時間が止まった
俺とマスターは両手に荷物を持ち、谷川さんと美緒の後ろを歩いてる。
「谷川さんよー、後どんぐらい行くんだー?」
マスターはうなだれた感じで聞いた。
「次が最後よ! ったく、女の買い物にはつべこべ言わず付き合いなさい! だから結婚できなかったのよマスター!」
と、振り返って一指し指をピンとさせる谷川さん。
「しかし結構買いましたね…」
「美緒ちゃん何着か欲しいって言うし、私も楽しくなってきちゃったからついね!」
「す、すいません、いっぱい見てもらっちゃって…。律君もマスターさんもごめんなさい…」
「美緒ちゃん、気にしなくていいから! 女の買い物に付き合うのは男の宿命なのよ!」
「そ、そうなんですね…」
そんなこんなで最後のお店に到着し、これまでと同じように谷川さんと店員さんが話して、何着か選ぶと美緒が試着室に入り、着せ替え人形になる。
まだ髪は長い状態なので、店員さん皆、最初は「え?」みたいな感じになるが、そこは谷川さんがあっという間に突破していってしまうので、終始谷川さんペースになっている。
「さーて、これぐらいで3ローテ、組み合わせ次第では5ローテぐらい組めると思うから大丈夫かな!」
と、谷川さんは汗をぬぐうような仕草をした。
「わ、私に似合いますかね…」
「間違いないわよ! 私の目を信じなさい! さー、そろそろ時任さんのところ戻らないとね!」
「あ、はい」
「男陣も行くよー」
「「へーい」」
谷川さんと美緒が前を歩く。
「ねーねー、マスター、おかまの人ってあんなに普通にいるの?」
俺はさっきからずっと気になっていたことを聞いた。
「んーまぁ、昔に比べたら、そこら辺は結構寛容になったからなぁ」
とマスターが言うと、前から谷川さんが、
「時任さんはねー、イケメンだけどおばちゃんだから、でも腕は凄いんだよー」
「そ、そうなんですね」
「だって、半年予約とれない人だもん」
「え、それじゃ今回は?」
「ねじ込んだ! ローストビーフの為に!」
と振り返って親指を立てて谷川さんは言った。
「そんなに楽しみにしてくれてたのなら、わしも作った甲斐があるのぉ」
「明日の夜に美味しくいただくわ!」
そんなことを話していると、先ほどぶりの相変わらずなんて読むのかわからない、「monnaie beau」に着いた。
「時任さんただいまー!」
と、ドアを開けて谷川さんが言うと、
「あー、杏ちゃんおかえりー! 時間通りね! ちょーっとだけ待っててねー」
と言われたので、荷物を空いたスペースにまとめておき、俺達は座った。
「あー時任さんに悪いことしちゃったなぁ」
と谷川さんが言った。
「今切ってる人、女優の相澤美鈴さんねー。バッティングしないようにしてたんだろうけど、私達が時間かえたからかー」
そう言われたので、俺と美緒もその席を見ると、横顔しか見えないが、確かにテレビで見たことがある。
「2人とも、普通の人だと思って話しかけたりしないでねー」
と、谷川さんが少し小さめの声で言ったので俺と美緒は頷いた。
「ほ、本当にすごい人なんだね…」
「みたいだね…」
「マスターさんの周りってこんな人ばっかりなのかな…」
そう美緒が言うと、ソファーに座ったマスターが、
「まぁ、やはり食欲は人間の3大欲求だからねぇ。有名な人も普通な人も、等しくあるってことだなぁ」
と言うので、なんだか納得できたようなよくわからないような感じになっていると、時任さんが来た。
「はーいじゃあ、次は西条さんの番ねー!」
と時任さんが言うと、美緒は立ち上がって、
「は、はい…よろしくお願いします…」
と、ペコっと頭を下げた。
「はーい! 任せて! とびきりに仕上げるから! 後で、赤井さんにメイクもやってもらいましょうね!」
と、時任さんは美緒の後ろに回り肩を持って席に連れて言った。
「あ、2時間~3時間ぐらいかかるから、皆さんそのぐらいにいてくれればいいわよ! 杏ちゃんは洋服選んでもらうから、2時間後ぐらいにはー」
と、美緒に白い布をかけながら時任さんが言った。
「じゃあ、私はプライベートの買い物してくるけど、2人は?」
「わしと律坊は、スーパーとか肉屋とか行って、食材の目利きを伝授することになっておる」
「そう! じゃあ、時任さんが言った時間ぐらいには戻ってきてねー!」
と言うと、谷川さんは出ていった。
「んじゃわしらも行くかの」
と、よいしょって感じでマスターが席を立ったので、
「おねしゃす!」
と俺も立った。
そして美緒の席に少しだけ近づいて、
「美緒、俺マスターとちょっと出るけど大丈夫?」
と聞くと、チラッとだけこちらを向いて、コクっと頷いた。
「では、時任さんよろしくお願いします!」
「はーい! よろしくお願いされましたー!」
そうして俺はマスターと一緒に店を出た。
本当は市場や魚河岸を見たかったのだが、ここら辺にはないので、その日は日常食材の目利きを教えてもらった。
魚の選び方や、野菜の見るべきポイント、肉の良しあし、色んな事を教えてもらった。
興味のあることなので、もう本当楽しかった。
美緒に料理を食べてもらってからは、もはや料理が趣味と言ってもいいと思うぐらいに、料理をするようになった。
だって、あの美緒が「美味しい」って優しく笑って喜ぶ顔を思い出すと、もっと美味しいものを食べさせてあげたい! って思ってしまう。
そして3時間弱はあっという間に過ぎて、美容室に戻ると、谷川さんがウェイティングスペースに座ってた。
「あ、おかえりー、もうちょっとで終わると思うからここで待ってましょー」
「了解です」
「律君、びびるわよ。死なないでね?」
「え、あ、はい…自信ないですけど…」
「ワハハ、律坊、みおちゃん大好きだもんな」
「あはは、いいわねー」
そんな話をしながら、しばらく待っていると、奥から時任さんが戻ってきた。
「さー皆さん! 準備できましたよー」
「おー、楽しみ!」
と谷川さんが両手を合わせて言った。
「正直私も赤井さんも、びびっちゃうほどの完成度だから! じゃあ美緒ちゃんおいでー」
と時任さんが言うと、奥から美緒が出てきた。
少しだけ前に進み、美緒は止まって顔をあげてこっちを見た。
そして俺は死んだ。
あんなに長かった髪の毛はセミショートぐらいまで短くなり、髪の毛の色も黒から薄い茶色っぽい? 黒っぽい? ちょっと表現できないような色だが落ち着いている色で、毛先が少しカールされてる。
そして、薄い緑色の巻きスカートのような短すぎないミニスカートをはいて、上は胸元にレースのような飾りのある白い長袖のブラウスを着ている。
もう、やばすぎる。
これは、危険すぎる。
プロの人がメイクやヘアメイクをやったからなのか、もう普通にモデルだ。
しかも美緒は細いので、スラっとしていて、肌も透き通るように白く、これまでの生活での雰囲気も相まって、信じられない程儚く見える…。
俺は、心臓を頑張って動かしつて、ギギギと言う感じでマスターを見た。
マスターもポカンとして固まってる。
するといつの間にか美緒が近くまで来ていて、
「ど、どうかな…」
と聞くので、
「めちゃくちゃ可愛い!!!! てかめちゃくちゃ可愛い!! なんだろ、めちゃくちゃ可愛い!!!!」
と俺が言った。
まじで表現する適切な言葉が思いつかなかったんだよ…。
すると谷川さんが、
「本当に埋蔵金だわ…こんな儚そうな雰囲気出そうと思っても出せないでしょ…」
「いや、本当、化けると思ったけど、やっぱりすごかったわ」
「本当だよなー、メイクのし甲斐があったよ。あ、美緒ちゃん、メイクのやり方とどれ買ったらいいか後で教えるね」
「は、はい、ありがとうございます」
「ねーね―美緒ちゃん、1つだけお願いしていい?」
「は、はい、なんでしょうか?」
「ちょっとさ、右側の髪の毛こんな感じで持ってもらって…そうそう! それで少しだけ右側に首をかしげてもらって、少しだけニコッて笑ってみて?」
と谷川さんが言うと、美緒は言われた通りに動き、ぎごちない感じでニコッと笑った。
そしてこのお店の時間が止まった。
「あ、杏ちゃん、あなた流石ね…。こんなにこの子の魅力を引き出すポーズないわ」
といち早く硬直がとけた時任さんが言った。
「あ、いや、私もそうだろうなとは思ってたけど、まさかここまでとは思わなかった…」
「いやぁ、わしも好きになっちゃいそうじゃ」
「ま、マスター、それだけはいくらマスターでも許せない!」
その後、時任さんが何枚か写真を撮らせてほしいということで、美緒は写真を撮った。
更に谷川さんが、
「美緒ちゃん、アルバイト探してるって言ってたでしょ?」
「あ、はい」
「wiwiでモデルやんない?」
「え、私が???」
「そう」
「無理ですよ…」
「いやいや、まじで行けるから、絶対」
と言った。
すると美緒がチラッとこっちをみたので、
「ま、まぁ一旦今日は色々変わり過ぎてあれなんで、その件は今度連絡しますよ!」
「あ、うん、それでいいわ! 美緒ちゃん連絡先だけ…」
そう言って、美緒は谷川さんと連絡先を交換した。
美緒は今度はちゃんとLimeのQRコードを出していた。
そして、俺と美緒とマスターは3人でまた電車に乗り家に帰る。
ただ、来る時と大違いなのは、全員が大荷物なことと、美緒に向けられる視線の種類が変わった。
「美緒、やっぱりすごい美人だったでしょ?」
俺は横に座っている美緒に話しかける。
「じ、自分じゃわからないよ…」
「あんなプロの人たちが言うぐらいだから間違いないよ!」
「そうなのかな…それに、こ、こんな短いスカート初めてはいたから、なんだか慣れない…靴がスニーカーっぽいのはまだよかったけど…」
という美緒の足には目を向けれない。
別にがりがりじゃないけど、もう本当にスラっとしてて、目のやり場に困る……。
「そ、そうなんだね。でも、す、すごい似合ってるよ…?」
「本当?」
「うん!!」
「律君こういう服装好き?」
「どんな服の美緒も好きだけど、これは凄い似合ってると思う!」
「そっか…これからかも頑張ろうかな…」
「あーほらもうつくから、お前等二人で惚気るのは二人の時にやれぇ。律坊は聞いてたからわかってたが、みおちゃんも似た者同士だなぁ」
とニヤッとしながらマスターが言うので、あははと俺は笑い、美緒は少し赤くなって下を向いた。
そして俺達は美緒の家の近くまで荷物を持って行き、マンション前で渡して、その日は帰った。




