四、男装令嬢の覚悟
「それで……えー……フィンリー君、いやフィンリー嬢とお呼びした方が良いのだろうか。
どちらにしても大変その、申し訳なく……」
目の前で、近衛騎士であるローガンが額と手を地につけてひたすら謝罪しているのを見下ろし、フィンリーはまだ混乱の中にいた。
天幕の中にはローガンとフィンリーの二人だけだ。
どうしていいやらこの空気、と思いつつフィンリーは覚悟を決めて目の前の騎士に向き合った。
フィンリーの悲鳴を聞いて駆けつけたローガンは彼女の裸をしっかりと見てしまった後、すぐに大きな布で彼女を覆うと脱いだ服ごとフィンリーを抱き上げた。
「えっ、ちょっ、あのっ!」
「とりあえず! 不快かと思いますが天幕まで堪えてください! 申し訳ない」
夜目にもわかる真っ赤な顔を見上げてフィンリーは、「終わった」と思った。
まだ王都に着いてもいないのに、知られてはいけない相手に男装がバレてしまった。旅の途中で気が緩んでいたというのは言い訳にしかならない。
とにかく、ここまで数年かけてクインと積み上げてきた『逆ざまぁ回避大作戦』はあっさりと終了だ。なんて、不甲斐ない。
フィンリーはこぼれそうになる涙を被された布の中で必死に堪えていた。
「お、俺は外に出ていますので! ゆっくり着替えをなさってください。あ、体も髪もしっかりと拭くこと。濡れたままでは風邪をひきますから」
極力フィンリーの方を見ないようにしながらそう言うと、ローガンはフィンリーを天幕に一人残して出て行った。
深々と息をついたフィンリーは、ローガンに言われた通り体や髪の水滴を拭い、再びしっかりと服を着こむと、天幕の外で待機していたローガンに声をかけたのだった。
「ローガン様。あの、顔を上げてください。これはその……事故のようなものですから。
それから、私のことはただのフィンリーで。お察しの通り、私は性別を偽っております。ですが、令嬢として王都に行くことも、アルデバラに戻ることも最早出来ません。
ですので……予定通り、『シンクレア辺境伯子息』として王都に向かわせてはいただけないでしょうか」
フィンリーの言葉に、ローガンはそろそろと顔を上げて彼女を見つめた。
最初に会った時から、男女どちらとも判別ができない双子だとは思っていた。しかし、共に旅をする中で、利発で闊達な少年でだと感じ、いい友人になれそうだと感じるようになっていた。
そして――。
ローガンは、見てしまった。フィンリーの全裸を。
胸の膨らみは普段布で押さえているのだろう、さほど大きくはないが、決して『少年』のそれではなく。
こうして向き合っていると、少年の服を着ていてももうフィンリーは『少女』にしか見えなくなっていた。
「……訊いてもいいだろうか。なぜ君は……君たちは男女で入れ替わっているのだろうか。君が女性ならば、そのまま王太子殿下の婚約者候補として王都に行くのが本来の王命に則しているのではないのか?」
王命は、『王太子殿下の成人の儀にあたって婚約者を選定する。貴族の令嬢はすべて王宮に参内すること』である。
シンクレア伯の双子の片割れである『令嬢』クイン・シンクレアは病弱のため王都までの旅は無理。よって『令息』の兄・フィンリーが祝儀の口上を述べるためにローガンと共に王都に向かっている……のが現状だ。
だが、フィンリーこそが『令嬢』であるのならば。
そのまま、王太子の婚約者候補として向かえばまったく問題はない。まだ王都にも、辺境伯家からは令息が向かうという連絡はしていないのだから。
「……それが、嫌だから。王太子の婚約者候補になんてなりたくない、『令嬢』でいたくないからこんな格好をしているんです」
硬い声でフィンリーは答える。
今世は決して『令嬢』ではいたくないから。
『逆ざまぁ』されるふわふわピンク髪の女でいたくないからこそ、幼いころからクインまで巻き込んで周到にあの呪いから逃れようとしてきたのに。
こんなところで、破綻するなんて。
フィンリーは唇を嚙み締めた。
不敬であることは分かっている。国中の令嬢が一度は夢見るであろう『王太子妃』。そんなものになりたくないと言って性別まで偽っているのだから、王に忠誠を誓う近衛騎士であるローガンとてフィンリーを不審で不敬な女だと思うだろう。
「アルデバラの邸で申し上げた通り……本当は王都にも近づきたくないんです。でも、シンクレア家から『人質』を出さないと我が家は取り潰されてしまうんでしょう?
だから……やっぱり、こうするしかないんです。
お願いです、ローガン様。このまま私を、『シンクレア伯の息子』として王都まで伴ってはいただけませんか。
私が女であることは、どうかローガン様の胸に秘めていただければと。こんなことを貴方にお願いするのは無茶なことだと承知していますが……」
胸の前で手を組み合わせて、必死な表情でフィンリーはローガンを見つめて懇願した。
秘密を知ったのは幸いにもローガンだけ。彼さえ口を噤んでいてくれれば、何とか――。
「これは、王を騙すことだと……君、いえ貴女は理解しているのですね?」
低い声でローガンが尋ね返す。フィンリーは唇を噛んだまま頷いた。
「もし他の者に露見した場合、俺も共に罪に問われることも?」
フィンリーは息を吞む。……分かっていた。ローガンに秘密を黙っていてほしいと頼むことは、彼を共に『罪』に巻き込むということも。
「わかって……おります。出来ることなら貴方を巻き込みたくはありません。
ならばいっそ……ここで私を、罪人として斬り捨てていただけませんか。旅の途中で盗賊にでも襲われたことにして。そうすればシンクレア家にも迷惑はかかりますまい。
跡継ぎにはクレアがいますから。元々私は余分なのです。余分なくせに禍をもたらすのが……私なのですから」
今世をここで終えることになっても。
今までの『運命』どおりのルートを辿るよりはよほどマシだろう。
あの呪いとしか言いようのない運命を何度も自分に辿らせる何かに、それこそ少しは『ざまぁ』出来るのではないか。
そう考えてフィンリーはふっと笑った。仄かな灯りの元、ストロベリーブロンドの髪がふわりと揺れる。
ローガンはそんなフィンリーに見惚れていた。
美しいと思った。まっすぐに何かを見据え、決して折れない彼女を。
そして、この健気で必死な少女を。守ってやりたいと、思った。
「……貴女には、どうしても『令嬢』でいたくない理由があるのでしょう。それを今は問いますまい。そして、決して貴女の秘密を漏らすこともしないと、騎士の剣にかけて誓います」
ローガンは自身の剣を抜くと、それを立てて騎士の誓いを成す。
それを見たフィンリーの方が驚いてしまう。
王への絶対の忠誠を誓う近衛騎士が。
自分のような小娘のために、剣の誓いを立てるなんて。
「ローガン様……っ!」
「さあ、フィンリー君。明日の朝は早く出発するぞ。今日はもう休もう」
にっこりと笑ったローガンが、フィンリーの肩を軽く叩く。
「ありがとう……ございます……っ」
涙ぐむフィンリーの髪に触れてローガンはつぶやいた。
「この髪もこのままで美しいと思うんだけどなぁ。隠すのは勿体ない」
「ふふ……これはね、私……僕が一番嫌いな色なんですよ。この髪のことも、ローガン様と僕の秘密、ということにしておいてくださいね?」
唇に人差し指を立てたフィンリーの仕草に、ローガンはどきりと胸が鳴るのを感じた。
(何だ……これは……動悸が、速い……)
その動悸の正体が何であるのか。
実は初恋すらまだ知らない残念近衛騎士のローガンには、見当もつかないのであった――。