赤い髪-1
「今日も師匠は帰らない……か」
忌々しい赤銅色の髪を切って小瓶に入れていく。
毎日毎日、つまらなくてくだらない。
学校も家もなにもかも死ぬまでの暇つぶしみたいなもんだ。数世代遅れの携帯端末も使えやしない。
同じ暇つぶしなら、こんな惨めな伸びるのが早いだけが取り柄の赤銅色のくせっ毛なんかじゃなくて、あいつみたいに全部恵まれた状態で生まれたかったなんで思わなくもない。
伸びるのが早いのも、そもそもそこまで取り柄でもない。肩の辺りまで常に伸びている髪をひとまとめに括っているのも同年代のガキどもに舐められるもとだからだ。
――あなたのあかがね色の髪はね、とてもすごい力を秘めてるのよ
髪をいっそのこと剃ってしまおうと思うたびに、師匠の言葉を思い出す。
魔法使いとしても魔術師としても俺の髪は価値があるらしい。
だから、いやいやながらも師匠がいなくなった今でも自分の髪で編んだ紐を数束ローブの内側に隠し持っている。
イライラは一向に収まる気配を見せない。俺はムシャクシャする気持ちをどうにも出来ないまま足元に石ころを蹴飛ばす。石ころは転がって道端に咲いているカウパセリとその花に群がる白くて小さな蝶の羽を背負った隣人《妖精》たちを揺らした。
何も言わずに行方を眩ませた師匠が残したのは、この羽付きネックレスだけだ。
ダラダラと学園内に入る時間を先延ばしにしようと歩いていると、ムシャクシャする声が耳に入る。
通りの向こうにいるあいつ……ルーカがいる。次第に見えてきた完璧を体現した同級生を見て更に気分が下がる。
風が吹けば清らかな音を立てて靡きそうな絹糸のようなルーカの金色に輝く髪、それに、あいつの碧眼は一点の曇りもない晴れの日の空みたいに透き通っている。
それにルーカは、俺みたいに誰かからのお下がりのくすんだ色のローブなんかじゃなくて、新品の上等そうな薄紫のローブを身にまとっている。
「御機嫌よう、小さなお嬢さんたち。早く校舎に入るんだよ」
雲間から顔をのぞかせた太陽に照らされた肌は、俺の青白い色ではなく、陶器みたいになめらかで一点のシミすらない健康的な色をしている。
猫背の俺と身長も同じくらいのはずなのに、背筋がすっと伸びているせいであいつのほうがすらっと背が高く見えるし、人に囲まれながら柔らかな表情で微笑みを浮かべる様は絵画に描かれている天使みたいだ。まぁ、見た目だけの話ならだけど。
「おはようございますフィニアン卿」
「ルーカ様に朝から会えるなんて……今日も一日がんばれそうです」
きゃあきゃあと騒ぎながら、ルーカに挨拶をされた下級生の女子たちは古ぼけたレンガ造りの校舎の中へ入っていく。見た目は古ぼけていてぱっとしないのに魔術の名門校だっていうんだから腹が立つ。
やめだやめだ。今日はサボろう。
そもそも魔術の才能があるから是非来てくれと妙な女――すぐに俺の魔法の師匠になった――に頼み込まれたから、特待生という条件で俺みたいな親もいない貧乏人がこの学園へ入れただけだ。別にナニカ学ぼうとか立派な魔法使いにも魔術師にもなろうと思っていない。
同じ特待生でも、全ての科目でトップの成績を収めているルーカと違って、俺は座学はボロボロ、魔術の基礎である薬学や錬金術の成績ですら下の上がいいところだった。
取り柄と言える魔法だって今ではろくに使えない。そもそも、使えることは秘密にしておけと言われたので本当に俺は全てにおいて不出来な人間だった。
赤髪は怠惰で性悪で短気で不出来。言われるのは気に入らないがまさに自分はそんな人間だと自分でもよくわかっている。
「邪魔なんだよ。そこを退け学費泥棒」
ドンと勢いよく押されてつんのめる。この声の主はふとっちょのパルムだな?
「ああ?こっちだって好きで特待生してるわけじゃねーんだよ」
体制を立て直しながら、振り向きざまに腕をパルムの顔をめがけて大きく振り抜くと、拳が肉に当たるいい感触がした。
「クソ!不意打ちは卑怯だぞ!頭に血が登りやすいからそんな髪色だってのはマジなんだな」
「もういっぺん言ってみろ!ぶっ殺すぞ」
校舎の壁に背中を打ち付けて尻餅をついたパルムが、血がダラダラとでている鼻を片手で押さえながら悪態をついた。
カッとなって、動けないパルムの顔面にもう一度拳を打ち付けようとするが、体を後ろに引かれてよろめく。
「貧乏人だから性格が悪いのか、そんな髪だから性格が悪いのかどっちだ?」
「ドブネズミちゃんにやられてなさけねぇなぁ。オラッ」
じたばたするけれど、筋骨隆々とした男たちにはがいじめにされているのでびくともしない。
俺を羽交い締めにしたチップを中心としたクラスメイトの脳筋たちはおもしろそうに笑うと、俺をすぐ近くにあった池の中に投げ入れた。
バシャンと派手な音がして鼻の奥がツンとする。
「この髪の色もこれで洗えばマシになるんじゃねーか?」
起き上がろうとした背中を踏みつけられ、底の浅い池に再び体が沈められる。
俺が逃げ出さないようにしっかりと押さえた脳筋たちが、池に浮かんでいる藻を
木の棒で持ち上げた。
「君たち、わざわざ小鼠を甚振る野良猫のようなみっともない真似はやめたまえ。魔術師として選ばれし力を持つ我らは、この地に住むものをすべからく守るための勇敢な獅子として立ち振る舞うべきなのだから」
脳筋たちが持っていた木の棒を放り投げ、背中の重みがなくなった。
忌々しい声がした方を見ると、予想通りそこにはルーカが微笑みをたたえて佇んでいた。
「ちょ、ちょーっと悪ふざけしてただけだよ。なぁニンジン頭」
「……ああ」
口元だけに笑顔を浮かべて変に汗をかいた脳筋が、立ち上がろうとしている俺にやけに大げさなそぶりで肩をかそうとする。
それを振り払って一人で立ち上がった俺は、すまし顔をしているルーカを睨みつけた。でも、あいつは俺のことなんて目に入ってないみたいにスッと踵を返して校舎の中へ戻っていく。
腹が立つ。恵まれたやつから哀れな赤髪への慈悲ってやつかよ。反吐が出そうだ。
「ほ、ほらな。あ、授業に遅れちまう!急ごうぜ」
脳筋たちもパルムを抱き起こしていそいそとルーカのあとを追いかけるようにして校舎の中へ戻っていった。
びしょびしょに濡れて全身生臭くなった俺は一人中庭に取り残された。
あとから廊下を駆けていく生徒たちも、中庭でずぶぬれになっているみすぼらしい俺を見て見ぬ振りをして通り過ぎていく。
やっぱり赤髪の俺は、名門魔術学園にはふさわしくない。
さっき池に投げられたときに足を挫いたかもしれない。少しだけ痛む右足を引きずりながら生徒たちの流れに逆らって歩き出す。
「ぅわ……っと。気をつけてくれよ」
鈍臭そうな眼鏡をかけた小柄な男が俺に体当たりをしてきた。見慣れない亜麻色の髪をした小柄な男をチッと舌打ちをして睨みつける。
眼鏡の男はビクッと肩を竦めて無言のまま背中を向けようとした。そうはいくかよ……ムシャクシャしてるし憂さ晴らしを手伝ってもらおうか。