思いの言葉に今まで見たことがないくらい嬉しそうに笑うエルサにライアンは思わずドキッとする。そして縋るようにエルサの両腕を掴み震える声で懇願する。
「なぁ……エルサ……! 私はエルサを愛している……! は……はは……私は何て馬鹿だったんだろう! 今更、真実の愛に気づくなんて!! な? エルサもやり直したいだろ? なぁ!?」
掴まれた腕がどんどん痛くなっていくが、エルサはおくびにもださず毅然とした態度を崩さない。その親友の姿にマリッサは手を出さずハラハラとしながら見守っていた。
「奇遇ですね殿下。わたくしも真実の愛というものを見つけましたの」
その言葉に目を見開き嬉しそうに笑うライアンにとどめを刺す。
「ダスティンがわたくしに家族の愛と家に仕えてくれる者達の優しさに気づかせてくれたのです。わたくしが愛を囁く相手はダスティンと家族だけですわ。王太子殿下」
頑なにライアンの名前を呼ぼうとしないエルサに愕然とし、座り込むライアン。その時またしても教室の扉が強く開かれ大きな音をたてる。今度は悲鳴を飲み込んだ女生徒達とマリッサは何事かと扉へと目を向ける。
「ご機嫌よう皆様! あぁ! ライアン様ここにいらしたのですね♡ うふふ。新しい婚約者としてわたくしローズ・フランソワがお迎えに上がりましたわぁ!!」
そう言って座り込むライアンを容赦なく教室の外へと引きずっていこうとするローズと名乗る女生徒。美しい黒髪をツインテールにし、その髪型が生意気そうな幼い顔を可愛く演出することに成功していた。目は吊り上がってはいるが大きな黒い瞳がまたしても愛らしさを際立たせている美しい女性である。
「まぁ! ローズ様なら安心ですわね」
そう言って美しく微笑むエルサにローズが振り返りウィンクをする。
「おまかせくださいまし!エルサ様。わたくしが、しっっっかりとライアン様を躾て差し上げますので、ごゆっくりご学友とお過ごしくださいませ♡」
「ま! 待て!!私にはエルサという愛する女性が……!!」
「愛など幻想! とわたくしによくおっしゃっていたではありませんかライアン様♡ わたくしの使命はあなた様をこの国の立派な王にすることでしてよ!! 他の女になど金輪際近づけさせませんのでご安心を。オーホッホッホッホッホ!!!」
嫌がるライアンを引きずりながら高笑いをし嵐が去るが如く二人は去っていった。そのあとを慌てて追いかけるローワンを呆然とマリッサと女生徒達は見送り、エルサは満足そうに笑顔で小さく手を振っていた。
「……強烈な方だったね……」
「うふふ。ローズ様はとても責任感のお強い素晴らしい伯爵令嬢ですの。わたくしのことをいつも気にかけてくださいましたし、何よりこの国の未来を憂いておられ、努力を欠かさぬ方だったので、王妃様が直々にご指名されたのでしょう。」
そして婚約者候補の一人でもあることを皆に伝え笑い合う。
放課後、いつものようにいそいそと馬車に乗り込むエルサ。昼休みに焼いた犬用のクッキーを可愛らしい袋に包み誰に見せるわけでもないが綺麗にラッピングをした物を膝の上に乗せ、そわそわと窓の外を見る。
その年頃の少女らしい主にナターシャは嬉しそうに笑う。屋敷につくと早る気持ちを抑えながら大扉の前に立ち、開かれるのを待つ。嬉しさで興奮しているであろうダスティンが怪我をしないようにゆっくりと開かれる。と同時にやはり勢いよく飛び出し一目散にエルサへと飛びつき嬉しそうに吠える。
「ワンワン!!」
「ダスティン!!ただいま!!」
「お嬢様おかえりなさいませ!」
「皆ただいま!」
ダスティンを抱きしめ嬉しそうに笑うエルサに皆が温かくいつものように出迎える。その奥にはその様子を優しく見守ってくれる父と母。エルサはダスティンと一緒に愛する家族のもとへ飛び込む。
「ただいま!お父様! お母様!」
「「おかえりエルサ!」」
「ワン! ワン!」
幸せ一杯の家族の周りを嬉しそうに走るダスティンをもう一度抱きしめ、エルサはあの日、運命の女神様のもとに導いてくれた祖母に心から感謝した。
ここまで読んでくださってありがとうございます。