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九、魔女の娘、来襲。

「アレックスさまぁ~~~! あなたの妃、イザベラがまいりましたわぁ!」


 午後一番の王宮に甲高い声が響き渡る。

 アレックスの執務室にいたフィンリーは、思わず顔をしかめてしまった。


「早速来たねぇ。昼に正式発表があったばかりだというのに……。あと、一応婚約者に内定したってだけでまだ妃じゃないんだけどなぁ」


 アレックスも呆れたように苦笑している。扉の向こうでは、衛兵が必死で彼女を止めているようだが、イザベラは聞く耳を持たない様子。突破されるのも時間の問題だろう。

 

 アレックスの言う通り、昼前にイザベラ・マクリーン男爵令嬢が王太子の婚約者に内定したと正式な発表がなされたばかり。

 それがこんなにも早く登城するとは……もう最初から王宮で待機していたのではないかと呟いたフィンリーに、アレックスは頷いた。


「うん、君の予想通りだと思うよ。今朝……いや、違うな。昨日の夜会からずっと王宮に滞在していたんだろう。母親のところにね」


 マクリーン男爵未亡人、エレノア・マクリーンは表向きには女官長という立場を与えられて王宮内に自室も賜っている。その娘のイザベラも、以前から頻繁に王宮を訪れていたらしい。

 さて、と言ってアレックスは立ち上がると、それまで着ていた上着を脱いで椅子にかけ、隠し棚の中から以前フィンリーも見たことのある、比較的目立たない上着を取り出して羽織った。


「じゃ、フィンリー、後はよろしく!」


 ぱちっとウィンクを寄越すと、アレックスは別間に続く隠し扉に手をかける。


「ちょ、ちょっと待ってくださいアレックス様! そんな、僕だけ残されても困ります!」


「僕は視察に出かけたってことにしておいて~! 適当にあしらって追い返してくれればいいから。じゃあね」


 それだけ言うとアレックスはひらひらと手を振って隠し扉から出て行ってしまった。


「殿下! アレックス様! お待ちください」


 その姿を追って専属騎士であるローガンも飛び出して行く。目線でフィンリーに「すまない」と詫びながら。


「ローガン様まで行っちゃうんですか! そんなぁ……適当にあしらえって言われても!」


 半泣きになったフィンリーがどうしようかと扉の方へ視線を向けたのと同時に、ついに衛兵の制止が突破されたのか勢いよく扉が開いた。



「もう! 妃が来たんだから黙って通せばいいのに気が利かないんだから!

王太子様? アレックス様? あら? どちらにいらっしゃるの?」


 そうして”魔女の娘”とフィンリーは初の対峙を果たした。

 

 イザベラ・マクリーン嬢は豊かなブルネットの髪に少し垂れ目がちな薄紫色の瞳を持った美少女だった。

 確かアレックスより一つ年下の17歳だと聞いている。フィンリーとも一つしか変わらないはずだが……フィンリーは彼女と己の体つきを比べてショックを受けた。

 イザベラは17にしてすでに出るところは出て引っ込むところは引っ込んだ、いわゆるとても魅力的で女らしい体型の持ち主だったのだ。


(男として生きるって決めたけど……ここまで違うとちょっと落ち込むかも……)


 布を巻いて潰しているというのもあるが、未発達な自分の胸を思い出す。


(いえ、いいんだってば! 目立たずもてはやされず! 今世はその他大勢の中に埋没するつもりだから!)


 一人で挙動不審になっているフィンリーに、イザベラは胡乱な目を向けた。


「あなた、どなた? 初めて見るけれど。アレックス様はどちら?」


 フィンリーはもやもやした感情を必死で払い、イザベラに向かってまずは一礼した。


「失礼いたしました。僕はフィンリー・シンクレアと申します。昨日から王太子殿下の侍従を仰せつかりました」


「ああ! 知っているわ! 体の弱い妹の代わりに来た役立たずの田舎者ってあなたのことね? アレックス様が哀れにお思いになって、拾ってあげたっていう!」


(ええー……)


 自分の発言に悪びれない様子のイザベラの様子に内心引いてしまったフィンリーの表情が強張る。


「アレックス様の侍従なら、妃であるわたくしも主人同然ということね! さあ田舎者、アレックス様はどちらに? 早く案内してちょうだい」


「フィンリー、です。アレックス様は視察にお出かけになりました。今は王宮にいらっしゃいません」


 憮然としながらフィンリーが答えると、イザベラは眉を逆立てた。


「なんですって⁉ そんなの聞いてないわ! アレックス様はわたくしを待っていてくださると思っていたのに!」


(襲来されるであろうことは予想されていましたけどね……。だから逃げられたんですけどね……)


 フィンリーは遠い目をした。


「本日は夜までお戻りになられないかと。ですので日を改めて……」


 やんわりと「帰れ」と告げてみるが、イザベラはそれをあっさりと流した。


「んもう! じゃあお戻りになるまでここで待つことにするわ! 田舎者、あなたで我慢してあげるから相手をなさい」


(え、ええ~~~⁉ 嫌です)


 フィンリーの顔が思い切り引き攣る。


「そ、それは……。あの、王太子殿下のご婚約者が、殿下以外の男と部屋に二人きりでは、問題があるかと……」


 そう、フィンリーは『男』なのだ、ここでは。

 妃に内定した令嬢が、婚約者以外の『男』と二人きりになるというのはどう考えても問題がある。


「あら? わたくしは気にしなくてよ」


(そこは気にして⁉)


 大丈夫かこの令嬢、と思いつつフィンリーは少しずつ彼女から距離を取る。イザベラはそれにも気づかずに勝手に話し始めた。


「ねえ、そう言えばあなたの田舎……アルデバラと言ったかしら。この国の端っこの田舎よね。でも、そこに大きなヴェルライトの鉱山があるのよね。お母様もお持ちだけれど、本当に美しい宝石だわ。

あなたがアルデバラから来たのなら、手土産にヴェルライトの一つも持ってきてはいないの?」


(ヴェルライト? 辺境伯領の資源の一つ……だけど)


 アルデバラ辺境伯領は荒れ地が多く、実りも多い方ではない。けれど、国境の近くにヴェルライトと呼ばれる宝石の鉱山を有し、その採掘や石の加工に従事する領民が多かった。

 ヴェルライトは加工すると紫紺色の輝きを放つ美しい宝石となって王都や外国に出荷されて貴婦人たちの間で大変な人気があった。それゆえに密輸されることも多く、フィンリーの父である辺境伯もヴェルライトに関して厳しく目を光らせていたが。


「ああ、でも最近採掘量が減っているんでしょう? お母様は、辺境伯が王都への報告を改竄して辺境伯自身が密輸に関わっているんじゃないかって言ってらしたわ。恐ろしい人ねぇ、あなたのお父様って」


 思いもよらないイザベラの言葉に、フィンリーは衝撃を受けた。


「なっ……! 父は、辺境伯はそのような卑怯な真似はいたしません! 改竄なんて……密輸なんて、そんなこと、絶対に!」


「ここから遠く離れた田舎だもの。何をしていたってわからないわよね。だから陛下だって、申し開きのチャンスを上げたのに来たのがあなたじゃねぇ。

まぁ、令嬢が来たところでアレックス様の妃はわたくしって決まっていたんだから、結局無駄だったかしら?」


 ふふふ、とおかしそうに嗤うイザベラを前に、フィンリーは脳内が沸騰しそうな怒りと混乱に囚われていた。

 国王が父に対していわれのない嫌疑を抱いているらしいことは、アルデバラに来たローガンからも聞いていたし実際に謁見して直にも感じた。

 けれど、まさかヴェルライト密輸を父が主導していると疑われているなんて。

 娘であるフィンリーが言うのもなんだが、シンクレア辺境伯は清廉潔白な人物だ。身を粉にして辺境伯領を護っているし、重要な資源であるヴェルライトも厳重に注意している。領民以外の人間は鉱山に入ることすら出来ない。


(それに……採掘量が減ったなんてことも、ないはず)


 フィンリーは辺境伯家の人間として、父に伴われて何度も鉱山を訪れている。王都に来る直前にも行ったが、特に採掘量が減っているなどという報告もなかった。


(どういうことなの?)


「だからねぇ、ヴェルライトの一つも()()()に出来ないから、物の分かっていない田舎者って言われるのよ。お母様やわたくしに献上すれば、少しは心証もよくなるでしょうに」


(……それは、『()()』を寄越せってことね)


 少し冷えた頭で、イザベラに軽蔑の眼差しを向けてしまう。イザベラはその眼差しの意味には全く気付いていないようだが。



「失礼いたします。王太子殿下……はいらっしゃらないようですね。イザベラ嬢、お母上がお呼びだそうですよ」


 その時、ノックと同時に入って来たのは宰相の息子、ハロルド・ウォレスだった。


「え? お母様が? 仕方がないわね、そこの田舎者、アレックス様がお帰りになったらすぐにわたくしに知らせるのよ、いいわね!」


 そう言うとイザベラは慌ただしく部屋を出て行った。

 大きな音を立てて扉が閉まり、フィンリーは大きく息を吐きだした。


「災難でしたね、フィンリー君。早速”魔女の娘”の洗礼を受けましたか」


 眼鏡のブリッジを押し上げながらハロルドが言った。フィンリーは一気に気が抜けてその場に座り込む。


「なんなんですかアレ……! ”魔女の娘”っていうのが良く分かりました。

あ、というかハロルド様、助かりました。もう限界だったので」


 ハロルドは苦笑しながらフィンリーに手を差し出す。フィンリーはその手を借りて立ち上がった。


「アレックス様が、逃げる前に私におっしゃって行ったんですよ。『フィンリーに魔女の娘の相手を押し付けて来たから、適当なところで助けてやって』とね」


「王太子殿下ぁ~~~~!」


 そもそも逃げるなよ、とフィンリーは思わず拳を握ってしまった。

 だが、早々に彼女の人となりが分かったのは良かったかもしれない。今後どういう対応をすればいいのか、対策も立てやすいから。


(出来れば本当にもう関わりたくない相手だけど)


 

「それよりもフィンリー君、私も君に訊きたいことがあったんですが少しよろしいでしょうか?」


 ハロルドは応接セットのソファにフィンリーを座らせ、自分もその正面に腰かけてそう切り出した。


「あ、はい。何でしょうか。それと、僕のことは『フィンリー』と呼び捨てにしてください。言葉も普通でかまいませんので」


 ハロルドの方が年上で身分や立場も上なのに、彼はフィンリーに対して丁寧な態度を崩さなかった。


「では、フィンリーと。言葉遣いはすみません、私の癖なので気にしないでください。

フィンリー、さっきイザベラ嬢が話していたことですが……。確かに、ここ最近アルデバラのヴェルライト採掘量が減っていると報告に上がっています。それは事実でしょうか?」


 どうやらハロルドは、助けに入る前から部屋の前にいたらしい。ならばもう少し早く助けてよ、と思いながらフィンリーは首を振った。


「いえ、そんなことはありません。それを聞いた時僕も変だと思ったんです。ヴェルライトの採掘量は近年と変わらず安定していて、減っているなんてことは……。

それに! 父上が密輸に関係してるとか、そんなことも絶対あり得ません!」


 ふむ、とハロルドは頷いた。まっすぐな銀の髪が午後の日差しを弾く。


「そうでしょうね。シンクレア辺境伯は清廉潔白、武勇に優れ領地も賢く治めていると伺っています。取り締まりこそすれ、ご自身が密輸に関わることは決してないでしょう。

――けれど、確かにイザベラ嬢が言っていたような噂が流れ、実際に採掘量も少なく報告されている。私も書類を確かめたので間違いありません。

フィンリー。この件こそ、君がアレックス様に侍従にされた理由の一つです。そして私たちにとっても……君が最後の『ピース』なのです」


「僕が、侍従にされた理由……?」


 単なる成り行き、アレックスの気まぐれではなかったのか。

 フィンリーが侍従となり、この王宮に留まることになったのは『必然』だったと……?


「どういうことでしょうか、ハロルド様」


 硬い声で問い返したフィンリーに、ハロルドはため息を吐きながら眼鏡を外した。薄青色の瞳がフィンリーを射抜く。



「国王陛下とエレノア・マクリーンはシンクレア辺境伯を近い将来攻め滅ぼすおつもりです。アルデバラは国領とされるでしょう」



 何度目かの衝撃がフィンリーの体を貫いた。


「攻め……滅ぼす……?」


「それを阻むためにも、あなたは私たち……王太子側の、重要な『ピース』……『鍵』なのですよ」



 ――どうやらフィンリーには、前々前世よりも過酷な『運命』が待ち構えているらしい。



ここまでの人物まとめ


◇フィンリー・シンクレア…これまで何度も『逆ざまぁ』されて断罪されてきた『ヒロイン』。その運命に嫌気がさし、今世では男装して生きることを誓う。シンクレア辺境伯家の長女。本来の髪色はストロベリーブロンド、瞳は翡翠色。クインの髪で作ったプラチナブロンドの鬘をかぶっている。


◇クイン・シンクレア…シンクレア辺境伯家の長男、フィンリーの双子の兄。生来体が弱いが、勉学に励んだため知能は高く博識。プラチナブロンドの髪に翡翠色の瞳。


◇ローガン・ダドリー…ダドリー侯爵家の嫡男。父親は近衛騎士団長を務め、自身も近衛騎士団に所属し、王太子の専属騎士となった。恋愛関係には奥手で初恋もまだである。漆黒の髪に琥珀色の瞳。


◇アレックス・アリオット…アリオット王国の王太子。軽薄でちゃらんぽらんな王太子を装っている。明るいブロンドの髪に蒼色の瞳。


◇ハロルド・ウォレス…宰相の息子で自身も文官として宰相の補佐を務める。誰にでも丁寧な口調を崩さない。銀の髪に薄青色の瞳。


◇オリバー・ジョンストン…ジョンストン伯爵家の次男。実家は商会を経営しており、自身も他国との交易に関わり外国の事情に通じている。明るい赤い髪に榛色の瞳。


◇イザベラ・マクリーン…王太子の婚約者に内定した、マクリーン男爵令嬢。母親は国王の愛人であるエレノア・マクリーン男爵未亡人。ブルネットの髪に薄紫色の瞳の美少女だが思い込みが激しく傲慢、軽率な性格である。

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