表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/35

二十、クイン・シンクレア


 フィンリーが休暇を楽しみ始めたその日。

 王太子アレックスはいつものように執務室に赴く途中で、今日から”お気に入り”の侍従がしばらくいないことを思い出した。


(……今や”運命の恋人”だったっけ? 我ながらフィンリーには気の毒なことをしちゃったなぁ)


 ほんの気まぐれ。そして、(イザベラ)除けのつもりだったのだが。

 思った以上にあの宣言の波紋は大きく、フィンリーが一躍時の人となってしまい、最後は虚無の表情になっていたことを思い出してアレックスは笑った。


(まぁ、あとは……あの朴念仁もあれでようやく自覚したみたいだったから、結果的には僕、いいことをしたのでは?)


 昨日、しっかりとフィンリーの手を握りしめて帰って行った専属騎士の顔を思い出す。

 最初から彼がフィンリーを大切にしていることは分かっていたが、それが『恋』と呼ばれる感情だということに、あの残念騎士は気付いてもいないようで。

 結果、アレックスがああして焚き付けたことによってやっと自覚したらしい。


(……とは言え、そう簡単にフィンリーをあげるわけにもいかないんだけどねぇ)


 彼らに与えた『休暇』が終わった後、二人の仲がどう進展しているか楽しみだ……と思ったアレックスは、ふと前方に人影を認めて足を止めた。

 

「え? なんで?」


 アレックスの声に、その人物は困惑した表情を向けて来た。それは、アレックスも見覚えのある顔で。


「どうしてフィンリーがここにいるんだい? 君、今日から休暇だよね?」


 休暇を与えた”お気に入り”が、目の前に立っている。

 だが、雰囲気がいつもと違うな……と思っていると、彼は口を開いた。


「いえ、私は……その、実は初めてこちらに伺ったのですが、あれよあれよという間にここに連れて来られてしまいまして……」


 王宮ですよね? こんなに簡単に入れて警備面大丈夫です? と彼は困惑しきっている。


 声や話し方で分かる。これは、フィンリーではない。

 だが、ここまでフィンリーにそっくりということは――。


「シンクレア家の、双子の片割れ?」


 囁くように尋ねると、相手は小さく頷いた。


「よし、とりあえず中に入ろう。僕の執務室はこっちだよ」


 彼の肩を抱くと、執務室の前に立つ衛兵に「しばらく人払いを頼む」と命じて中に入る。衛兵たちは、(ああ……お気に入りと二人きりの時間を楽しみたいんだな)と納得したように生暖かい視線を送りながら「承知いたしました」と慇懃に頭を下げた。




「改めまして、ご挨拶いたします。私はクイン・シンクレアと申します。フィンリーの……きょうだい、です」


 クイン、と名乗った彼はフィンリーと同じように綺麗な礼をとった。


「失礼ですが、貴方様は……王太子殿下、でいらっしゃいますよね?」


 アレックスはにっこりと頬笑み、頷く。


「うん、そうだよ。アレックスという。フィンリーにはお世話になっています」


 どうやらクインは、フィンリーに会いに王宮に来たが、あまりにもフィンリーに似ているためフィンリー本人だと勘違いされ、ここまで連れて来られたらしい。

 アレックスは改めてクインをじっくりと眺めた。

 確かにフィンリーにそっくりではある。同じプラチナブロンドの髪に翡翠の瞳。フィンリーと同じく、貴族の子息の格好をしているが、少年と呼ぶには線の細さが際立つ。


 ――はて。

 そう言えば、シンクレア家の双子は、男女の双子だったはずだが。

 彼は……どっちだ?


 そのことに思い至りながら、アレックスはあえてすぐには訊ねずに別のことを問う。


「えぇと、クイン。フィンリーには王都に来る連絡はしてあったのかな?」


 アレックスの問いに、クインは首を振った。


「フィンリーが王都に発つ際、僕もすぐに追いかけるとは言ってあったのですが……。辺境伯領で諸々厄介事もあり、なかなか僕がこちらに向かう許可が下りませんでした。

ようやく父の許しが出て、急いで向かうことになったのですが、先触れを出す時間も惜しくそのまま来てしまったのです」


 クインの表情には疲れがあった。確か、シンクレア家の双子の片方は体が弱かったはず。それでは、辺境伯領からここまでの旅はさぞ過酷だっただろう。


「急ぎ王宮に来てみれば、フィンリーは不在……か。そうなんだよ、フィンリーには今日から休暇を与えていてね。

……昨日、何者かに襲われたものだから」


 アレックスがそう言うと、クインはハッとしたような表情になり、身を乗り出した。


「フィンリーが襲われたのですか⁉ それで、()は……フィリは無事なのですか⁉」


(なるほど。こちらが『兄』なんだね)


 アレックスは内心納得しつつクインを落ち着かせるように肩を叩いた。


「うん、すぐに近衛騎士のローガンが助けたから怪我もしていない。ただ、最近疲れているようだったし少し休んでもらおうと思ってね」


 クインはほっとしたように肩の力を抜いた。


「そうですか、ローガン様が……。良かった……」


 安堵しているクインに、アレックスはとびきりの笑顔を向ける。


「うん、君の妹は無事だよ。ローガンの邸にいる。


ところでクイン? 僕が聞いていた話では、シンクレア家の令嬢は体が弱く、僕の婚約者候補にはなれないし王都への旅にも耐えられない。だから()であるフィンリーが代わりに挨拶に来た……ということなんだよね。

君は気付いていないかもしれないけれど、さっき自分でフィンリーのことを『妹』と呼んだよ。ということは、君が兄、フィンリーが妹ということでいいのかな?」


 クインは、しまった……というように口を手で押さえたが時すでに遅し。フィンリーの身を案ずるあまり、口が滑ってしまったことを悔いているようだった。


「ダメだよ~、自分たちで考えた初期設定を忘れちゃ~。そもそも、フィンリーに会いに王宮に来るなら君が『女装』して来るべきだったね。だって、フィンリーが男装して『男の子』として王都に来たんだろう? なら、君はシンクレア家の令嬢として振舞わないと、フィンリーの今までの苦労が水の泡だよ?」


 クインは悔しげに唇を噛んでいる。そんな表情がフィンリーと似ていて、アレックスは思わず微笑んでいた。

 同時に、これまで感じていた小さな違和感の正体に得心がいっていた。

 確かに、ほとんどの人間はフィンリーが少年であることに疑いは持たないだろう。だが、ふとした瞬間に見せる表情や仕草、声音から滲み出る何か。それはそろそろ、隠しきれなくなるものだったから。


(あー……もしかして、ローガンは知っていたのかな? だから、あんなに必死に)


 王都に彼女を連れて来たのもローガンだ。最初からずっと、ローガンはフィンリーを……彼女の『秘密』ごと守ろうとしてきたのだ。

 かの騎士の純愛にほほえましさを感じ、今後の二人の関係がどう発展するかを楽しみにしつつ――。

 今は、目の前に立つフィンリーの『兄』をどうするかにアレックスの関心が向く。


「とりあえず、クイン。着いたばかりのところ悪いんだけど、フィンリーの休暇中、君は彼女の代わりに僕の侍従をやってよ。やっているうちに王宮のこととか、僕のこととか色々知ってもらうからね。

あ、みんなの前では君のことは『フィンリー』って呼ぶから、ちゃんと返事してね?」


 有無を言わせない王太子の圧に、王都に着いたばかりで秘密をすべて知られたクインは、頷くしかなかったのだった。



◇◆◇


 実際のところ、クイン・シンクレアは非常に有能だった。

 体が弱く、幼い頃から外に出る代わりにたくさんの書物を読み、辺境伯領の経営にも関心を持ってここ数年は父の手助けもしていたという彼は、初日にもう侍従の仕事をすべて把握しきっていた。


「本を読んだり戦術を考えたり……そんなことしか、出来なかったんです」


 苦笑しながらクインは決裁の終わった書類をまとめつつ言った。

 クインのおかげで今日の仕事はいつもの半分以下の時間で終わってしまったのである。


「自由に外に出られるフィンリーが羨ましかった。領地のことや鉱山の現場のことはすべてフィンリーが見てきて僕に詳しく教えてくれたんです」


 フィンリーの話を聞き、辺境伯の部下たちがあげる報告書をつぶさに確認し、クインは邸の中にいながら辺境伯領のすべてを把握してきた。辺境伯の手助けというよりは、むしろもう右腕と言ってもいいのだろう。


「シンクレア家の軍師、というわけだ」


 からかうようなアレックスの言葉にクインは穏やかに首を振る。


「机上の……いえ、寝台上の空論、というやつです。実戦はまだ経験したことがありませんから。

ただ、今はもうそんなことも言っていられなくなってきました。隣国の動きがにわかに活発になってきたのです。国境の砦にあちらは兵士を集めているようです」


 声を潜めて告げる言葉に、アレックスの表情が引き締まる。


「……フライユ帝国か」


「はい。同時に、我がアルデバラ領のヴェルライト鉱山に入り込んだ者がいました。父の命でしばらく泳がせていたのですが……その男は、戸籍を偽造しており、何度かフライユ帝国の者と思われる人間と接触しています」


 そして、とクインは懐から何か紙片を取り出した。


「その男の素性を我が家の影が詳しく調べたところ、マーレー子爵家に仕えていた男だったということです」


 マーレー子爵家。

 ジョンストン家ほどではないが、先代当主に商才があり、茶葉や宝石の交易で成功して富を築いたはずだ。

 ――それよりも。


「”魔女”の実家、だね」


 ため息とともにアレックスは吐き出す。


 エレノア・マクリーン。

 結婚前は、エレノア・マーレー子爵令嬢、だった。


「やっぱり繋がっていくねぇ」


 組んだ手の上に顎を載せ、アレックスは嗤う。

 決着をつけるべき時が迫っている。

 

「その男を通じて、ヴェルライトがフライユ帝国に流れていることも確認しています。すでに男は捕らえ、父が()()()()()()()()います」


 苛烈で知られた辺境伯自らの訊問は、さぞ……恐ろしいものだろうな、とアレックスは想像してうっすら背筋が寒くなる。やはり、辺境伯家は敵に回すべきではない。



「ありがとう、クイン。おかげで色々手札が揃ってきた。

……というか君、体弱いんだよね? 大丈夫? いきなりこんなに酷使しちゃったけど」


 今更のように言うアレックスにクインは微笑んだ。


「自分でも不思議なのですが、王都に向かう旅の途中も随分体調が良くて予定よりもずっと早く着けたくらいなのです。以前だったら、絶対に王都への旅には耐えられないと思い、フィンリーもそれを危惧して入れ替わりを提案したのですが……。

勿論無理はしないようにしますが、こんなにも体が動くことが嬉しいんですよ、僕」


 それは、フィンリーに似ていてそしてどこか違う笑顔だった。

 

「やっと、フィンリーの負担にならずに済む。あのこが思った通りに生きられるように……。僕はね、アレックス様。ただ、フィンリーに幸せになって欲しいだけなんです。()()()()


 それは、純粋に妹を想う兄の言葉よりもさらに重いもの。


(今度こそ?)


 クインの言葉に、アレックスは引っ掛かりを覚えたが。

 少年を脱して青年へと成長しようとしているクインの放つ輝きが眩しくて、ただ目を細めたのだった。

いいね、ブクマなどしていただけると励みになります。よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ