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お料理教室に通い始めた家事スキル0の女上司が可愛すぎる件

作者: 墨江夢

「……高い。高すぎる」


 コンビニの弁当コーナーの前に立ち、俺・長谷川慶(はせがわけい)は一人呟く。


 コンビニは便利な分スーパーマーケットよりも価格が高いというのは、重々承知している。それでも朝早くから開いているという利点から、こうしてコンビニを利用しているわけなのだが……。


 500円前後のお弁当と、150円のペットボトルのお茶1本。それだけでは足りないので、200円ほどするパンも購入する。

 合計すると、850円。安月給の身としては、昼食にこれ程の金額を費やすのは痛手だ。

 

 ……まぁ、最近物価がどんどん上がっているからな。仕方ないと言えば、仕方ないのだけど。


 上がらない給料。人手不足のせいで増える業務量。その為社員は続々と辞めていき、更に増える業務量。まさに負のスパイラルである。……割に合わない。


 しかしどんなに理不尽でも現実は現実で、今あるお金で生活していかなければならない。となると、どれだけ節約出来るのかが重要なわけで。


「……やっぱり、弁当作るとしようかな」


 同期も自炊の方がお金が貯まると言っていたし、これを機に料理を覚えるのも良いかもしれない。

 とはいえ職場で弁当を作るわけにはいかないから、今日は流石にコンビニ弁当に頼らせてもらうけどな。


 明日から頑張ろうと思いながら唐揚げ弁当を取ろうとすると、隣から「高いわね……」というどこか覚えのある呟きが聞こえてきた。


 隣を見ると、上司の三宅花織(みやけかおり)がコンビニ弁当を見ながら、眉をひそめていた。


「おはようございます、三宅さん」

「おはよう、長谷川くん。今日もお弁当が高いわね」

「ですね。明日から弁当を作った方が良いかと、絶賛思っていたところです」

「……もしかして長谷川くんって、料理得意系な男子?」


 期待のこもった三宅さんの質問に、俺は首を横に振って答える。


「簡単なものは出来ますけどね。レパートリーは、片手で数えるくらいです」

「あら、そう。……いや、それなら寧ろ丁度良いかしら」


 丁度良い? 一体何が丁度良いのだろうか?


「料理教室に通わない? 私も料理を覚えたいなぁって思っていたし」

「え? 三宅さんって、料理出来ないんですか?」

「出来ないけど……悪い?」

「悪くはないですけど……意外です。てっきり三宅さんは、何でも出来るスーパーウーマンだと思っていたんで」

「完璧な人間なんていないわよ。料理や掃除や洗濯は、私の苦手分野よ」


 ……あぁ、成る程。三宅さんは、自身のスキルを仕事に全振りしているタイプだったか。


 三宅さんの新たな一面を知れて喜んだ俺だったが、ふと衝撃の事実に気が付く。


「……もしかして、その料理教室って一緒に通うってことですか?」

「そうだけど……今更?」

「……マルチ商法とかじゃないですよね? ぼったくり同然の受講料取られるとか」

「私を何だと思っているのよ」


 だって美人で仕事が出来て、男性社員みんなの憧れてある三宅さんと一緒に料理教室に通えるなんて、そんな上手い話があるとは思えない。


「一人で通うのは躊躇っていたけど、長谷川くんとなら勇気も出るし。一緒に行ってくれると嬉しいんだけど……嫌かしら?」


 嫌なわけがない。寧ろこちらからお願いしたいくらいだ。


 取り敢えず「人に見せても恥ずかしくないお弁当」を目標にして、俺は三宅さんと料理教室に通うことになった。





 料理教室初日。


「……」


 俺は目の前に広がる光景に、言葉を失っていた。

 

 初日のお題は、卵焼きと味噌汁と白米のご飯。「日本の朝食」がテーマのようだ。

 初心者向けの、無難なお題だと言える。講師も、「お手本通りにやれば、まず失敗しません」と言っていた筈なんだけど……。


「ねぇ、長谷川くん。私とあなたって、同じものを作っていたのよね?」

「そうですね」

「同じ講師に教わって、同じ材料を使って、同じお手本を見ていたのよね?」

「そうですね」

「じゃあ何で、こんなにも違う料理が出来上がるのかしら?」

「わかりません!」


 三宅さんの皿に乗っているのは、黒い物体(恐らく卵焼き)と魔女のスープ(多分味噌汁)と離乳食(絶対に水加減を間違えまくったご飯)。日本の朝食どころか、ほとんど食べ物ですらなかった。


 講師も唖然としている。まさかここまで料理が苦手だとは、思ってもいなかったのだろう。


 俺と講師の表情を見て、色々と察したのか、三宅さんは慌てて言い繕う。


「いつもはね、もっと上手に出来るのよ? 今日はたまたま、調子が悪かったというか」

「そうなんですか。因みにいつもは、何を作っているんです?」

「それは……テリーヌとか?」

「……」


 嘘だな。

 味噌汁を魔女のスープにする人間が、テリーヌなんて作れるわけがない。俺は三宅さんに無言の圧力を向けた。


「うっ! ……ごめんなさい、嘘です。いつもはお湯入れて3分待つだけのラーメンや、レンジでチンするだけのチャーハンしか作っていないです」


 カップ麺と冷凍チャーハンは料理とは呼びません。


 講師の「私のレシピでゲテモノを作り出すなんて……この子、逸材だわ」という感想は、当然三宅さんの耳にも届いていて。恥ずかしさと屈辱で、彼女は固まってしまっていた。やがて、


「長谷川くん〜っ」


 涙目で俺に助けを求めてくる三宅さん。何だ、これ。可愛すぎる!

 いつも「出来る女」って感じの人だから、そのギャップがたまらなかった。

 




 料理教室に通い始めて、1か月ほどが経過したある日の昼休み。俺は三宅さんに呼び出されていた。


 俺だけ会議室に呼ばれるなんて、一体何をやらかしてしまったのだろうか? 最近の営業成績について、ありがたいお言葉(意味深)を受けるのかな?


「失礼します……」


 会議室に入ると、三宅さんは何やら神妙な顔つきで俺を待っていた。


 ゴクリ。俺は無意識のうちに、生唾を飲み込む。

 二人きりの会議室ということもあってか、妙な圧迫感が俺の心を支配していた。


「長谷川くん、もっと近くに来なさい」

「はい」


 俺は三宅さんの近くまで歩いていく。


「ここ、座りなさい」

「はい」


 言われた通り、俺は三宅さんの隣に腰をかけた。


「……お弁当、食べてくれるかしら?」

「はい。……って、はい?」


 俺は思わず聞き返す。

 三宅さん、今「お弁当食べてくれ」って言ったか?


 机の上には、確かにお弁当箱が置かれている。聞き間違いではなさそうだ。


「料理教室に通い始めて1カ月が経ったじゃない? その成果を、あなたに見て欲しいのよ」

「あー、成る程。そういうことですか。……それで、何を作ったんです? いつも通り、テリーヌですか?」

「コラッ、上司を揶揄わないの! ……手の込んだものは作れないから、取り敢えず卵焼きとお味噌汁にしてみました」


 三宅さんがお弁当箱の蓋を開けると、中には卵焼きがびっしり敷き詰められていた。

 黄色一緒のお弁当というのも、なかなか珍しいな。


 しかし大事なのは、そこではない。卵焼きが、ちゃんと黄色だということだ。

 初日なんて、最早炭と化していたからなぁ。


「それじゃあ、早速いただきましょうか。えーと……」


 手で摘むわけにもいかず、俺が箸を探していると、


「はい、あーん」


 ……何のご褒美だよ。


 三宅さんは気にしている様子がないし、味見(毒味かもしれないが)のお駄賃として、ここは素直に「あーん」して貰うこととしよう。


 俺は卵焼きを食べさせて貰う。

 

「……普通に美味い」


 見掛け倒しとか、砂糖と塩を間違えているとか、そんなお約束の展開はなく、シンプルに美味しい卵焼きだった。


「三宅さん、普通に美味しいですよ! 凄いじゃないですか!」


 心からの賛辞なのだが、どうやら三宅さんは不満なようで。


「「普通に」美味しい? 「とても」美味しいではなくて?」

「正直言うと、自分の方が美味しく作れると思います。でも、1ヶ月前に比べたら、格段に成長してますよ。今はまだ「普通に」美味しいでも、来月には「とても」美味しいになってるんじゃないですかね?」

「……それは、来月も私に卵焼きを作れってことかしら?」


 ……あっ。

 指摘されて気付いたが、今の俺の発言はそういう風に捉えかねないな。

 でも本音を言えば、来月も三宅さんの作った卵焼きが食べたい。


「……ダメっすかね?」

「…………別に良いよ」


 言質は取った。これで俺は、来月の昼休みも会議室に呼び出されることになる。

 ただの味見かもしれないけれど、みんなの憧れの三宅さんの手料理が食べられるんだ。役得以外の、何ものでもないだろう。





「んっ……ここは、どこだ?」


 とある土曜日。

 目を覚ますと、見慣れない天井が広がっていた。


 俺は起き上がり、現状把握に努める。


 辺りを見回すと、そこは見たこともない部屋だった。心なしか、甘い香りがするような。

 着用しているのは、パジャマではなくワイシャツとスラックス。どうやら着替えることなく、寝てしまったらしい。


 俺は昨晩の記憶をたどる。


「えーと、昨日は会社の飲み会があって、確か終電ギリギリまで飲んでいて……あれ? その後、どうしたんだっけ?」


 おかしい。2次会でカラオケに行ったところまでは覚えているんだけど、それ以降の記憶がない。

 如何にしてこの見知らぬ場所にたどり着いたのか、必死に思い出そうとしていると、すぐ横でモゾモゾっと何かが動いた。


 恐る恐る掛け布団をめくると……そこには、気持ち良さそうに寝息を立てる三宅さんの姿があった。


「……えっ、三宅さん?」


 呼ばれた三宅さんは、「なーに?」と反応する。それから眠い目をこすりながら、ゆっくりと起き上がった。


「おはよー、長谷川くん」

「おっ、おはようございます」

「長谷川くんと家で会うなんて、初めてのことよねー?」

「そっ、そうですね」

「しかも同じベッドで寝ているなんて……えっ、同じベッド?」


 自身で口にして、ようやく今の状況を理解したらしい。三宅さんの顔が、一瞬にして真っ赤になった。


「えっ、何で!? 何で長谷川くんがウチにいるの!? 何で一緒に寝ているの!?」

「落ち着いて下さい、三宅さん! 因みに俺にもわかりません!」

「もしかして、しちゃった!? 私の純潔、奪われちゃった!? 検査薬買ってきた方が良いかしら!?」

「だから落ち着いて下さいって! ……あと、多分何もなかったです」


 お互い服は乱れていないし、多分酔い潰れて寝落ちしただけだろう。


 二次会の後どうなったのか知る為に、俺は飲み会に参加していた同期と連絡をとってみた。

 同期が言うには、珍しく酔い潰れた俺を、これまた珍しくベロンベロンになった三宅さんがお持ち帰りしたらしい。「三軒目(自宅)行くどー!」とか言いながら。

 

 酒は飲んでも飲まれるな。

 記憶がなくなるまで飲んだ自分たちの失態である。


「察するに、悪いのは私のようね。無理に付き合わせてしまってごめんなさい。あと、昨日の私の醜態は忘れて下さい」

「俺の方にも責任はありますよ。あと忘れるも何も、そもそも何も覚えてないです」

「そう。だったらここは、両成敗ということで。……連れ込んだのが他の人じゃなくて良かったわ」

「……今、何か言いました?」

「別に。……折角だし、朝ごはん食べていく?」

「三宅さんが作ってくれるんですか?」

「勿論!」


 そう言いながら、三宅さんはエプロンをする。エプロン姿の三宅さん、可愛いな。


「俺も手伝いましょうか?」

「いいえ。ここは私に任せてちょうだい」


「任せてくれ」と言われたら、お言葉に甘えたくなるものだ。

 俺は朝食が出来るまで、テレビを見て過ごしていた。


 およそ20分後。


「お待たせ」

 

 俺の前に置かれる朝食。今朝の献立は……白米のご飯と卵焼きと味噌汁だった。


「日本の朝食って感じですね」

「えぇ。初めて料理教室に行ってから、大体2ヶ月だもの。時期的にも、丁度良いでしょ?」


「いただきます」。俺は卵焼きを一つ食べる。


「……どうかしら?」

「……とても美味しいです」


 1ヶ月前と比較しても、三宅さんの料理の腕は格段に上達していた。

「普通に」から「とても」に変わったからか、三宅さんは隠すことなくガッツポーズを見せる。


「ご飯の水加減も最適ですし、味噌汁も最高です。毎日だって飲みたいくらいだ」

「……えっ? 毎日?」


 言った後で、俺は自身の失言に気がつく。

「毎日味噌汁が飲みたい」って……典型的なプロポーズじゃないか。


 ……そりゃあ、三宅さんと結婚出来るなら、結婚したいさ。夫婦になりたいさ。

 元々憧れの上司だったけど、一緒に料理教室に通い始めて、俺は彼女に対して憧れ以上の感情を抱くようになっていた。


 でもまぁ、三宅さんは俺のこと異性として見てくれてないんだろうな。

 どこまでいっても、手のかかる部下で。都合の良い味見役で。


 だから先程のセリフに他意がないことを、説明しないと。

 そう思って、俺が口を開くと、


「……取り敢えず、週に3回くらいでどうかしら? 私たちのペースで、ゆっくり関係を深めていきましょう」


 恥ずかしそうに、三宅さんは口にする。

 それって……俺と付き合ってくれるって解釈して良いんだよな?


 週が明けて、月曜日。

 三宅さんが、俺の為にお弁当を作ってくれた。


 なんでも今日の弁当はいつもとひと味違うとか。期待に胸を膨らませながら、弁当箱の蓋を開けると……ご飯の上に桜でんぶがハート型にかけられていて、めっちゃ可愛かったです。

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