表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

私のカワイイ妄想

作者: 1次落ちのM

「ただの愛情ではないのです。」(https://ncode.syosetu.com/n2777gu/)とともに散歩する文学賞の落選作。おそらく、小説として成り立っていないと判断されたのでしょうが、どこが駄目なのか、どこがつまらないのか、ご教授いただければ幸いです。


 街を彩る雑多なものが、全て愛おしい。山手線の窓から見える景色が段々とカラフルになっていく。

 電車のアナウンスの、次は原宿、という車掌の声が聞こえ、私は緑色のシートから腰を上げた。代々木から原宿へ向かう二分ほどの時間で楽しみが増加している。早く原宿駅に着いて降りたくて、体がジンジンとし、くすぐったいような期待感を覚えていた。

 ようやく電車が停止し、私は駅のホームに出る。ホームの外には雑貨屋の間に竹下通りの入り口が見える。

 駅には私と同い年か、少し年上くらいの人たちが多く見えた。みんな、原宿の街が好きなのかな。

 今日は友人の梨子と一緒に買い物をする予定だったが、急遽、彼女は熱を出してしまい、行けなくなった。また別の日に、という約束をしたが、私は今日行くと決めており、心は原宿にあったため、一人でも行くことにした。

 竹下口の改札を抜けると、目の前に竹下通りの入り口が見える。入口にはピンクや緑、黄色に光るアーチがあり、そこを潜ると、人の活気と色彩に溢れた場所だ。

 私は昔から、美しいものが好きだ。お洒落を好きになるのは当然だった。何でも華美なものを好んだ。

 また色使いに拘ったコーディネートを考えることだけでなく、色とりどりの花々を育てることや、絵を描くことに対しても、小学生のときからずっと興味があった。

 だが、反対に質素なものや、実用性を第一にした簡素なデザインのものには全く惹かれなかった。



 中学二年のとき、修学旅行で箱根に行った際、陶芸教室で茶碗や湯呑みを作る体験をした。教室は定年退職してから陶芸を始めたと言うお爺さんが、一人で切り盛りしているような小さいところだった。一クラス分の人数が入るのにギリギリな部屋で行われた。

 お爺さんは自分が作ったと言う、湯呑みを大事そうに両手で包むように持ち、

「見て下さい、この光沢。ツルリとして素晴らしいでしょう。イヒヒ。素焼きした後に、釉薬をかけて焼くことで、こんなに綺麗な仕上がりになるんですよ。イヒ。そんで何と言っても、この情緒溢れる色。茶色のような黄土色のような、大地の豊かさを感じさせるような、落ち着いた色。良いでしょう、こういうのが美しい器というものなのです。とても使いやすくて、一見質素な物が良いのです。みなさんは千利休を知っていますか。まさに陶芸はわびさびの芸術ですとも」

 私は良いとされる湯呑みや茶碗に、何一つ感動を覚えなかった。

「意味分かんなくね」

 と、私は隣にいた友人の女の子に正直な感想を述べた。

「それな」

 彼女は私に同意してくれた。私の美的感覚は間違いではないことを確認した。

 私は陶芸体験でも、お爺さんの言う美しいものを作らなかった。縄文土器の火焔型土器のような花瓶を作ろうとした。色も茶色とか灰色とかではなく、紺碧の海を連想させる瑠璃色をベースに、ショッキングピンクで模様を書こうとしていた。

 私がまだろくろを回して火焔の部分を作っているとき、背後から怒号が飛んで来た。

「おい! 何ふざけたことしてやがんだ」

 お爺さんが私の作る花瓶を見て、憤慨したようだ。はあ、と私が微妙な反応をすると、

「陶芸はそういうくだらん物を作るのではない。日常で使えて、わびさびの美を感じる日本の伝統に根差した作品を作るんだ」

 と言って、私が一生懸命装飾を施していた火焔型花瓶は、潰され丸め直され、粘土の塊に戻った。

「何すんだよ、ジジイ」

 私は自分の美意識を否定されて、ブチギレた。先生に止められ、何とか収まったが、私の中で燃える赤々とした火炎は消えなかった。



 私は派手なものしか美しいと認めない。質素でわびさびを感じるというのは、ただの貧乏性の人間の屁理屈だ。私は自分なりの信念を抱いて今まで生きて来た。

 私は竹下通りを歩く。たくさんの洋服店や流行の食べ物の店が軒を連ねる。白やクリーム色を基調とした壁にピンクや赤を重ねて、カワイイ雰囲気を作り出す。緑に黄色、青のアクセントとなる色が、街に活気を与える。黄色い建物に赤い看板が目立つファストファッション店。ピンクと白でイチゴケーキを表現したような化粧品店。カラフルなクレープ屋、靴下屋、キャラクター雑貨店。

 女子高生たちがパステルピンクとパステルブルーの大きな綿あめを頬張る。

 茶色系のメイド服を着た、ビビッドレッドの髪色をしたお姉さんが闊歩する。

 アメリカ人らしき白人の集団の人々が、黄緑や水色、トマトケチャップ色のTシャツを着て、下にダメージジーンズを合わせて談笑している。

 ビジュアル系バンドを組んでいそうな髪が赤や黄色のお兄さんたちは、黒のセットアップのコーデをし、苺やブルーベリー、バナナの入ったクレープを持っていた。

 アイドルオタクの男たちも髪を金髪や茶髪にし、推しメンのメンバーカラーであろう青やオレンジのハッピを着て、満面の笑みを浮かべている。

 私は竹下通りを歩くと、幸せな気分になる。みんなが美しい街で、自分の好きな色彩をまとい、自分の身を飾っている。自らの美学がある証拠だ。装飾の中に、自分たちの趣味が明確に現れる。何で飾るかが大事なのだ。



 私は好きなファストファッションブランドの店に入った。もう季節は春になるので、少しスモーキーな色の服が多く目立った。夏に近付けば、もっとパキッとした色の服が増えることだろう。私は春服が好きだ。私の色白で黄みのある肌は、春服の色がよく似合う。

 今日はカーキのスプリングコートと、ベージュブラウンのチェック柄のメンズシャツ、サーモンピンクの花柄の刺繍がさり気なく入ったプリーツスカート、陽光に照らされた新緑を連想させるゴールドとグリーンのシュシュを買った。

 私はメンズ服を活用するコーデが好きだ。私の髪型はボーイッシュな黒髪マッシュなので、特に似合う気がする。

 買い物に疲れた私はカフェに入って休むことにした。時刻は十四時。遅めの昼食を取る。カフェの内装は、白の上に茶色や赤や黄色の暖色でまとまった、安心感のあるものだった。木の模様が目立つ床に、同じ木を使った丸テーブルと椅子が置かれている。白地のメニュー表に、カワイイ字体で書かれたピンクの文字。水の入ったグラスは、透明でも底は薄っすら緑がかった色を帯びている。お客さんも店員さんもお洒落な人が多い。

 オーガニック野菜の玄米カレーライスを注文した。カボチャにトマト、ブロッコリーにナス。どれも大好きな野菜だからだ。

 昼食を食べた後は、パフェを食べる。今日は自分に対してご褒美をあげるつもりだったので、カロリーや糖質だなんて一切気にしない。私が頼んだメロンパフェは、メロンの繊細な甘さと生クリームの濃厚な甘さのバランスが良く、一緒に入っているサクランボやブルーベリー、チョコレートが私をより幸せにする。



 私は何て幸せ者なのだろう。カフェを出てから、クッキー屋さんで家族へのお土産として、ピーナッツクッキーを買い、竹下通りを歩いていた。もうそろそろ十六時になる。帰るために駅へ向かう。

 竹下通りの活気は相変わらずだ。夕方でも人の数が減る気配がない。赤、青、緑、黄色、ピンク、オレンジ、紫。色彩豊かなシャボン玉が浮かんでいるように、眩しく、ほんわかした空気感が伝わって来る。

 私が一番好きな街は、私のことを理解して、私が望むものを提供してくれているようだ。今日も楽しい一日だった。梨子が来れなくなってショックだったが、私一人でいても十分楽しめることを知った。私は自然と微笑み、駅へ向かって歩いていた。

 竹下通りに聞き慣れぬ騒音が響いた。

 こんな美しい街で何が起きたのか。前方を見ると、進行方向にて、体の大きな黒のタンクトップとブルージーンズを着た黒人が暴れていた。英語で何やら喚き散らしていた。仲間らしき黒人二人は暴れている男の体を抑え、何かを説得していた。

 周囲の人たちは彼らから離れて、興味深そうに観察していた。人だかりができて、通行できそうにない。駅に向かうためには、乱心している黒人の近くを通らなければならない。恐怖しかない。嫌な予感だけする。だが、引き返して表参道口の方へ迂回して行くのは面倒だった。

 私はどこ吹く風と、言わんばかりのポーカーフェイスで、人の群れと黒人の喧嘩の間を歩いて過ぎようとした。カラフルでカワイイ街の中で何をそんな怒ることがあるのか。

 私が近付くと、暴れていた黒人が二人を振り解き、腕をフルスイングし、思いっきり彼らの顔面をぶん殴っていた。

「ヒッ」

 私は声が出た。二人の黒人の顔から大量の鮮血が流れ出した。殴った黒人は私の悲鳴に反応した。私の顔は青瓢箪みたいになっているだろう。顔が一気に冷たくなっていくのが感覚的に分かる。

 身長百九十ほどあるであろう黒人が大股で私の方に近付く。

「何、なに、ナニ」

 私は後ずさりしようとしたが、動けなかった。黒人の顔がどんどん近付いて来た。充血した目を大きく見開き、授業で習った金剛力士像みたいな表情をしていた。

「ごめんなさいごめんなさい」

 私は何で謝っているのか分からなかった。黒人相手に日本語が通じるわけがないのに、私はひたすら謝っていた。黒人は私を捕え、私の首に腕を回した。力が強く、私は呼吸が難しくなった。

 黒人は私のことを指差して、周りの人だかりに向かって、何かを叫んでいた。英語なので周囲の人も何を言っているか分からないだろう。周りにいるアパレル店員のお兄さんも、飴を売っているお姉さんも、綿あめを食べている女子高生も、ビジュアル系バンドマンも、メイドさんも、誰も私のことを助け出そうとしてくれなさそうだ。みんな茫然とこちらを眺めているだけ。我関せずを貫いているように見えた。

 助けて、と言いたい。呼吸することも難しいので、声を出すことなど叶うわけがなかった。私は筋肉質の腕の中で、体を芋虫みたいに蠕動を繰り返すのみ。本当はもっと体を動かし、暴れたい。だけど、力では黒人の男に適うわけがなかった。

 しばらくすると、ちらほらと人が去って行くのが見えた。飽き始めたのだろう。この黒人と女子大生の見世物は進展がないため、お客さんは去って行くのだろう。私はどういう感情を抱くべきなのか。実際今自分がどんな感情を抱いているのか分からなかった。黒人は英語で何やら叫ぶのみ。声が出せない私は泣きながら必死に無音の助けてを叫ぶのみ。

 遂に足を止めてくれる人もいなくなった。みんな横目で私たちのことを確認して、足早に去って行く。見てはいけないものを見てしまったように、顔を伏せて走り去って行く。

 結局、みんな自分の身だけがカワイイのだ。

 裏切られたとかそういうことでもなさそうだ。元からみんな自分という存在を美しくするために、ここに来ているのだった。私は達観し始めた。

好きな服を買う者、流行の食べ物を食べる者、好きな格好をして歩く者、好きな人とデートをする者、お洒落な友達を連れて歩く者、全員が自分だけのカワイイを実現することに躍起になっていた。

 私は自力で逃げ出すしかない。相手は百九十近い身長の黒人男性。絶望的だが、私しか私を助けることはできない。私だって自分のカワイイを手に入れるために来たのだ。この危機を乗り越えることもカワイイ私になるための試練と信じている。

 私は火事場の馬鹿力で、顔を男の体の方に向け、男の胸元に噛み付いた。タンクトップしか着ていないので、相当な痛みを感じたことだろう。

「アッ」

 と、英語で発し、黒人は腕の力を緩めた。その隙に私は男の腕から潜り抜け、人のいる方に走った。後方から大きな足音が聞こえる。

肩に強烈な痛みを感じた。殴られたようだ。私はつんのめり、前転するように転んだ。私の視界から街の色彩が消えて、一瞬で戻って来たように見えた。私は仰向けに倒れているようだ。

私の視界には、夕方の山吹色の空が見えた。桔梗色の雲が浮かんでいる。そこに黒い塊が侵入して来た。黒人が倒れた私に馬乗りになっているみたいだ。

 男は怒っている。とんでもなく怒っている。大きくて硬そうな握り拳が、空に浮かんで、私の方に落下して来る。拳は私の顔に当たった。何がどうなった。痛みもよく分からない。赤が見えたような。いやピンクか。黄色く太陽が光ったような。いや、紫色の絶望が浮かんだような。赤い怒りと、ピンクの自己憐憫が混じる。黄色い興奮が紫色の悪感情にアクセントを与える。私はどうした。何がどうなった。私はカワイイを目指しただけなのに。



 目が覚めたような気がする。意識が戻り、思考が徐々にはっきりしたからだ。だが、私は真っ暗闇の中にいた。物音は聞こえるが、何も見えない。手は動かせたので、私は自分の目元を触って確認してみた。何やらガーゼのようなものが巻かれている。

何が起きたのか。私は黒人に捕まったことを、すぐに思い出した。確かに私は男に思いっきり顔を殴られたのだった。それはどこに命中したか。

 私は叫んだ。大きな声が出た。周りが急いで私の方に向かって来る。人の足音で分かった。

「千尋」

 足音に混じって、母の声が聞こえた。私は何か言ったが、何を喋っているのか分からなかった。動揺してもいたし、恐怖を思い出してもいた。目が見えないので、私がどうなっているのか分からず不安だった。全てがごちゃ混ぜになって、暗闇の中に佇む私を苦しめる。

「千尋、落ち着いて」

 母も私の乱心ぶりを見て焦っているようだ。顔が見えないから分からないが、声色では焦っているように聞こえた。母の声を聞いて、私は少し安心した。安心を覚えると同時に、目に鈍痛を感じた。

「私はどうなっちゃったのさ。ねえ、お母さん。私、もう無理。嫌だ。ホントに嫌だ。目が見えない。目が痛い。死にたいよ。何がどうなっているのさ。何も見えない。ねえ、いつ見えるようになる。早くこのガーゼみたいのを取って。このままだと嫌だ。早く、お母さん」

 私の欲求が矢継ぎ早に口から出て来る。色が見たかった。私は真っ黒の視界の中で、色を求めていた。色彩豊かなものを見なければ本来の私に戻れない。

 私は不安に打ち震えていた。何で私だけがこんな目に。涙が出ているのかも分からない。ガーゼが巻かれ、涙が頬を伝わって来ない。

 見えていないが、恐らくベッドの上で座り込んでいるのだろう。

「千尋さん」

 私の名を呼ぶ声が闇から聞こえて来た。

「はい」

「どうも、当院にて眼科医として勤めております岩橋です」

「治りますでしょうか」

 医者の名前などどうでも良い。早く私の目を元に戻してほしい。

「網膜剝離の一般的な手術の成功確率は九十パーセントと言ったところでしょう」

「じゃあ、早くやって下さい」

 私は気が急いていた。早くこの暗闇から抜け出さなければ、色を見る感覚を失ってしまう恐れがあった。闇に慣れ、光り輝く装飾的な色彩美を感じる感覚を忘れ去りそうな不安で一杯だった。

「だが、無事成功しましても、元通りには戻らないこともあります」

 医者は当たり前のことのように、酷いことを言った。

「どういうことです?」

「一部が欠けて見える視野欠損や、膜がかかったように視野全体が光って見える光視症といった症状が現れるでしょう。千尋さんの場合は、特に眼球の損傷が激しいので、何らかの後遺症は残ると想定していて下さい」

 医者の岩橋が去って行く足音が聞こえた。彼の足音は何に対しても関心がなさそうな、無機質な音に聞こえた。

「お母さん。何で私だけがこんな目に」

 お母さんは私の手を握ってくれた。目が見えなくても、お母さんの手だと分かる。

「元通りに見ることはできないんだ。今まで綺麗だと思っていたものを、美しく見ることができなくなるってことだよね。ファッションも、絵画も、綺麗な花も。私、耐えられないよ」

 お母さんは何も答えない。何て言ったら良いのか分からないのだろう。

ただ茫漠とした黒い空間が広がり、手だけ他人の熱を感じられる。



 どれくらい時間が経ったのか。ずっと真っ黒で、外の景色が見れないため分からない。ガーゼのようなものが巻かれた目元を、優しく触ってみる。今まで私を楽しませてくれた両目が、粉々に砕け、虚しく崩れ去って行った後のような。

 美しい装飾を見ることができなくなるのと同時に、両目に対して不憫に思った。そんな両目を失った私自身も可哀そうで可哀そうで仕方がなくなった。不自由を強いられた私は、好きなものを失うと同時に、自分が惨めな存在だと認識するようになった。

 私はなぜ、黒人が暴れているのを見たとき、引き返さなかったのか。惨めだと感じた瞬間、自分の行動を責めるようになった。弱い者を責めるのは人間の性質だが、一番の弱者が自分になったとき、人間は容赦なく弱い自分を責める。完膚なきまで私を責め続ける。

 私は大馬鹿者だ。身の危険を感じたにも拘わらず、そのまま竹下通りを歩き、黒人の傍を通ったのだから。一旦引き返して、ラフォーレの前を通り、表参道口へ行くことだって可能だった。だが、私は面倒臭いという理由だけで、そのまままっすぐ歩いた。愚かだった。余計に面倒どころか、一生取り戻せない財産を失うことになった。私の色と自尊心。

 私は手探りで布団を探り出してから、横になり頭まで被った。

 過去の行動を振り返って、間違いを犯した弱い自分を責めることに、痛烈さを感じた。あまりの可笑しさに、自己憐憫以上の自己陶酔を覚えていた。昔の私を責めれば今の私が少しでもマシになったと勘違いして、今の自分に酔う。私自身に酔うことで、刹那的に視覚を失った辛さを誤魔化し、自己を憐れむ気持ちを除去する。

 布団に潜ってからしばらく経って、冷静になった私は自分の思考に辟易した。本格的に眠るため、考えることを意識的にやめた。今は眠るしかすることがない。暗い未来に向き合うことをしたくなかった。暗い未来へと眠ったまま流されることが楽な気がした。



 手術をする前日、私のベッドの傍に梨子がやって来た。彼女は、

「千尋」

 と言ったきり、何も喋らなくなった。母同様に、何て言えば良いのか分からないのだろう。私は自分が思っている以上に、悲壮感を漂わせているのかもしれない。

「さっき、岩橋さんっていうお医者さんに聞いたんだけどさ、明日手術なんだね」

 梨子はとりあえず沈黙を埋めるために、事実確認のような当たり障りのない事柄について喋ったのだろう。

「まあね」

 私の口調はつっけんどんになりすぎたかもしれない。梨子が約束を守らなかったことと、黒人に襲われたことは直接的な繋がりはない。だが、何なのだろうか、この不平等に対する静かで冷たくて重い文鎮みたいな怒りは。重たく私にのしかかって苦しい。彼女の声が聞こえる。

「梨子ね、約束破ったことにも悪いと思っているし、その日に千尋が大怪我したことにも、何だか変な罪悪感があるんだよね。だから、そのお、何て言えば良いのかなあ」

 梨子は自分のことを梨子と呼ぶ。前までは聞き流せたことだが、今は無償に苛立たせる。気を使いすぎている態度も気に入らなかった。私は梨子が優しくて、みんなに好かれるタイプの子だと知っていた。八方美人な性格は、わざわざ嫌うまでもないと、私は思っていたが、イライラポイントが地雷のように埋まっていた。こちらに余裕がなくなったとき、それは爆発する。

「だから、あのね、梨子はね、千尋にはゼッタイ治ってほしいって誰よりも願っているの。これ本当だよ」

 一番願っているのは、梨子ではなく私本人だ。

「絶対に嘘だ。行かなくて良かったって思ってるだけっしょ」

 私は真っ暗闇に向かって、言葉を投げた。

「そんなことないって。信じてよお。千尋の目が治って、また一緒に原宿に行こうって梨子は決めたんだから」

「私はもうあんな怖い思いしたくねえんだよ。それなのに、またあそこに連れ戻す気なのかよ。おい」

 梨子は腹黒い。私は目が見えたときには気付かなかった彼女の瑕疵を見出すことができた。

「ごめん。ホントにごめん」

 梨子はひたすら謝る。目の見えない者が、目が見えて美を感知できる者に当たっているように感じ、加害者意識が芽生えた。私は美意識を失い、自尊心を失い、次には思い遣りも失った。何もかもが徐々にこぼれ落ちていく。悲しくて仕方がない。私は両手で顔を包む。涙が流れないのに、涙を隠す仕草だけした。

「もういいって、帰って」

 私は何がしたいのか。梨子に対して、何も影響力もないはずなのに、彼女を突き放すようなことを言った。

「ごめんね、千尋。梨子、千尋の気持ちにはなれないから」

「何さ、私の辛さは私にしか分からないから、梨子に期待するなって言いたいわけ? 最初っからしてねえよ。逆に何で梨子なんかに分かると思った? 梨子は自分がカワイクて仕方がないだけの人なんだから」

 私は自分が酷いことを言っている自覚はある。目が見える梨子が羨ましかったし、恵まれていることを自覚していない彼女が憎くもあった。羨望と憎悪がぶつかり、近付きたい気持ちと排除したい気持ちが交差する。二つの感情が水と油のように分離して、私の中の自我までもが二分したようだ。真っ暗闇の中で、私は自分の扱い切れない感情の動きを具に考察することができた。

「何さ、せっかくお見舞い来てあげたのにさ」

 梨子は不平不満を感じている。遂に腹を立てたようだ。

「そんなこと、頼んでない」

「ひっどい。千尋ちゃんって視力なくして、人間もやめちゃったんじゃない? 梨子、周りのみんなにも言っておくね」

「早く帰れよ」

 梨子が去って行く足音が聞こえた。行くな、と心の中で叫んでいた。行ってほしい私と、傍にいてほしい私が共生していたからだ。梨子が去って行くメリットは、心安らかに一人になれることで、傍にいるメリットは、暗闇の中で外界を感じられることだ。両方のメリットがほしかった私は、どう振る舞えば良いのか分からなかったのだ。

 私は人の気配が完全になくなったと思い、一人で眠り、明日の手術に備えることにした。



「どうですか」

 岩橋先生の無機質な声を合図に、目を開ける。手術は終わった。私は期待を込めて目を開く。光が入って来た。私は嬉しくなって、一気に目蓋を上げたが、ボヤボヤして基本、何も見えなかった。私が今、病院のどこの部屋にいるのかも判断できなかった。

「どうですか見え具合は」

「ボヤボヤして何も見えません」

 後遺症が残ると聞いていたため、全快はできないと知っていたが、ここまで視力を奪われるとは思っていなかった。視野欠損や光視症になるかもとは言われていたが、私は元通りに戻ることばかり想像していた。暗闇の中にずっといると、悪い方に考えるという能力がことごとく失われる。何も見えないため、光を探し求めるからだ。暗闇の中にて黒いものを探す人はいないだろう。

「そうですか」

 相変わらず、岩橋先生は抑揚のない機械の音声のような声で喋る。だが、その声に段々慣れて落ち着いてきた私もいた。

「眼鏡をかけてみましょう」

 先生に手渡された眼鏡をかけてみたが、見やすさは何も変わらなかった。変わりません、と言うと、

「おかしいですねえ」

 としか岩橋先生は言わなかった。私は引き続き入院することになった。

 私の目は辛うじて光や色彩を感知することはできるが、外界のモノは全て輪郭を失い、マーブリングのようにしか見えなかった。人は動いているため、判別できるが、白い壁の病院内で白衣を着ている医者たちを見付けることは難しかった。顔だけが宙に浮いて、肌色の飛翔体が飛んでいるようにしか見えた。私は両脇を母と看護婦さんに支えられ、ようやく病室に戻ることができた。今まで真っ暗なところにいたために、光が差す中を歩くだけで一苦労だ。ベッドに辿り着いたときには息が乱れていた。



 私は見え難くなった目で、母が持って来てくれたラウル・デュフィの画集や、鳥山石燕の百鬼夜行画集を眺めても、色んな色がごちゃ混ぜになって、何も見えなかった。持って来てくれたバラやカーネーションも赤とか黄色が交ざり、オーロラソースにしか見えない。私は楽しみを全て失った。画集を投げ、花を遠ざけ、苦しみの源になる過去の趣味を徹底して除いた。

 手術後、初めての食事の時間になった。ベッドの上で座りながら、テーブルに置かれた食べ物を食べる。見えていないときは人に食べさせてもらっていたが、これからは独力で食べたい。

 真っ白で清潔としか形容できないようなトレイの上に、真っ白な皿や茶碗が並んでいた。装飾など一つもない。ただ、全てが白いため、食べ物を見付けることは容易だった。色があるところに箸を付ければ、必ず食べ物を挟むことができる。実用性に特化した食器類は、私の生活に大きく役立った。

 私は中学時代の修学旅行で、陶芸教室のお爺さんが言っていたことを思い出す。使いやすくて質素な物が良い、という言葉を、今になって初めて実感することになった。

 私が装飾に拘っていたのは、心と体に余裕があったからなのだろう。

 私は現在、視力を失い、物を見分けることが難しくなり、心的にも身体的にも余裕はなくなっていた。

「もう、こうなれば過去の私を捨てないと駄目かな」

 私は独り言を発する。声に出すことで、自分の耳で聞いて覚悟を強めることができた。

 私は過去の自分の趣味嗜好を捨てて、今質素な湯呑みで緑茶を飲んでいる。私が看護婦に頼んだら持って来てくれたものだ。看護婦はトレイを下げて、湯呑みを持って来てくれた。今までの私には考えられない。今までなら緑の飲み物と言えば、バニラアイスとサクランボが乗っかったカワイイメロンソーダだったのだから。恐らく今メロンソーダを出されても、緑の上に丸い白と赤い点が乗っているだけの、抽象画のような物にしか見えないだろう。

 緑茶の湯呑みは確かに私の手のひらに収まりやすく、利便性で言ったら、文句の言いようがない。私はノーメイクで白い病衣を着て、真っ白な器に入った煮魚や、生の野菜、具の少ない味噌汁、玄米を食べ、食後に質素な湯呑みで緑茶を飲む。私の生命が活動するために欲するものを確実に摂取し、余計なものは一切排除されている。それでも私は生きていけるのだった。

 緑茶を飲み終えた私は目を閉じ、口を思いっきり開け、スーハ―、スーハ―息を吸ったり吐いたりを繰り返した。私の脳は私に落ち着くよう、指令を出していた。体の中身を入れ替えるように、空気の出し入れを始めた。呼吸が荒くなったが、私は自分を変える目的もあると分かっていたため、焦ることはなかった。そのまま吸ったり吐いたりを繰り返し続けた。

 しばらく経ってから、落ち着きを取り戻し始めると、過去の装飾に拘っていた私を馬鹿にできるほど強靭な精神力を得た。

「私は馬鹿さ。私は自分の感覚だけを信じて、装飾過多で色彩豊かなモノばかりが美しいくて、カワイイと思っていたのさ。ハハッ。それじゃあ、質素で使いやすい物ばっかり作る爺さんと、逆の意味で一緒じゃねえか」

 私はファッションを楽しむこともできず、メイクなどできるわけがなくなった、私の目を恨むことをやめた。今も、やめよう、やめよう、と私自身に念じている。どうせ絵画も花も観賞することができなくなったんだ。私の美意識だなんて、世間から見たらどうでも良いものだろう。

 私は疲れて眠くなってきた。こんな私どうにでもなれ、と思い布団を被った。視界は真っ黒になった。朝起きて、再び真っ暗闇の中にいても、もう何も悔やんだり恨んだりすることはない。質素な生活の中に身を投じれば、わびさびの心も身に着けられるかもしれない。



 私が目を覚ますと、ベッドの脇に人が立っていた。朧げな視界なので、人を判別することは難しい。誰かと思っていると、

「千尋」

 と、相手から呼びかけてくれた。梨子の声だった。以前、彼女とは険悪な雰囲気の中別れたので、もう来ないと見ていたので意外だった。

「どうしたの」

 私は彼女がここに来た心理が知りたかった。病院のベッドでずっと横になっている私など、別に彼女の生活に何の関係もないはずだ。ここに来たということは、よっぽどの理由があるに違いない。

「手術終わったんだね」

 何を今さら、と思ったが声には出さない。言うのも馬鹿馬鹿しいくらい、私は精神的に静かになっていた。もう以前の私とは違うからだ。拘りを捨て去って、私は何でも許容できるようになっていた。

「うん。でも全然元には戻ってないけどね」

 私は自棄になっていると思われないように、明るい口調で喋った。急に明るくなったからか、梨子から緊張感が洩れた。

「千尋、この前はごめんなさい。梨子は千尋のことをよく考えていなかった。反省しています。ごめんなさい」

「いや、私の方こそ、わざわざ来てくれたのに、申し訳ないことを言いました」

 私も頭を下げた。謝罪することで、私が変わったことを他の人間に示すことになった。私の決意をますます固めることにも成功した。

「それでなんだけどさ、梨子に提案があるんだけど、聞いてくれる?」

 私は聞くために、体を梨子の方に向けた。彼女が何を言い出すのか、全く読めないので、気にもなっていた。

「一緒に原宿に行こうとまでは言わない。けどね、この近くの街にでも一緒に行こうって、梨子は考えているの。千尋はずっと、一人で閉じ籠っているべき人じゃないと思ってさ。ねえ、イイでしょう。それとも梨子じゃ、駄目なのかなあ」

「私、一人で歩くことも難しいんだよね」

 梨子の言いたいことは分かったが、私はどうするべきか。億劫な気持ちとは違う、面倒臭いという感情が、梨子との外出を阻もうとする。それは梨子が嫌なわけではない。目が不自由になった私が、一皮むけなければならない機会が巡って来て、行動を強いられているからだろう。私は自分の内心を察し、梨子に諦めてもらいたかった。

「大丈夫。梨子が支えてあげるからさ」

 梨子は私の拒みを無視し、何とか外へ連れ出そうとするつもりだろう。変に拒否し続けたら、おかしいだろうことは分かるので、私は梨子の提案に首肯しなければいけない。

「本当に大丈夫かな」

「梨子を信じて」

 彼女の表情はよく見えないが、視線がまっすぐ私の方に向いていることは分かるので、ノリだけで言っているわけではないみたいだ。

「何をしに行くの」

「一緒にお洒落して並んで歩くだけでも良いかなって」

 私はもうお洒落などする気がないことを、彼女は知らない。どう伝えようか逡巡していると、

「千尋が好きそうなテイストの服も持って来たんだよ」

 彼女は鞄から綺麗に畳まれた服を取り出した。どうやら私の母に頼んで、持って来たようだ。梨子は私の目が見え辛いことを考慮し、私の目の前で服を広げて見せてくれた。ベージュのジャケットとスラックスのセットアップに、襟の形が丸っこくて可愛らしいピンクのシャツだ。春らしくもあり、私が好きなクールの中にカワイイを内包したコーデだ。

「うん、確かに好きな服だけど」

「お願い、千尋。一緒に出かけよう。このままじゃ、ゼッタイに駄目だよお。千尋の顔から生気がなくなっているのが、梨子にはよく分かるの」

 と、彼女は私を説得しながら私の化粧ポーチも差し出して来た。小花柄の赤いポーチだが、今は真っ赤な巾着にしか見えない。

「メイクもできないよ」

「やってあげる。心配しないで、千尋のボーイッシュなメイクのやり方は、ユーチューブとかで確認して来たからさ。それにいつもの千尋のメイクは見馴れているからさ、再現できる自信ありだよ」



 結局、私は折れて、服を着替えてメイクもして外出することになった。梨子はメイクが上手いので、安心して任せることができた。私は久々に着飾ると、元の私の精神が舞い戻って来たようだった。利便性を重要視し、質素な物しか使っていなかった私の病院生活に、大輪のマリーゴールドやチューリップ、アネモネが咲き、晴れて爽やかな風が吹いて来たようだ。

 姿見の前に立っても、ハッキリと私の姿を確認することはできない。だが、柔らかなベージュ色の中にピンクが映えるコントラストは確認することができた。

「サーモンのパイ包み焼きにしか見えない」

 私は自虐気味に言った。

「大丈夫。イイカンジだよ。さすが千尋が組んだコーデ。めっちゃカッコカワイイってカンジ」

 大好きだったマッシュヘアは若干伸びて耳が隠れるボブヘアほどの長さになっていた。それでも、私は好きな格好に近付けたことに誇りを持った。

「行こうか」

 梨子が手を差し伸ばしてくれたので、私はその手を握った。

 病室で引き籠っていたから知らなかったが、病院のすぐ近くに、地元の人が集まるショッピングモールがあった。洋服屋も食べ物屋も店舗数がかなりあるらしい。外観も可愛くて、淡いピンク色に塗られていた。私は一瞬、ド・ニュンクの絵と間違えたほどだ。

「もうお昼だし、まずはご飯食べに行こうか」

 私の隣で先導してくれる梨子の楽しそうな声が、私の耳にも心地良かった。ショッピングモールに入り、一階のお菓子売り場を抜け、エスカレーターで三階まで上った。三階には沢山の飲食店が並んでいた。和食店、寿司屋、とんかつ屋、カフェ、イタリアンなどなど。

 私たちは沖縄料理店に入った。座敷の卓で、梨子とは向い合せになって座布団に座った。私はタコライスを頼んだ。トマトのソースとアボカドやレタス、白飯の赤緑白が源平咲きの梅の木のようだ。味も満足だ。白いご飯の上にたくさん具材が乗り、一口で多くの食感や味覚を楽しむことができた。ただ、皿が白く白米だけを食べることはできなかったので、トマトソースで赤く染めてから食べる必要があった。

 目の前では、梨子がソーキそばを食べていた。醬油とみりん、砂糖がベースになったスープの香りが、こちらまで漂って来る。

「美味しそうだね」

 と、私が言うと、

「分け合いっこしよっか」

 と言って、茶碗を二つ頼んでよそい、お互いの料理も食べることにした。

「美味しいね」

 私はソーキそばを食べて、梨子の優しさも感じていた。彼女は八方美人なのではなく、ただ単純に優しすぎるだけなのかも。私は少し反省することにした。

 梨子は満面の笑みで、私の言葉に応えた。彼女の耳には、いつの間にかピアスホールを開けたのか、ピアスが付いているらしく銀色に光った。まさに装飾美だ。

 私は今まで曇っていた視界が急に晴れたような気がした。実際には何も変わっていない。だが私の中で行く手を塞ぐモノが音を立てて崩れ去り、自らの足で進んで行ける、見晴らしの良い道ができたような気がした。多くの画家が描いたモーセの紅海を割る瞬間のように、道ができた。

「ありがとう梨子」

 私は彼女にお礼を言った。こんな簡単な言葉だけで良いのか分からないが、お礼を言うしか選択肢がなかった。

 梨子は口の中に食べ物を含んでいる最中だったので、私にVサインをして見せた。指が二本だったのは、辛うじて見えた。



 しばらく日数が経ってから、私と梨子は原宿へ行った。大好きな街でかつ、トラウマになった街。竹下口の改札を出ると、アーチが目の前にある。いつものようにカラフルに輝き、今の私の目には虹が架かっているようだった。ミレーの作品に盲目の少女が虹の見える原野でくつろいでいる絵があった。自身の境遇と重ね合わせ、神秘的な気分になる。美の神ミューズに見守られているようだ。

 私は視力を失って画集が見れなくなった時の方が、絵画のことを考える時間が長くなったような気がした。

 信号が青になり横断歩道を渡って、私たちは竹下通りに足を踏み入れた。久々の竹下通りは、私の目には眩しすぎた。

 私は竹下通りを歩いている。たくさんの洋服店や流行の食べ物の店が軒を連ねていた記憶が、極彩色の風に乗って、脳内に流れて来るようだ。今、目で捉えた光景ではなく、過去に私が見た光景を、現在の私の脳が思い起こしいた。白やクリーム色をした雲の中、椿の花が咲き、りんご飴も見えた。

 カワイイの中から崇高な要素も見出した。ゴッホの描いた糸杉とひまわりの周囲をアオスジアゲハが、神々しい鱗粉を撒きながら滑空しているかのよう。

「何ボーっとしてんのさ」

 梨子の言葉で我に返った。私は周囲の色彩を見ることに夢中になっていたみたいだ。

「いや、何だか久しぶりすぎて、感動でヤバいよ」

 私は動いて見える、人の色彩にも注目した。

 群れになっている河童がパステルピンクとパステルブルーの大きな生物の頭部を頬張る。

 茶色い鱗をまとった、ビビッドレッドの髪を生やした人魚が陸を歩く。

 コロポックルの集団が、緑と青と赤の蕗の葉持って楽しそうに歩く。

 髪が赤や黄色の狂骨たちが、黒い恨みの感情を全身にまとい、手には苺やブルーベリー、バナナの入ったクレープを持って食べ歩いている。

 ぬっぺふほふも自らの体を覆っている腐肉に、青カビや赤カビを生やし、満面の笑みを浮かべ、ただ歩いている。

 視力を失ったお陰で、私なりの竹下通りを映し出した。全てが色で飾られ、私が好きな装飾過多の街が、私の脳内を通って、眼前に現れた。視力に頼らずとも、偏愛する私の妄想世界が見えないものを補填してくれる。



 私たちは竹下通り沿いにあるカフェに入った。この店のキウイをたくさん使ったケーキを食べるためだ。店の外観は真っ白で、ホイップクリームで塗り固められているようだった。

私たちは丸いテーブルを挟んで、向かい合って座った。椅子も丸テーブルも真っ白で、内装も視界全体が白く光って見える。ピンクのエプロンをした、モカブラウンの髪を肩まで伸ばした店員さんが、注文を聞きに来た。私たちは目当てのケーキとコーヒーを注文した。

すでに私は人の助けなしで食べることができた。ケーキの形を想像し、フォークを入れる。

「千尋が楽しそうで良かった」

 と、ケーキを半分くらい食べたとき、梨子はようやく安心できると思ったのか、優しい吐息とともに言った。

「うん、ありがとうね。本来の自分を取り戻せたような気がする」

 私は自分の美学を大事にすることに決めた。仮に今まで通りに見えなくても、私が今まで作り上げた世界が補助してくれることに気付いた。辛い思いをこれからするだろうが、私は私自身と私の世界を大事にし、私のカワイイを作り上げていく。

「そうだよ。そうじゃないとね」

 梨子は本当に優しい人のようだ。彼女のお陰で復活できたと言っても過言ではない。

「ありがとう」

 私はテーブル越しに、彼女の方へ手を差し出した。彼女は私の手を握ってくれた。


   ※ 一年後


 ブーゲンビリアにハイビスカス、梯梧の花。赤い花に囲まれた私を作り出す。モンシロチョウがクロアゲハに重なり飛び、何だか私を恍惚とさせる。花が誇る通りを歩いていると、小粋なカフェから香る砂糖とバターの匂いに誘われた。中へ入り、茶色い革の席に案内される。ベージュ色の壁に囲まれた中、出て来たのはクラムチャウダー。料理を運んで来た店員さんはなぜか紺の大島紬を着ていた。

 ニンジン、ジャガイモ、セロリ、しめじ、タマネギ、ベーコン。もちろんアサリがたっぷり入ったオフホワイトのスープを飲み、そおっと吐息を漏らす。

 私はカフェから出て、赤い花が咲く通りを再び歩き出す。蝶も花から花へ移っては止まりを繰り返す。

 通りをずっと進んで行くと、フェルメールの真珠の耳飾りの少女に似た少年が立っていた。少年の目はサファイアブルーに輝き、肌もパールのように白く、薄っすらピンクがかっていた。服もサーモンピンクのポンチョを羽織り、インナーのシャツは皺一つない白シャツ。ブルージーンズは程良くダメージ加工されていた。ロールアップしており、白い踝が見えた。黒い革靴と黒メガネをかけており、全体を黒で引き締めまとめて良いカンジだった。彼の前には豪華絢爛な金ぴかに輝くコップ、お皿、香水、花瓶などが置いてあった。

「ねえ、僕のことをもっと好きにさせてあげようか」

 ニッコリ笑う少年の顔に、私は胸を撃ち抜かれた。彼はどこかの国の王子様であろうか。だが、王子にしては儚げで、悲しみに侵されているように見えた。少し下がり気味の紅い眉毛が悲壮感を醸し出し、触っただけで崩れ去ってしまいそうな不可侵な雰囲気をまとっている。

 私は今、どこにいるのだろうか。こんな美しくて、どこかゴシックで頽廃的なカンジがする少年の目の前にいるだなんて。

 いや、ここには誰もいないではないか。私しかいない。



 私は病院から退院し、家の自室にてずっと引き籠っていた。母がたまに部屋に来るが、他に誰も来やしない。梨子も退院して間もないときは来てくれたが、私に飽きたのかもう来ない。私は自分が作り出した世界で生きることに熱中し、外と他人に興味をなくした。今日は作り上げた世界は、赤い花が咲く通りだ。そこを私は闊歩し、素敵な少年と出会うものだった。

 もう外の色を見なくても、人と喋らなくても私は好きな世界を創造することができた。もう目が見え難いとか関係がない。目もいらないし、口も耳もいらない。私は自室にいて、いつでも私の世界を創出するのだから。

 私は目を瞑って再び自分の世界に入り込んだ。夢の体現をしたような少年とどこへ行こうか、と期待を膨らませる。私は今、とっても幸せだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ