雷の魔術師-1
「授業を受けずにベンチに横たわるという行為をサボりというのだろう?」
フィールがうまく担任とクラスメイトの記憶をいじったお陰で俺の学籍は失われずに済んだ。
ルーカに関しては、直接話してはいないもののどうやらフィールの記憶操作は通じていないらしく時折物凄い形相でこちらを見てくる……が、今の所何かを表立ってしてくるようなことはない。
と言っても、学園に戻ってまだ二日だ。あいつが動き出すならそろそろだろうな……なんて考えながら、裏庭のベンチで昼寝をしていた俺はゆっくりと目を開く。
「……居眠りしてただけだ」
「それをサボりというらしいぞ」
手の甲に刻まれた紋章から煙のように姿を現したフィールは、呆れたような顔をして寝転がっている俺の隣に腰を下ろす。
午後の日差しに褐色の肌が照らされて、ここだけ異国の絵本に出てくる挿絵みたいだと寝ぼけ眼で思いながら、得意げな顔をするフィールから顔を背けて身体を起こす。
「うるせえ。俺は怠惰で性悪の赤頭なんだから仕方ないだろ。授業はサボる代わりにお前の器探しはやってるから文句を言われる筋合いはない」
「……人間、自分が不出来な言い訳に、美しいあかがね色を使うな」
髪に触れようとしてくるフィールの手を払い除ける。機嫌を損ねたか?と内心焦ったが、そんなことはなく、彼女は優しさを湛えた目元のままこちらを見つめてくる。
「……魔術は神秘を剥ぎ取り、事象を一定の儀式で固定化し、人が支配する」
謳うような調子で彼女は心の通った美しい声で言うと、目を伏せた。
長い睫毛が頬に濃い影を作るのに見とれていると、フィールはそのまま言葉を続ける。
「魔法は人ならざるものから力を授かり、魔法を起こす。人ならざるものに愛され、与えられた神秘をその身に宿す魔法使いと魔術は本来相性が悪い」
歌みたいな調子はいつのまにか落ち着いたトーンに戻り、いつのまにか顔をあげていたフィールの金色の眼に捉えられる。
そのまま彼女が伸ばしてきた両手に顔を挟まれ、不思議と動けなくなってしまう。
彼女の声を聞くと時折感じる脳の内側をザリザリと削られていくような不思議な感覚も最初ほど嫌ではない。
「自らの神秘が剥ぎ取られることを魂が嫌がるのさ。だからうまくいかないし、魔術を行使しようとすると気分が悪くなる。体調が悪くなる。そんなところだろ」
魔術の授業で気分や体調が悪くなることを言い当てられて驚いた顔をすると、彼女は得意げな顔を再び浮かべて俺を両手から解放した。
「魔法使いが魔術を使うのは愚かな人間の愚行から己の神秘を守るためだ。人間、お前の力もそうやってこいつらに……」
言葉を続けようとしたフィールの顔に冷たい光が宿る。
彼女の視線をたどるために振り向くと、二人の男が扉の前に並んでいる。
「よお学費泥棒。女といちゃつくなんて余裕じゃねえか」
「ったく。説教の次は脳筋バカのお出ましか」
大きな溜息を付いて立ち上がる俺と、俺の前に来た二人の男をフィールは興味深そうな目で見ている。
辺に手を出されるよりはマシだ。フィールなら手加減を間違えてこいつらを殺しかねない。
「赤頭は頭だけじゃなくて性根も悪いみてえだな。ルーカがお前を連れてくれば親父さんにクリケットクラブへ推薦を頼んでくれるってんでな。悪く思うなよ」
「ぼ、ぼくも大切な魔石を無くしたことを不問にしてくれるっていうんです。貴方に恨みはないですが……すみません」
脳筋バカのチップはともかく、小柄な眼鏡の男は多分、俺がこの前フィールが眠っていた宝石をスッた相手だ。小柄な男の方には少しだけ申し訳ないなと思いつつも俺は二人を黙らせるためにはどうすればいいか思案する。
「ド派手な格好だけど娼婦で買った女か?いい趣味してるじゃねえか。俺がもらってやるよ」
「うるせーな。てめーの相手は俺だろうが」
自分が悪く言われるのもムカつくが、俺なんかといるせいでフィールが悪く言われるのはそれよりも腹が立つ。カッとなって言い返すとチップはヘラヘラと笑いながら言葉を続けた。
「顔と髪が同じ色になってるぜ、短気野郎」
「てめえも十分短気だろうが」
全力で腕を振り抜くも、その拳はあっけなく体格が良いチップの掌に受け止められ、反撃に腹に見事に奴の前に蹴り出した足が当たる。
思わず蹲った俺の首に手を回そうとしたチップの手を制したのはいつのまにか前に出てきたフィールだった。
「これは私のものだ。勝手に傷をつけるな」
「はあ?なにいってんだこの女」
フィール相手にすごんだチップは、次の瞬間校舎の壁に叩きつけられてうめき声をあげて地面に突っ伏した。
それを見た小柄な男の顔色は一瞬で真っ青になる。
「わ……わわ……その……ほんとだったなんて」
「どういうことだ?」
俺の手を掴んで立ち上がらせたフィールは、小柄な男の言葉に首を傾げた。
「あの……えっと……クフェアさんと一緒の女性がチップさんをやっつけたら行動しろと言われてまして……その……ご、ごめんなさい!」
小柄な男が、目を閉じながらトンっと足で地面を踏み鳴らすと裏庭に隠されていたらしい魔法陣に蒼く光が灯る。
「主人の雷 正しい道筋 悪しきものを捕まえる網……これで」
第一棟校舎の壁が稲妻に包まれたかと思うと、その稲妻が魔法陣に吸い込まれるようにして集められ、俺達の足元からは蒼く光る茨のようなものがニョキニョキと生えてくる。
「建物内にいる人間の魔力を強制的に使うとはな」
振り払っても次から次へと生えてくる茨にフィールが飲み込まれていくのが見える。
自分も茨に包まれながら、なんとか腕を伸ばして茨に身体を包まれた彼女の指先にそっと触れると、バチっと大きな音がして視界が真っ白になった。