十九、騎士の純愛
翌朝、久しぶりにゆっくり眠って起きたフィンリーは、いつもと違う部屋に一瞬戸惑う。
「……そっか。ここはローガン様のお邸で……休暇、いただいたんだっけ」
ここ数日ろくに眠れず食べれず休めずのところに昨夜の襲撃。ローガンと共にこの邸に着いて、何とか湯あみまで済ませたフィンリーは寝台に倒れこむようにして眠った。
侍従の仕事をしている時は朝早く起きて朝食を済ませて王太子の執務室に出仕するのだが、今日はそれもしなくていい。噂話やら好奇な視線やらに煩わされることもない。
「しあわせ……」
寝台でごろごろ出来ることの幸福感に浸りつつ、フィンリーはくふふ、と笑った。
「でも、休暇って言われても……何しよう?」
思えば、王都に来てからずっと慌ただしかった。
嵐か大波にでも飲まれたような日々だったとフィンリーはしみじみと思い出す。
「王都見物だって、結局あの最初の一日だけで……あとは、離宮に行ったのと……オリバー様の商会に行っただけ? これじゃクインへの土産話にもならないわ」
もしクインが王都に来られたら、色々教えてあげようと思ったのに。王都の流行どころか、何がどこにあるのかさえ、フィンリーにはあやふやなままで。
「……その分、王宮の中には詳しくなったけど」
アレックスの秘密の部屋をはじめ、侍女や女官たちから逃れて過ごすのに最適な場所、外に出るための隠し通路、あとは政務をサボるアレックスがよく逃げ込む奥庭など。
「これって機密事項? 話せないやつ? うーん」
着替えもせずにそんなことを考えて寝そべっていた時、控えめなノックの音が聞こえた。
「フィンリー? 起きているだろうか?」
ローガンの声だった。
「あ、はい! 起きてはいるんですが、その……まだ着替えていなくて。すみません!」
すぐに支度します、と慌てて寝台を降りたフィンリーに、ローガンは少しだけ扉を開けて何かを差し出してきた。
「着替えは王宮に置いてあるだろう? よかったら今日はこれを着るといい」
そうだ、とフィンリーは思い出した。
王宮で暮らしている今、身の回りの品や着替えはすべてそちらの自室に置いてあるのだった。
昨日着ていた服は、襲撃された際に汚れたこともあってダドリー侯爵家のメイドに洗濯のために預けた。
「ありがとうございます! お借りします」
ローガンから服を受け取ると、ローガンは扉を閉めながら「食堂で待っている」と言って去って行った。
「あ、朝食待ってもらっていたのかな。急がなくちゃ」
こんな時間までローガンを待たせたことが申し訳なく、フィンリーは急いで着替えをしようと思ったのだが。
「……え?」
手渡された服を見てフィンリーは眼を丸くする。
「な、なんですかこれはーーーーー!」
ダドリー侯爵家に、フィンリーの叫び声が響き渡る朝であった。
◇◆◇
「……ローガン様」
手渡された服はそれ以外になく、寝間着姿で行くわけにもいかなかったフィンリーが食堂に降りていくと、ローガンはパッと顔をほころばせた。
「おお! よく似合っている!」
フィンリーはそんなローガンにじとっとした視線を送りながら、わざとらしく優雅にカーテシーをしてみせる。今世で習ったことなどないが、前世までの記憶か、自然にそれをすることが出来た。
ローガンに渡された、女物のデイドレスで。
「着替えをご用意いただいたのはありがたいのですが、なぜ女性のものなんですか」
先ほどフィンリーが絶叫した理由がこれだ。まさか用意されていたのが女性の服だとは思ってもみなかった。
華美ではなく、シンプルだが品の良いデイドレス。フィンリーの瞳の色に合わせたのか、若草色の可憐なドレスを見て、フィンリーは一瞬めまいを覚えた。
幼い頃はともかく、前世の記憶を思い出し男装すると決めてからは、このようなドレスは一切着てこなかったのだった。
ローガンもそれを考慮してか、コルセットなどなくても一人で着られるようなドレス……というよりワンピースだったのには助かったと思ったが。
「ローガン様のおさがりでも貸していただければ……」
執事に促され、テーブルにつきながら言うとローガンは苦笑した。
「俺のものではおさがりと言っても君には大きすぎるだろう。それに、その服を用意したのは理由があるんだ」
ローガンの視線がフィンリーに注がれる。なんとなく居心地の悪さを覚えてフィンリーは椅子の上で体をもぞりと動かす。
「僕が『女装』しないといけない理由、ですか?」
食堂にまだ控えている執事や使用人たちの目を気にしながら訊くと、ローガンは頷いた。
「今日から与えられた休暇だが、君はどう過ごすつもりだった? 襲撃のこともあるし、出来ればこの邸にいて欲しいとは思うが……」
そう問われてフィンリーはハッとした。ゆっくりできるのが嬉しくて、特に何をしようとも考えてはいなかったのだが。
「そう……ですね。せっかくのお休みですし、この機会にもう少し王都を見ておきたいという気持ちはあります。邸でじっとしているのも性に合わないというか……すみません」
生来、フィンリーは活発だった。辺境伯領にいた頃も、一日じっと邸の中で過ごしていたことなどほとんどない。少しは令嬢としての教養も身に着けて欲しいと願っていた母が時折嘆くほどに。
寝込みがちなクインの分も、と思えばより外の世界に出たかった。
「謝らなくていい。君の性格を考えれば閉じこもっていろというのも酷な話だ。外に出るなら俺が君を護ればいいだけのことだしな。
――だが、そこで一つ問題がある。君が……フィンリーが随分、有名になってしまったということだ」
朝食を口に運びながらローガンは言った。
「へ? 有名?」
「ああ。アレックス様の『運命の恋人』宣言は、王宮内だけでなく城下にまで知れ渡ってしまっている。つまり、今の君は”アレックス様の最愛の恋人兼侍従”、として一躍時の人となっているんだ」
そう言えばそうだった……と、フィンリーは頭を抱える。
「そんな君が俺と一緒に城下を歩いたらどうなると思う?」
どうなるかは考えるまでもなかったし、考えたくもなかった。
「……僕、ずっと引き籠ります」
もう王宮にも帰りたくないな……と遠い目になるフィンリーに、ローガンは破顔する。
「はは、無理だろうな。多分明日になれば『外に出たい』と言い出すだろう。だからこその、その服だよ」
そう言われてフィンリーは改めて自分の姿を見る。
このようなデイドレスを着ていれば、間違いなく自分は女性に見えるだろう。『噂の魔性の侍従』には、多分見えない……はず。
「ついでに、髪の色も変えるといいな。どうだい? ストロベリーブロンドの鬘なんていうのは」
ローガンが意味ありげに目配せをした。
それは、言葉とは逆に鬘を取って、本来の髪で過ごすといい、ということだろう。
「わかりました。そうさせていただきます。
……ありがとうございます、ローガン様。その……色々、気遣っていただいて」
フィンリーが頭を下げると、ローガンは優しい瞳を彼女に向けた。
「昨日は怖い思いをしただろう。王都での思い出があんなものばかりになってしまっては俺としても不甲斐ないからな。この休暇は思い切り楽しもう」
はい、と頷いてフィンリーはそっと胸を押さえる。そこが、ほんのりと温かくなっていくのを感じていた。
ローガンの気持ちが嬉しくて。
これから始まる、ローガンと過ごす休暇が純粋に楽しみだと感じていた。
◇◆◇
朝食を終えた二人は、ダドリー侯爵家の馬車に乗って街に出た。
ローガンも今日は騎士服ではなく完全な私服で、貴族の青年の休日、といった感じが新鮮だった。
フィンリーはローガンに言われた通り、久しぶりに人前で鬘を外してみた。頬にかかるストロベリーブロンドが、なんだか落ち着かない。
「これ……おかしく、ないですか?」
侯爵家の侍女に、ハーフアップの形に簡単に結ってもらった髪にデイドレス姿のフィンリーは、どう見ても”女の子”にしか見えなかった。
ローガンは頬が緩むのを感じながら「おかしくない」と答える。
「おかしくないどころか、完璧な令嬢だよ。そうか……君は本来、こういう感じなんだな」
フィンリーは居心地悪そうな顔でため息をつく。
「本来、というかこんな格好本当に幼い頃ぶりで……。似合っているのかどうかさえ、分からないんですけど」
いつもの格好の方が落ち着く、と呟いたフィンリーの髪をひと房、ローガンは手に取ってみる。
「いつもの格好も君らしいと思うが、女性の格好もとてもよく似合っている。
……このまま、他の誰の目にも映したくないくらいだ」
アレックスとフィンリーがキスをしているように見え、アレックスが『運命の恋人』宣言をしたあの日。
あの光景を見た瞬間、心臓が強い力で握りつぶされるような痛みを覚えた。
フィンリーがアレックスに奪われてしまう、そう思ったらどうしようもない焦燥感に襲われて。その後もフィンリーとどう接していいか分からずに避けてしまったくらいで。
自分はどうしてしまったのだろうと思った。
この胸の痛みは、いったいどうしたことなのかと。
それが昨日、襲撃されたフィンリーを助け、震える彼女を抱きしめて――気付いてしまった。
これは、恋だと。
男子でも女子でも関係ない、フィンリー自身が愛しいのだと。
そして気付いてしまったらもう、想いが溢れ出すのを止められなくなっていた。
(俺は、フィンリーが好きだ)
好ましい、ではない。彼女への想いは異性への愛だとローガンは切なさとともに自覚する。
今すぐにでも抱きしめて告げてしまいたい、そんな衝動をローガンはぐっと堪えていた。
今ではない。
フィンリーを取り巻く状況は日に日に過酷になっていく。
すべての禍から、彼女を守り切って、そして――。
フィンリーが本来の姿に戻り、思うように生きて行けるようになったなら。
その時には、この愛を告げようとローガンは決めていた。
初めての、そしておそらく最後の恋。
自分の純愛をすべて、フィンリーに捧げようと、この朴念仁騎士は誓っていたのであった。
「あ、着いたみたいですよ!」
馬車の中で二人きりなのをいいことに、もう少し近づきたいというささやかなローガンの願いもむなしく。
馬車は目的地に着き、動きを止めていた。
「今日はどんなところを案内してくれるんですか? ローガン……っと、”ロン”?」
万が一にも素性が割れると面倒だということで、今日は互いに愛称で呼び合おうと決めていた。
「君が喜んでくれるといいんだけどな、”フィリ”?」
フィンリーが馬車を降りるのを手伝いながら、ローガンはそのままフィンリーの手をつないでしまう。
「今日の俺たちは、『仲の良い恋人同士』という設定だし、な」
焦るフィンリーは、前を行くローガンの耳の辺りが赤く染まっているのを見た。
フィンリーも熱くなっていく頬を片手で押さえながら。弾むようにローガンに並んで歩き出したのだった。
†⁑†⁑†⁑
楽しかった休暇はあっという間に終わってしまった。
一日目は『デート』と称して、評判のカフェや流行りのドレスの店などを回って。
二日目は前日にローガンが見立てたドレスを着て、夜の歌劇場に連れて行ってもらった。
三日目は二人で郊外に遠乗りに出かけて、侯爵家の料理人が用意してくれてバスケットに詰められたランチを二人で野原で食べた。
毎日が楽しくて、フィンリーは王都に来て初めて心から笑えたような気がする。
ずっと緊張と驚愕の連続だった……と、しみじみと思い出す。
これからはもっと気を引き締めていかないとな、と思いながら久しぶりに王宮に戻ったフィンリーは、早速王太子の執務室へ行こうとしたのだったが。
「あら? フィンリー、もう殿下のご用事は済んだの?」
顔見知りの女官に声をかけられ、フィンリーは首をかしげる。
「え? いえ、僕はこれからお部屋に伺うところですが……」
「おかしいわね、さっき殿下のお部屋に入っていくあなたを見たと思ったのだけれど」
気のせいかしら? と言う女官と別れて執務室に来た時だった。
「ん? フィンリー、さっき戻って来なかったか? また出て行ったんだっけ?」
扉の前で警護する衛兵にまでそんなことを訊かれる。
「ええ? 僕は今来たばかりですが……」
「んんー? そうか? おかしいな、見間違いか?」
(何なの? 私がもう一人いるの?)
完全に困惑しながら、アレックスの執務室に入ったフィンリーは。
「あ」
という形で口をぽかんと開けたまま固まった。
「おはよう、フィンリー」
にこやかに声をかけてくるアレックスの前に立っているのは、確かにフィンリーだった。
正確に言えば、フィンリーに瓜二つの……。
「久しぶりだね、フィンリー」
フィンリーと同じ顔で微笑むのは、この世にたった一人。
「クイン⁉」
故郷で別れたきりの双子の兄が、目の前に立っていた。
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