とっておきの店
俺は美緒を連れて、とっておきのお店「キッチン三枝」のドアを開けた。
「ちわーっす、マスター?」
すると奥から声が聞こえた。
「あぁ、もうそんな時間か、律坊そこら辺座っといてー」
「あいよー」
そう言うと、俺は二人掛けのテーブル席に美緒を案内して座った。
「か、樫木君…こ、ここお店なの?」
「そうだよー!って言っても、シェフを引退したマスターが余生の惰性でやってるお店」
「惰性…」
と言うと、奥からコックコートに身を包んだ、60歳過ぎぐらいのおじさんが出てきて、
「なにが惰性だー。この店を開くために俺はこれまで仕事頑張ってきたと言っても過言じゃねーんだぞ!」
と、カウンターの向こうから言った。
「あぁ、それは知ってるけど、新規の客は入れないとか、もう趣味でしかないでしょ」
「まぁ趣味半分だな、ワハハ。んでそっちのお嬢ちゃんがお前のあれか?」
「そう! めちゃくちゃ可愛いでしょ!」
と俺が言うと、ポカンと言う感じだった美緒は赤くなって下を向いた。
「ワハハ! もう律坊の惚気話は聞き飽きたからなぁー。お嬢ちゃんお名前は?」
と、美緒にマスターが聞いた。
「…西条美緒です…」
と、美緒は下を向いたままペコっと会釈した。
もうすべての動作が可愛い。
「そうかいそうかいー。んで、律坊今日は肉と魚どっちにするよ?」
「魚で! 美緒も魚でいい??」
と俺が聞くと、美緒はうなずいた。
マスターがカウンターの裏に消えると、美緒が、
「魚ってなんの料理なの?」
「んー出てくるまで俺もわからない!」
「ええ? ここはなんのお店なの?」
「一応ジャンル的には定食屋だとは思うんだけど、なんだろ?」
「メニューとかないの?」
「ないよ! 魚料理か肉料理か、メインだけ選んでもらって、後は出されたものを食べるだけ!」
「へ、へぇ、なんか変わったお店だね…小説で出てきそう」
「あー確かに! 知る人ぞ知るって感じのお店だからね! でもお客さんは凄い人ばっかりだよ? サッカー選手やアナウンサーや政治家までよりどりみどり」
「えぇ、そうなんだ…」
「そう、マスターが昔結構有名なお店の料理長だったらしく、その時のお客さんが来てるんだって」
「そうなんだ…樫木君はよく見つけたね……」
「たまたまさ、このビルの近くを通った時があってさ、なんか独特の美味しそうな匂いがするなぁと思って、匂いをたどってたどり着いた!」
と、俺は少し自慢げに話した。
すると奥からサラダを持ったマスターが出てきて、
「本当びっくりしたよあの時は。ドア開けるなりこの匂いの酸味は一体なんだ! って(笑)」
そう言って、サラダをテーブルに置いた。
「そうそう、んで一見さんはお断りなんだよって言われたけど、頼みに頼んで食わしてもらったんだよなぁ」
「そ、そんなになの?」
「そんなにだよ! 美緒も絶対びっくりするから!」
「そっか」
「あ、でもサラダは普通だから!」
そう言って俺はサラダを食べだした。
美緒も恐る恐る箸でサラダを食べだした。
「予約したって言ってたから、てっきりもっと肩ひじ張ったところかと思った…」
「あぁ、そう言うところの方がよかった?」
「うんん。こっちの方がいい。人が多いのはあんまりだから」
「そっか。あ、さっき大学でごめんね? みんなの前であんなこと言っちゃって」
「あ、うん、大丈夫。そ、それに嬉しかったし」
と、表情はあまり見えないけど、はにかんでるような雰囲気で美緒は言った。
「それならよかった!」
「で、でも…ああいう場所では…抱きしめたりしないで欲しい……」
とサラダをテーブルに置いて下を向く美緒。
「ご、ごめん! お、思わず! 嫌だったなら謝るから!!」
「い、嫌じゃない…でも、恥ずかしいから……」
「あ、そっか、少し人もいたもんね!」
「少しかな…」
「俺さー、美緒と一緒にいると美緒しか目に入ってこないんだよね!」
と言うと、美緒は少し上を向いて、
「ふふふ、ありがと」
と言った。
少し口元が見えたけど、笑っていた。
俺は不意打ちの一撃をくらった。
「ぐっ…今度からは人のいるところでは気を付けるよ」
「うん。人がいない所なら…」
「いない所なら?」
美緒はそこまで言うと、何事もなかったかのようにサラダを食べ始めた。
「美緒ーーーーー! そこめっちゃ重要なんだけどー!!」
と俺が言うと、サラダを食べる美緒の口元がふふふと笑っていた。
そしてサラダを食べ終える頃に、カウンターの裏から「ジュー!」っと何かを揚げる音がしてきた。
「おー、今日は魚のフライか天ぷらかなぁ」
「そんなに美味しいの?」
「食べてみればわかるよ。すごいから」
「期待しちゃうよ?」
「大丈夫!」
と俺が自慢げに答えると、カウンターの裏から、
「律坊ー! お前のことじゃないんだからあんまりハードルあげるなー!」
と言う声が聞こえてきた。
「大丈夫! 美緒も衝撃を受けること間違いなし! なんの料理かまだ分からないけど!」
「期待してるね」
「うん!」
「でも、樫木君は大学の食堂でも言ってたけど、匂いとか味とかすごいんだね」
「んー人と比べられないからわからないけど、マスターに聞いたらなんかスーパーテイスター? とかじゃないのかって言われた」
「スーパーテイスター?」
「んーなんかよくわからないけど、味がよくわかるんだって」
「へぇ…」
「でもさー、旨いものがわかるのは凄い嬉しいんだけどさ、そのまままずいものもわかっちゃうから以外に大変だよ?」
「確かに…。人より敏感に美味しさを感じるなら、まずさも人一倍ってことね」
「そういうことー。まぁ無視して腹にいれちゃえば一緒なんだけどね!」
「そんな元も子もない…」
と言う美緒は、なんだか前より少し柔らかい雰囲気になっている。
前と一緒で長い髪が顔を隠してはいるけど、なんだか雰囲気が柔らかくなっているような感じがして、少し俺は嬉しくなった。




