越してきた町で……
莉子は、はめていた薄桃色の手袋の指先を一本一本引きはずした。それを傍らに置いたキルト生地のカバンに押し込む。小さな手に少し勢いをつけて息をはき、両腕をまくった。「よし!」一番深いところでも莉子の太ももにも届かないであろう小さな池。その縁石に添えた手の指から肩までぐんと力が入り、池の鯉でも探しているのかと思うほど身を乗り出す。きりりとした空気と寝静まった水との狭間。きょうも莉子が写っていた。春の陽だまりにいるかのように微笑んで。莉子の周りは、まだ、氷点下をわずかに超えたばかりの気温であるのに。莉子の指先がすっと薄氷に触れ一瞬止まる。指先はアイススケーターのように氷の上を滑っていく。やがて、探り当てたとばかりに動きが止まった。両手の指をぐっと押し込むとピッキッと小さな音。透明な氷の板がぽたぽたとしずくを垂らして上がっていく。「あは……」小さな白い霧が口角の上がった口元から漏れ出て、真っ赤な頬に触れた。水が溶け、莉子の手首まで濡らす。指先はかじかんでいたが、もう慣れた。今日の戦利品は赤い枯葉を閉じ込めてなかなかいい厚みがある。
「莉子ちゃん、おはよう!」
リンと音を立てて莉子のランドセルの鈴が揺れた。振り返った莉子の瞳に自分と同じ背丈の女の子が映る。が、それはすぐに傍らの梅の木の根元の映像に移り変わった。
「……おっおはよう……」
「まだ顔、覚えてないよね。陽菜だよ。同じクラスの」
陽菜の手が口の端を軽く搔く。
「あのね。最近氷が無かったから、不思議だなって……」
莉子の瞳に陽菜が戻ってきた。
「あ、これ、陽菜さんの氷だったの?」
「あははっ、公園の氷は誰の物でもないよ」
「氷、好き?」
「うん」
「どんなところが?」
「う~ん? 透明なところ、毎日違う枯葉や何かがついているところかな?」
莉子の瞳にきらきら朝日が映え、声がしっかりと大きくなった。
「ふ~ん、でもさ、もっと好きなことあるんじゃない?」
莉子が手にした氷を仰ぐようにゆっくりと振る。薄氷についた水滴がいくつか一度に落ちていく。一瞬、日差しを包み込んで魔法の粉のようにきらめいた。返事の代わりに陽菜の口元がニィと上がる。
「一緒にやろうか?」
莉子の問いかけに陽菜の顔が縦に揺れた。氷の端に新たに小さな手が添えられる。
「せーの!」
パーン!と静かな公園を目覚めさせるような音が響く。二人の足元では氷がいくつかに分かれて、地面の色を濃く変えていた。
「気持ち良いね」
「うん! 気持ち良い」
2足のスニーカーが霜柱の鍵盤を踏んでいく。サクサクとハーモニーが沸き起こり、二つの赤いランドセルがそれに合わせて揺れた。
今年最初に咲いた紅梅がふたりを見送っている。明日には膨らんだ他の蕾達も綻ぶだろう。