三、アンラッキースケベで男装がバレるの巻
王都への旅は、最初は順調だった。
生まれた時からアルデバラで暮らしてきたフィンリーにとって、領地を出るのは初めてのことであり、目に映るすべてのものが珍しく新鮮だった。
先を急ぐ旅とは言え、王都へは七日はかかる。
宿がとれる時には勿論ローガンが宿を手配してくれたが、どうしても周辺に宿らしきものがなくて日が暮れてしまったのが、辺境伯を出て五日目の夜だった。
「ローガン様、申し訳ありません。この辺りには民家も見当たらず……。もう少し進むか、戻るかいたしましょうか」
護衛の騎士がそう報告するのへ、ローガンは困った顔をした。すでに今日一日走り続けて、人も馬も限界である。すでに日は暮れており、慣れぬ道で民家を探すのも困難だ。
「うーむ。それなら、フィンリー君だけでも俺が連れてどこか宿を頼めないか探して……」
「僕でしたら大丈夫ですよ、ローガン様。馬車の中で眠ったって平気ですし、野営だって構いません」
ここまでの旅で、だいぶローガンに打ち解けたフィンリーがそう答えた。
初対面では自分たちを王都に連れて行こうとする嫌な騎士だと思っていたのだが、話してみると案外気さくで優しい人だと分かった。フィンリーにこれから向かう王都のことを色々と教えてくれたのも彼だった。
若いように見えていたが、実際彼は21になったばかりだと言い、生まれは侯爵家の次男であることもその時に聞いた。
「えぇっ⁉ 野営⁉ さすがに辺境伯のご子息を野営なんてさせるわけには……」
「クインには絶対にさせませんけどね。僕なら平気です。父について辺境伯領の兵士たちとの野営訓練に付き合ったことだってありますし」
フィンリーの言葉にローガンは驚いて目を丸くする。
辺境伯とはいえ貴族の子息だ、見た目も少女のようなフィンリーはきっと箱入りなのだろうとどこかで考えていた。
心底感心したように、ローガンは言う。
「君が、野営訓練を? シンクレア伯は君を本当にしっかり辺境伯を継ぐ嫡男として育ててらっしゃるのだな」
本当は。
無理やりフィンリーがくっついていっただけなのだが。
今世は一人でも強く生きていけるようになろうと、辺境伯領に生まれたことを幸いに様々な知識や経験を積もうとフィンリーは考えていた。
当然、フィンリーが少女であることを分かっている父や母は最後までダメだと言ったが、フィンリーは一兵士の格好で潜り込んだ。途中ですぐに父に見つかったが、フィンリーは断固として帰らず結局最後まで野営を体験させてもらったのだった。
その時以来、両親はどこかで諦めたのかフィンリーのしたいようにさせてくれるようになった気がする。
「ですので、僕のことはお気になさらず。たまには野営もいいものですよ。王都に着いてしまったら絶対にできないでしょうからね。
それとも、王様の近衛騎士様は野営なんてお嫌ですか?」
からかうように言ったフィンリーに、ローガンは苦笑する。
「今は近衛騎士にいるが、これでも最初は王都の治安を守る騎士団に所属していたんだ。野営だって何度もしたことがあるよ」
「本当ですか? ダドリー侯爵家のご子息様が?」
先ほどの言葉の意趣返しに、ローガンはフィンリーの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「貴族の坊ちゃんの道楽騎士だとでも思っていたかい? ひどいなぁ。
じゃあ、とりあえず今夜はこの辺りの安全な場所で野営ということにしようか。すぐに準備に取り掛かってくれ」
報告に来た騎士が頷くとすぐに周りにそれが伝わる。
そして一団は街道から少し入った場所を野営地と定め、慌ただしく天幕を張ったり食事の準備を始めるのだった。
「え? 泉?」
簡単な食事を終えた時、周囲の見回りをしてきた一人の騎士が報告をした。
「ええ、小さなものですが綺麗な水が湧いています。地脈が通っている場所なのか、ほんのりと水が温かいのです。湯あみとまではいきませんが、水浴びくらいならできそうですよ」
いかがですか、と言われてフィンリーはためらった。
暖かな季節ではあり、健康な自分なら水を浴びても大丈夫だろう。それに、昨日は民家に泊まらせてもらったので湯あみは出来ず、そろそろ体の汚れが気になってはいる。
けれど――。
「夜の泉は怖いのかい、フィンリー君? 何なら一緒に入ろうか」
からかうように言ったローガンを睨む。
「別に怖くなんかありません。それにローガン様と一緒に入るのはお断りです!」
「ははは、じゃあ行って来るといい。俺が近くで見張っていてあげるから」
本音では近くにいられることも抵抗があったのだが。
これでもフィンリーは16の乙女である。野営も泉での水浴びも平気だが、近くに男性がいると思うとやはりまずいような気はする。
(まぁ、夜だし。すぐに出れば問題ないか)
汚れを落とすという誘惑には勝てず、フィンリーは立ち上がった。
「それじゃあ、少しだけ。ローガン様、見張ってくださるのはいいんですが、絶対覗いたりしないでくださいよ!」
「あいにく、俺は男の子の水浴びを覗くような性癖は持っていないのでね」
すました顔で言うローガンに舌を出し、フィンリーは着替えなどを用意してローガンと一緒に天幕を出たのだった。
「へえ……これは、きれいな泉だな」
騎士の案内で泉に着くと、ローガンは水を掬って言った。
「本当にほんのり温かい。これがもう少し熱を持てば温泉……というものになるのだろうか。この辺りの名物になりそうだけどな」
フィンリーもその水に触れてみる。これなら浴びても風邪は引かなそうだ。
「もしかしたらこの泉の他にもあるかもしれませんね」
「今度機会があればこの辺りを調査してみるのもいいかもしれないな。よし、じゃあフィンリー君入っておいで。俺はこの辺りを見張っているから、何かあったら呼んでくれ」
案内の騎士とともにローガンが離れたのを確認すると、フィンリーは服を脱ぎ始めた。
そして足先からそっと泉に浸かっていって、そっと息をつく。
やはりここまでの旅で気を張っていたらしい。もうすぐ王都だという緊張感もあるのかもしれない。
(もうすぐ王都……結局、自分から近づいちゃった)
鬘も取ってしまって、フィンリーは全身を泉に沈めた。
今の自分は男の子を装っていて、『逆ざまぁ』される令嬢ではない。
なのに、不安は常にフィンリーを襲っていた。こうして運命に抗ってみても、結局自分はまた繰り返すのではないかと。
あの断罪劇の空気など二度と味わいたくないのに、ひたひたと自分に忍び寄ってきている気もする。
(気合い、入れなおさないと! 私……僕はフィンリー・シンクレア辺境伯子息。今は無事にお祝いの口上を述べることだけ考えないと!)
ぱしゃん、と水を顔にかけて気合いを入れなおし、そろそろ出ようかと泉の縁に足をかけた、その時だった。
にょろり。
目の前を大きな長いものが横切るのが見える。
蛇、だ。
「ひっ……! きゃあああああぁっ!」
フィンリーは悲鳴を上げた。なんでも平気なはずのフィンリーだが、蛇だけは苦手なのだった。苦手というより恐怖すら感じる絶対無理案件。
「フィンリー君⁉ どうした⁉」
フィンリーの悲鳴を聞いて駆けつけてくる足音。松明を掲げてローガンがフィンリーを照らす。
恐怖で身を竦ませているフィンリーは、自分が今全裸をローガンに曝していることも気にしている余裕はなく。
「ふ、フィンリー、くん? え? 君は……女の子、だったのかい?」
真っ赤な顔をしてこちらを凝視しているローガンの声でフィンリーは、真っ青になる。
やっちまった。
王都に着く前に、バレてしまった。
『フィリはしっかりしているようでどこか抜けているから心配なんだよ』
呆れたようなクインの声が蘇る。
ええ、本当に。
抜けまくりでしたわ、お兄様。
絶望しながらフィンリーはとりあえず、もう一度泉に身を沈めたのだった。