神話の残滓-1
「目を開けてもいいぞ。花の小娘に話は通した」
「ったく。なんなんだ」
パッと目を開けると、見慣れない部屋の中央にいることに気がつく。
曲線を描いている壁には継ぎ目も窓も扉もない。天井にはやけに豪華な金色のシャンデリアがぶら下がり、目の前には細工を施した金で縁取られた瑠璃色の円卓がどっしりとした威圧感を放っている。
手をそっと置いてみるとひんやりと冷たい。
閉じ込められた?あの眼鏡の野郎から拝借した木箱に偽装を施した盗難防止の魔術でもかかっていたのか?
円卓と同じ材質で造られているベンチを見ながら考えを巡らせていると視線を感じた。
「幽世で私を目覚めさせたことは褒めてやろう。お陰で固有結界《部屋》を作るのが楽だった」
さっきまではいなかったはずの人物が、床から染み出してきたかのように浮かび上がる。
腰まである血のような紅い髪は歩くたびにサラサラと揺れ、体のラインを強調させている短い上着と腰に巻いているスカーフはどちらも上等な生地のようだった。
縁取りには金の糸の刺繍がふんだんに使われているそれは、動くたびにヒラヒラと揺れて異国情緒あふれる甘い香の香りが漂う。
褐色の肌を見せつけるかのような露出の高い扇情的な格好をした女は、首にも腕にも宝石を惜しむことなくはめ込まれた金の装飾品を身に付けている。
キラキラと光る金の編み靴を鳴らしながら歩くと、腰布の縁に施されている金貨の装飾品が揺れてシャラシャラと楽器のような音を奏でた。
「さて、人間。お前は私に何を願う?」
獰猛なヤマネコを思わせる大きな金色のツリ目で俺の顔を捉える。見た目は俺と対して変わらない年齢の少女のように見えるが、中身はとてつもなく邪悪で異質なものだということがわかってしまう。
長く紅い爪が伸びた両手で俺の顔を挟んだ女は、薄く形の良い唇の両端を持ち上げた。
「願いも何も……一体何なんだよ……お前は誰だ」
「ふむ……何も知らずに私を目覚めさせたのか。お前は愚かな人間の中でもとびきり愚かな部類のようだな」
ニヤリと笑ったまま、女は言葉を囁く。
その声は、脳を内側からゾリゾリと削ぎ落として抵抗する気力も、反抗心も奪っていくような気がした。
「教えてやろう。私は炎で暁を満たす者……人の魔力を食らって生きながらえてきた神話の残滓さ」
「神話の……残滓?」
「お前の姿を見るに、どうやら久方振りの目覚め……というわけではないな。ふむ……どうしたものか」
俺から離れた女が、細くくびれた腰に手をあてがい、周りを見回したときだった。
鋭い破裂音が響き、滑らかだった壁に一筋のひびが入る。
「おっと……おしゃべりはここまでのようだな。どうやら他の人間が私に気がついたらしい」
ヒビが大きくなり、床がグラリと横に揺れる。
「ここは崩れるぞ。こっちへ来い」
よろけそうになる俺の首元をグイと掴んで肩に担いだ女は、ヒビ割れが大きくなっている床を軽く蹴って飛び上がり、拳で天井を叩き割った。
顔に布が触れる。蛇みたいに這って顔を移動したかと思うと、その布に目元を覆われた。
視界が奪われているけれど、女が俺を抱えたままものすごい速さで動いているのはわかる。
ビュンビュンと体の近くをなにかがものすごい速さで掠めているが、それを確かめるすべは今の俺にはない。
あっという間のような、数時間のようななんともいえないときを過ごした俺は急に手を離され床にドサッと落とされた。
顔に巻き付いていた布も同時に取れたようでいきなり目に飛び込んできた光が痛く感じる。
「何故、お前が空の炎と共にいる?」
床に這いつくばったまま聞き覚えのある声の方を見る。
やっと視界が光に慣れてきた。
「知らねーよ」
何故か目の前にいるルーカにそう返して立ち上がる。
この女がなんなのかも、学園の外に行こうとしていた俺がなんで薄暗い石室にいるのかもこっちが聞きたい。
「知らないのなら丁度いい。そいつはお前なんかには過ぎたものだ。僕に大人しく手渡せば悪いようにはしない」
「お前なんかにはってどういうことだよ」
やっぱりこいつは苦手だ。いい子ぶってる癖に心の底では俺の髪色を馬鹿にしてるのが隠しきれていない。
冷たい視線のまま口元だけ笑みを作ったルーカは、相変わらずスカした様子でサラサラとした前髪を指で弾くと腕組みをして顎を少しばかりあげた偉そうな態度でこっちを見た。
「これは失礼。鼠にもわかるように伝えてやろう。金が欲しいなら好きなだけくれてやる。だから早く空の炎を渡せ」
「……ああ?」
―― Rw|y'n cael rhwystredig《気に入らないねぇ》
俺がルーカに言い返すのと同時に女の低い声が頭の中に直接響いた。
不遜な態度を崩さないまま、空の炎と呼ばれた女は俺の体を抱き寄せるように引き寄せ、親しげに体を寄せる。
ルーカの眉間に深い皺が刻まれるのを見て、ニタリと笑った空の炎は俺の顔をさっきしたみたいに両手で掴んで自分の方へ向ける。
「この色は炎の色、大地に流れる地脈の色……赤が優れていないなんてことはないのさ」
吐息が鼻にかかる距離にまで近付いた彼女の顔の中心に爛々と輝く金色の光が揺らめく。
赤く薄い唇から熱く甘い香りの吐息が漏れているのがわかる。
「坊や、空の炎なんて無粋な呼び方をしたのが失敗だったねぇ。それに」
キスでもされるのか……と焦って身を捩って回避しようとしたその時、女の顔がルーカの方へ向いて内心ホッとする。
俺の顔を放した女は、モデルのように艶かしい様子で数歩前に進むと、両手を腰に当ててルーカと俺の間に立つ。
「私は金色よりもこっちのあかがね色が好きなんだ」
「っち。赤頭は怠惰故に魔に憑かれやすいということか」
薄く輝くローブを翻したルーカが舌打ちをして顔を歪める。
ぶっ殺すぞと言いながらルーカに飛びかかりそうになる俺を女は細い腕一本で抑えると呆れたような顔をした。