やっぱり、夏は嫌い 3奴隷目
講義中やで、投稿するで!
教授にバレるの怖いで!
干上がるように、さす陽ざし。久しく聞こえるようになった蝉の声。
むわっとくる湿気を伴う熱気が堅苦しい制服を包んだ。
おれは何とも言えない、この青春を纏っているような感覚が嫌いじゃなかった。
澄み渡る青い空、たなびく雲の波間にひとすじ、ひこうき雲がまっすぐ流れた。
昼放課の、誰もいない部活棟の六階。鍵の壊れたこの空き教室でおれは静かに、高校生になって二度目の夏の始まりを感じた。
大人にとっては、度重なる季節の一つに過ぎないのだろうが。
おれたち学生にとっては、人生で一度きり。
この場所、この学年、この季節、高校生という身分で夏を過ごすことはこの三年間以外もう二度と来ないのだ。
だから、いくら咎められようとおれは決してむげにはしない。
一度きりの夏を噛みしめて生きなくて何が青春だ。
「もうムリ、死ぬ。オワッタ…………夏はよ終われ。ていうかもう来んなって感じ~」
耳残りする、可愛げのある声でなんとも風情の無いことを淡々と言ってのける不届き者がおる。
だらしなーく、窓際で椅子に座って。
ぱたぱたと左手で手持ち扇風機をMAXで起動し黒髪をさらさらとゆらす。
右手は忙しなく夏服仕様の純白のスクールシャツの首元のリボンをだらりと緩めながらばっさばっさと風を送る。しまいにはスカートを持ち上げてかなりきわどい感じでふぁっさふぁっさときめ細やかなおみ足たちに涼やかな旋風をお見舞いしていた。
ほんのりいい匂いがしたことはこの際気にしないでおこう。それにしても、相変わらずその気だるそうな目は変わらんな。
ちなみにおれは嫌いじゃない。まあ、顔可愛いしな。
「いや、てか返せよ。いつの間に奪ったんだおれの手持ち扇風機」
可愛い横顔を拝んでいたら、さっきまでおれの机の上に置かれていた扇風機がいつのまにやら……。
地味に値段するんだぞそいつ、一銭も出していないお前にその製品の耐久時間を消費させる筋合いはない。
まったく、せっかくかっこつけてノスタルジーな雰囲気に一人でなっていたのに最悪だ。
さっきまでの自分が恥ずかしい。
これも夏の熱気にあてられたせいだろうか。
「現在、物の全面的支配を遂行する権利能力を有しない小牧 新(以下甲とする)の私物は、わたし、篠宮 翠果(以下乙とする)と甲の間に締結された奴隷契約に基づき甲の一切の事物を使用・収益・処分することのできる権利を乙が逸脱しない限り、甲の従物であるこの手持ち扇風機にもその権利は適用されるのであ~る~」
夏の熱気にあてられたのは、どうやらこいつのほうだった……難解というか意味不明である。
「……つまりは?」
「わたしのものはわたしのもの。あらたのものは死にさらせ」
「法学部のジャイアンか、お前は。いやジャイアンよりひでーな殺そうとしてやがる」
もう、いろいろとむちゃくちゃである。
著しいジャイアニズムの波動を感じる……そして多分、法学部の人が見たら法律用語ですらない文字の羅列だということがバレてしまいそうだ。
これではまるで共通科目の講義で法学をかじっただけの調子にのったバカな大学生が書いた文章じゃないか。
「……てかさ~、この後体育でしょ? 終わってるよ~この学校。単位のために働く奴隷じゃんこれじゃ」
「全国の大学生ニキが武器を持って立ち上がって支持しそうな解釈だな。残念ながら、その単位の奴隷になることを容認しこの高校を選んだのはおれたち自身なんだな、これが」
「……第一志望行けなかったから来ただけだし」
「お前の場合はかなり特殊な理由だがな。成績はいいのにな、お前。努力して、偏差値70近くの高校受かったのは一般ピーポーのおれからすると十分すげーよ……学校が遠いという理由でそこへ行かないのもな」
分かっている。恐らく、学校が遠いという理由だけで高偏差値の学校へ行かないほどこいつはバカじゃない。
恐らく、彼女には彼女なりの何か葛藤があったのだろう。
何があったか、おれには想像もつかんがまあ。こいつにはこいつの選択肢の絞り方ってのがあるんだろう。
それと比べたらおれは……選択肢すら無かったな。
人生において選択肢というものは意外と限られているようで、気が付いたらお先真っ暗進める道は一本しかないなんてこともままある。
そうならないために、みんな努力するんだろうけど。
「おれみたいに努力もできなければ才能もない選択肢が限られている人間ってのも、いるからな。それと比べれば、ちゃんと悩んで自分で選んだお前は偉いな」
「当然でしょ~?あらたは私の奴隷なんだからわたしのほうがエラい!」
ふんっと、どこか自慢げに胸を張る彼女はいつになく嬉しそうだった。
「でもわたしもさ~? そんな努力はした方じゃないよ?むしろ努力とか暑苦しい言葉とか苦手って感じ~。努力にも得意と苦手があるでしょ」
「おれはもはや何一つ得意な努力などないがな。はっ」
自嘲気味に、おれは笑った。
「か、かっこわるいっ!」
両手を口元で押さえて、まるでかっこいいヒーローを見たかのように言いやがった。
そこは、せめて褒めてくれよ。
誰かにそうさせられたか、生まれつきか。
自分の人生を自分で肯定できない不器用な人間だっているんだ。
そのことを心に留めずに、他人に努力のすばらしさを説く浅はかなヤツがおれは大嫌いだった。
……まあ、そんな他人の浅はかな部分も愛せないでいたからおれは間違ったわけだが。
「あ、ちなみにわたしの得意な努力は働かないことだよ~? 協力して日本中に広めよう」
「それが努力として広められたら日本が終わるぞ」
共産主義の敗戦革命より危ないぞ……さしずめ篠宮主義革命といったところか。ポストアポカリプスを生き抜く自信はおれにはない、まっぴらごめんだ。
まあ努力なんて所詮個人のバイタリティの閾値でしかないわけだし?語ること自体おこがましいのかもしれんが、99.999%の確率で彼女の努力は例外と言って良いだろう。異論は認める。
「……でもさ~、意外と私はこの高校に入ったこと後悔してないよ?」
「?なんでだお前。一年のとき不登校気味になるぐらい後悔してたじゃん。この高校に入ったこと」
「まあそうだけど~、なんでだと思う?」
「いや、知るかよ」
言い終わってから気づいたが、かなり冷たい感じに言っちまったかなおれ。
まあ気に障るようだったら謝ればいいか。
「……ばか。ほんとばか。もう知らなーい」
スタスタと、いきなりむすっとしながら食い終わった弁当箱をもって彼女は翠果は踵を返した。
案の状気に障ったようだ、なんだこいつめんどくせーな。
「いや、ごめんってちょっとばかし冷たくてデリカシーない発言だったな悪い」
おれはそれを食い止めるように手首をグイっと掴んだ。
相変わらず細くて折れそうで力加減が怖い。
おれに掴まれてから、彼女は何度がぐいぐいっと引きはがそうとするが当然かなわない。
いや、それでも流石にここまで非力だとは思わなかったが。
すると、頭一つ半は低い彼女はぷくっと頬を膨らませながら諦めたようにこちらを見据えた。
「……離して」
なぜだか妙に、少し頬が朱に色づいているような気がした。それでも、むすっとしたいつもの目線は変わらないからなんというか。
すると、まるでこの場を離れたい彼女の味方をするようにチャイムが鳴り響いた。
やべ、次の時間体育だったわそういえば。早く着替えにいかねぇと。
「次の時間体育でしょ? このまま更衣室に着替えに行こうと思っただけだから……別に怒ってないし」
「まあ。そうか」
いや、明らかに不機嫌ではあったろうに。
「……もし、だけど。わたしが怒ってるとしたら、なんでだと思う?」
なんだこのめんどくさい女みたいな質問。
おれは、ふと考えた。
こいつが、後悔しなくなった理由。聞かれて「いや、知るかよ」と冷たくあしらってこいつが怒る理由。
「……さあな、おれには分からん」
「でしょ? そんな分けわかんないことで怒るような頭悪い女じゃないよ?わたし」
「まあ、そうかもな」
「じゃ、お先に」
「おう」
……いや、言えないだろ。「もしかして、おれが奴隷になってからお前は後悔しなくなったのか?」なんて。
「自意識過剰できもいし言えねぇ……」
自分の弁当箱を手早く片付けながら、おれは一人ごちにそう呟いた。
そう、きっとこのおかしな思考回路も夏の暑さのせいだ。
やっぱり、夏は嫌いだ。
「……あれ、あいつ。なんか置いてって」
彼女の机の横に掛かっていた。可愛らしい布巾のバック。
少し悪いと思いながらも、心に一つ何かの予感がしてそろっと覗いた。
青春の代物。
未だ記憶に新しい体育大会で、彼女が身にまとっていた純白のそいつには胸元に刺繍でこう彫られていた。
【2-4 篠宮】
「あ、あいつ……」
この期に及んで、おっちょこちょいをやらかすとは。今までのやり取りに何か著しく気が動転するようなことがあったか?
おれが気づけていなかったら、きっと更衣室で大パニックだろう。
おれは自分の弁当を自分の地味な手提げに即座にぶち込み。
彼女の体操服が入った、おれには似合いそうもない可愛らしい布巾のバッグをしっかりと右肩に背負って。
「おい、アホぉぉぉぉ! 体操服忘れてんぞぉぉ!」
弾き出されたように部屋を飛び出し、その先の廊下の端にちらと見える綺麗な黒髪、その後ろ姿に追いつこうと走り出した。
窓の開けられていない密閉した廊下。お構いなしに陽ざしはこちらを朗らかに照らす。
額にひとすじ流れる汗を、やれやれといった感じの笑みを浮かべながらおれは拭った。
いつか、きっと。追いつくように。おれは彼女方へしっかりと手を伸ばした。
これだから、やっぱり夏は。
だいきらいだ。
@tekitousyosetu ←フォロしてくれたら靴なめます