離さない
「おー、律坊仕事お疲れさん」
マスターはそういいながら、オフィスの簡易キッチンで調理を続ける。
「お疲れ様。店長に言っておいたから早かったな」
そう会長さんが言った。
「あ、はい、ありがとうございます!」
俺がガバッと頭を下げると、
「いいってことよ、こうやってマスターの料理がここで食べれるなんて思ってなかったからなぁ!」
と言いながら、マスターと2人でワハハと笑っている。
そしてマスターが、
「律坊なんだ、余計なお世話かもしれねーが、ちゃんとみおちゃんと話しな」
と言った。
「で、でも…」
「ダメだ。お主ら、それぞれが頑張っちゃうから、ちゃんと話し合わないといけない」
「は、はい…」
「わしもこれで良かったのかと悩んだが、みおちゃんの顔を見ていたらこうするしかないと思うたぞ? お主もみおちゃんに不幸になって欲しくはないだろ?」
「そ、それはもちろん!」
「じゃったら話し合え、わかったな?」
「はい…」
すると会長さんが、
「いついかなる時も女を泣かしていい理由なんてねぇよ。唯一許されるのはうれし泣きだけだ、わかったな律」
「うっす…」
「んじゃ俺はここでマスターの料理食ってるから、そこのMTGルーム使っていいから」
「ありがとうございます」
会長さんの指さした先には、個室のMTGルームがあった。
俺は美緒の方を向いた。
美緒はずっと下を向いている。
「み、美緒。行こうか…」
そう言って俺がMTGルームの方へ向かうと、美緒も席を立って後を着いてきた。
美緒がMTGルームに入って座った後、俺はドアを閉めて美緒の対面に座った。
「み、美緒…」
俺がそう一言だけ言うと、
「り、律君、会いたかった。会いたかったよぉ…」
と美緒は泣き出した。
「み、美緒。ご、ごめんね…」
「3カ月…ズッ…私頑張ったんだよ……律君のことずっと好きで、その気持ちだけを支えに…ズッ……」
美緒はどんどん涙がでてきていて、ずっと手のひらで涙をぬぐっている。
「律君が側にいなくても…ズッ……律君を好きだって気持ちだけもって……ズッ…このまま生きて行こうって…ズッ…。でも…律君との時間を無駄にはしたくなくて…ズッ……頑張ったんだよ……」
あぁ…美緒も俺と同じことを想ってくれてたんだ……。
そう思うと自然と俺の目からも涙があふれ出てきた。
「でも…もう無理だよぉ……私律君と一緒にいたいよぉ…ズッ…」
「それは…おれも……だけど……」
「り、律君はひどいよぉ…ズッ…わ、私に相談してくれても…ズッ……いいじゃない……」
「ご、ごめん…。聞いたんだね」
俺がそう言うと美緒は頷いた。
そうか聞いたのか…。
だとしたら、美緒にもわかってもらわなきゃいけない…。
俺は続けて話した。
「俺さ、美緒と付き合うってなった時に決めてたんだ。中卒が美緒の障害になる時が来たら身を引こうって…」
「そんなの勝手だよ…ズッ……障害になんて少しもなってないのに…」
「だって、お父さんが、美緒がお父さんの話聞いてくれないって。前に家族のことで色々って言ってた時、実は俺のことでもめたんでしょ? 俺…こんなに優しい美緒に家族と険悪になって欲しくないんだよ…」
俺がそういうと、美緒は涙をぬぐうと、
「え…?」
どういうこと? みたいな感じで言った。
「え? いや、だから俺のことで…」
「え、律君のことで揉めたりしてないよ?」
「え? でもお父さん話聞いてくれないって」
「え、色々あったのは全然別のことって言ったよ?」
「え? でもそれは美緒が俺に気を遣ってくれてそう言ってくれたのかと…」
「え、本当に全然別のことだよ?」
「え、本当?」
「うん…」
まじかぁ…。
俺の勘違いというか早とちりと言うか、拡大解釈と言うか…。
「ま、まじか…」
「うん…それはもう幼馴染でも何でもない、その人のことで揉めたんだよ?」
まじか…。
てかお父さん、既に揉めてんじゃん。
そんな人を通して機会をとか土台無理な話じゃん…。
「まじか……そうすると、俺の勘違いと言うか早とちりと言うか…」
「で、でもお父さんが、こんなに頑張ってきた律君をバカにしたのは間違いないから…」
「いや、それは別によかったんだけど…その家族云々はもう身を引く事でしか解決できないと…思って…」
「え、それはいいの? 私、それを謝らないとと思って……。それに、例え私は家族と険悪になっても、律君と一緒にいたいよ…」
「中卒であることはちゃんと理解しているつもりではあるから、それはいいんだけど…美緒が家族と険悪になるっていうのは……」
「私、マスターに聞いてお父さん問い詰めたの。だから全部聞いたの。それを聞いちゃったから…これまでは頑張ってこれたけど、私はもう頑張れない…」
「でも俺中卒だから…これから大変になるかもしれないのは本当だし…」
と俺が言い淀んでると、美緒は涙をぐっとこらえた感じで、
「わ、私、1年前から、公園のベンチで一緒にお話ししていたあなたに恋をしました! 本当に私はあなたを愛しています! もう一度私と、付き合ってください」
いつか公園で俺が美緒に言ったような言葉で、美緒が言った。
あぁ、もう無理だ。
もう自分の気持ちに嘘はつけない。
この3カ月、新しい仕事になったこともあって、そこまで考えずにここまでこれた。
でも美緒のことを忘れたことはない。
美緒が幸せになって欲しいとずっと思っていた。
本当は俺が幸せにできれば一番良かった。
でも俺は中卒で、それができないと、そうする資格がないと、そう思っていた。
でも、もう無理だ。
俺は美緒が好きだ。
本当に愛してる。
美緒のことを想うだけで幸せになってしまうほどだ。
美緒にこんなことを言われて、抑えきることなんてできない。
そして俺の目からはさっき以上に涙が出てきた。
俺は涙をぬぐいもせずに立ち上がり美緒の隣に行き、斜め後ろから座る美緒を抱きしめた。
「もう絶対離さない…」
俺がそう言うと、美緒はそのままコクコクと何度も頷いた。
そして美緒を抱きしめた俺の手には美緒の涙がポタポタ落ちてきた。




