神話の残滓ー3
「起きたかい?ここが残ってて助かったよ」
温かな光が瞼を照らす熱さに耐えきれずに目を開くと、褐色の肌を露わにした燃える炎のような髪の女性がこちらを覗き込んでいた。
まるで太陽が嵌め込まれているみたいに金色に輝く二つの吊り眼は俺の瞳を捉えると少し目尻の角度が和らぐ。
「ここは……師匠の……」
どうやらベッドで眠っていたみたいだ。
体を起こすと、木目が美しいよく見慣れた白木の壁が目に入る。
窓辺の横に置いてある古ぼけたライティングビューロー、壁に飾られたまじないの品、干した薬草や枯れることがない花たち……どうやらここは去年俺を置いて失踪した師匠の部屋だとすぐに気がついた。
「あんたにも縁がある場所なのか。そりゃいい」
「空の炎、お前はなんだ?」
俺の師匠を知っているのか?何故?
ギシッと音をさせながらベッドの端に腰を下ろした空の炎を睨みつける。
しかし、彼女はそんなこと気にしないどころか逆に俺のことを鋭い視線で睨み返してくる。
「その無粋な呼び名を使うな。言ったろ?私は炎で暁を満たす者 」
「だから……その発音は俺にはなんて言ってるかわからないっての……」
怒るツボがわからない上に無粋かどうかなんて俺にはわからない。が、大層な剣幕なので両手を挙げて降参だという意思を示す。
「ふん。古い言葉もわからないなんてどうなってるんだ。神秘と繋がる眼の魔女はわかったぞ」
両腕を組んでフンと鼻を鳴らした空の炎は、師匠の二つ名を口にしたあとしばし、視線を宙に泳がせた。
「暁を満たす炎……フィールだ。あの魔女は私をそう呼んだ」
「フィール、お前は一体なんなんだ?」
やっと呼び方がわかったところで、再び疑問を口にする。
いつ師匠と出会ったのかとか、師匠の居場所をしっているのかとか、聞きたいことは山程ある。
でも、返ってきたのはそんな具体的なことではなかった。
「言っただろ?私は神話の残滓。神に封じられてこの世界に残された化け物の生き残りさ」
ちがう、そんなことを聞きたいんじゃない……そう言おうとして俺は考えを改める。
今更、俺を捨てていなくなった師匠のことなんて聞いてどうするんだ。冷静になって、俺はフィールと名乗ったこの焔色をした髪の女が最初に言ったことを思い出す。
――お前は私に何を願う?
そうだ。どんな目的なのかはわからないが、こいつは願いを叶えてくれるらしい。
だから、あのいけ好かないルーカもこいつを手に入れようとあんなことをしてきたんだろう。
「……そういや、俺があんたに世界の終わりを願ってたらどうなったんだ?」
「はっはあ!そりゃ私としては願っても無いことだけどね、その願いが本気だったとしても今の力じゃちょっと無理だ。せめて私の器が取り戻せれば……少しは望みがあるんだろうけど」
冗談だと思ったらしいフィールは、大口を開けて笑う。笑いすぎて涙でも出たのか、細くて長い指で目尻を拭って俺の方を再び金色の眼で見る。
「器を取り戻せば、俺にこの世界が終わる様を見せてくれるのか?」
「器だけでどうにかなるほどこの世界はもろくないよ。そうだね……バラバラにされた私の本当の魔力を見つけられたら、その様を特等席で見せてやろうじゃないか」
真面目な顔をしてグイと彼女に顔を近付ける。少し戸惑ったりすると思ったが、フィールは口の片方を持ち上げてニヤリと笑ってみせた。
「……ま、お前のそれが本気ならだけど」
鼻先をツンと指で弾かれて首を仰け反らせる。
見た目は同じ年齢くらいだというのに、まるで大人と子供だ。まぁ、彼女の言っていることが本当なら祖母と孫以上に年齢も離れていることになるので仕方のないことだけど。
特に願いなんてない。退屈な毎日を終わらせたくて口にしてみただけだ。
だけどなんとなく格好が付かなくて、からかうようなフィールの顔を見てもう一度冗談めいた願いを口にする。
「本気だよ。今の所はな」
ベッドの端に座っていたフィールは、立ち上がって数歩前に出る。
シャラシャラと金で出来た装飾品が音を奏でて、焔色の長い髪が揺れる。
「ああ……でもまぁ……そうだね、時間はかかる。だから願いを変えたくなったらいつでも言いな」
後ろを向いていた彼女がそう言いながら振り返る。金色に光るヤマネコのような眼の瞳孔を針のように細めた彼女は禍々しいオーラを発しながらこう続けた。
「あんたの目玉や腕はうまそうだ。それを対価にすれば簡単な願いなら叶えてやろう。そうだな……気に入らないやつを殺す呪いや、神代にあった魔法を教えるとかなら今でも出来るぞ?」
「そりゃ俺の破滅願望を止めてるってことでいいのか?」
ここで怯むなんてガキみたいな真似はしない。
身が竦みそうになるのを耐えて、強がりながらそういうと、フィールはいつもの表情に戻って今度は親しげに笑ってみせた。
「世界を巻き込んだ癇癪を起こそうってのも私の時代にはよくあることさ。気が済むまでやればいい。これも縁だ。あかがね色の髪を持つ人間、あんたの癇癪に付き合ってやるよ」
癇癪と言われたことは少し不服だが、そこまで強く否定もできない。
永く生きてきた彼女からすればそう思えてしまうこともあるのだろう。
でも、俺はこの退屈な俺の世界を壊してしまいたい。少なくとも今はそう思ってる。
だから、手を差し出してきた彼女の両手に自分の両手を絡めて握った。
「Yr wyf Llenwi'r y fflam awyr wawr Perfformio adduned Byddaf yn eich gleddyf Byddaf yneich darian Hyd nes eichbywyd yn wywo」
「クフェア・フルプレア……我こそは神秘と繋がる眼の魔女に連なる花弁の魔法使い。私の力はお前の力。私の体はお前の体。この生命が枯れ魂が砕けるまで暁を満たす炎と……ここに解けぬ縁を結ぶ」
絡み合わせた指が熱くなる。
顔の前で組み合わせていた手を膝に下ろすと、炎で出来たアマリリスの花が一輪、自分の手から生えてきた。
師匠がしていたような良き隣人たちの力を借りる地味な魔法ではなく、小さな頃に本や漫画で読んで憧れていた魔法が目の前にある。
普段は忌々しいこの髪の毛すら、少しだけ、魔性の者に好かれやすいこんな髪でよかったと思えた。
生えてきた炎のアマリリスは、首がもげるみたいにポトリと花の部分を手の甲へ落とす。
一瞬熱さを感じた部分から、アマリリスの花を模した紋章が描かれていく。
花の紋章は、キラリと金色の光を帯びたかと思うと真っ赤な色の痣として残った。これがおそらく何らかの契約の証なのだろう。
「人間、お前のあかがね色をした髪は本当に綺麗だな」
そう言われて結ってある髪に触れられて初めて自分の髪が肩甲骨の下辺りまで伸びていることに気がつく。
伸びるのが早い俺の髪は数日切らないとすぐにこんな長さになるからうんざりする。
「待てよ。俺はどのくらい寝ていた?」
「そうだな……ざっと三、四日というところかな」
サボりたいだとかやめたいと思っていたにもかかわらず、無断で学園をそれだけ休んでいた事実を目の当たりにしてスゥッと血の気が頭から引いていくのがわかる。
「……まだ、俺の籍はあるのか……」
やめたいやめたいと言っていたが、寮を今追い出されるのは困る。俺には身内がない上に身元を証明するものは学園の在籍証だけだ。
ルーカとやりあったときとは別の目眩を感じて、思わず額に手を当てていると得意げな顔をしたフィールが俺の顔を覗き込んできた。
「安心しろ。力が不完全だとはいえ並の魔術師共なら記憶を弄れるぞ」
ルーカと対峙したときの何倍も、フィールのことを頼もしく思った瞬間だった。