02 一寸先は不安ばかり
「えっと…………一人で生活できないってどゆこと?」
水樹が訳が分からないと言った表情で楓に聞き返すと、楓は相変わらず平然とした表情で答えた。
「そのままの意味です。私は家事全般ができません」
「えっと…………ちなみに保護者は?」
「いません。一人暮らしです」
「家事ができないのに一人暮らし!?…………だ、だから家政婦か」
ある意味合点が付き納得する水樹。楓も水樹の発言に首を縦に振っているためそういうことなのだろう。
「あの…………一応聞くけど俺は男だけど、その点大丈夫なの?」
「それは私の不注意でした…………みずき、がまさか男の子の名前だとは思いませんでしたし…………」
確かに『みずき』は男にしては余り見ない名前かもしれない。女と間違えるのも無理はない。
「今ならまだ引き返せるけど…………」
流石に同い年の男女が一緒に生活。
それはつまり一か月間、水樹と楓は一つ屋根の下で過ごすことを意味するわけで…………それはもう年頃の男女が一つ屋根の下と聞けば如何わしいことが決してないとは言い切れないということ。
「貴方は私に何かするんですか?」
「いや、しないけど!?」
「でしたら大丈夫です」
そんなにあっさり信用していいものか、と水樹は内心思った。だが当の雇い主本人である楓がそれでいいというのだからそれでいいのだろう。
だがグズグズもしていられない。これだけ部屋が散らかっていれば片づけにも相当な時間がかかる。
そう考えた水樹は早速水樹は立ち上がった。
そしておもむろにダンボールをつぶして片づけを始める。
「あ、あの何を?」
楓も水樹の突然の行動に目をパチクリとさせる。
「片付け。早く済まさないと終わらないと思う」
「そう、ですね」
「一応、水面さんも手伝ってくれる?」
「分かりました」
「あとさ…………」
水樹は楓から少し目を逸らしながら、若干気まずい感じで口を開いた。
「ボタン…………とめてくれない?」
楓の今の服装はうすピンクの寝間着。故に下着も付けていないのか空いているボタンの隙間からは真っ白の肌が見えており、水樹には少々刺激が強すぎた。
楓も水樹の言葉にハッとしたのか、顔を赤面させ慌てて胸元を隠す。
「み、見ないでください…………!」
「みみ、見てないから」
正直言えば少し見ていた。
水樹は後ろを向いて、何事もなかったようにせっせと片づけを始める。
背後でもボタンを閉め終えたのか楓の手も動き始めていた。
そして二人は黙々と部屋の片づけを始める。
水樹は流石高校生から一人暮らしを始めるだけあって手際が良かった。引っ越し用に使われたと思われる段ボールは丁寧につぶされ、玄関付近に縛ってまとめてある。
玄関に散らかっていた服も水樹によって撤収され、丁寧にたたまれていた。
水樹は一息ついた辺りで後ろを振り返った。
そして一瞬固まった。
「あ、あの…………水面さん?」
「何でしょうか?」
「一体何をしているの?」
そこに広がっていた光景は掃除を始める前と何も変化していなかった。いやむしろひどくなっていた。
「何って…………掃除ですが?」
「荒らしているようにしか見えない…………」
「心外です」
水樹は無駄に足掻く楓を見てため息を付く。
それから水樹は体の向きを変えて、楓と向かい合う形で座った。そして楓に見せるように試しに服を畳んで見せた。
「まずは服の襟を内側にしまって…………」
水樹の丁寧な解説を楓は食い入るように眺める。
そして楓の前で物の数秒で服は綺麗に畳まれた。
「す、すごいですね」
楓の目が心なしかきらきらと輝いて見える。
「いや…………誰でもできるから」
「それに慣れているように見えます」
「あ~まあ俺家にいても両親中々帰ってこなかったから、こういうの慣れてるんだと思う」
「そうなんですね」
「ああ…………じゃあ水面さんもやってみて」
「は、はい…………」
水樹に言われた通り楓は服を畳み始める。
慣れていないのか一つ一つの動作があまりスムーズではない。結果として一人で服は畳んだが形は綺麗と言えるものではなかった。畳み終わった服を眺めている楓はどこか納得がいかない様子。
水樹はそんな楓の様子を見ながら目の前でどんどん服を畳んでいく。
「…………えっと手を動かしてくれない?」
気付けば楓は水樹の様子を食い入るように見ていた。
「見て学んでいるのです」
「あ、そう…………」
見るくらいなら下手でもいいから畳んでくれと思いつつ水樹は黙って手を動かした。
そして服の山に手を突っ込み、滑らかな生地のものを取り出した。
そして畳もうとした瞬間、水樹の手が止まる。
というのも目の前に広げられたもの。水樹が取り出したものは水色の清楚なパンツだったのだ。
水樹は恐る恐る顔を上げる。
当然そこには氷のように冷たい目で水樹を見つめる楓の姿があり、水樹は苦笑い。
楓はそんな水樹をよそに再びスマホを手に取り警察に連絡をしようとする。
「事故だって!!」
「そんな言い訳聞きません」
「いやいや…………どう見ても事故でしょ」
慌てて水樹は楓の行動を止めようとする。
「きゃ…………」
スマホを取ろうとしたはずみで水樹と楓の大勢は崩れ、水樹が楓を押し倒す形になってしまう。
これには流石の水樹でも悪意が無くても謝る必要があった。
「ご、ごめん…………」
水樹は慌ててその場から少し離れて楓に謝罪した。
一方の楓は赤面し水樹を睨みつける。
しかし楓はそのまま起き上がって無言で服を畳み始めた。
「あ、あの…………」
水樹は気まずそうに話しかける。
「分かってます」
「はい?」
「悪気はないんですよね?」
「も、勿論」
「ならいいです。下着の件も含めてこれ以上は不毛ですので」
どうやら吹っ切れたらしい。水樹的には変態と思われてしまったのではないかと内心心配でしょうがない。
対する楓は冷たい言葉とは裏腹に少し頬が赤かった。
それからはお互い特に話すことなく、無言で服を畳み続けた。
そして日もすっかり沈んだ頃、水樹が最後の一枚を畳み終え、タンスの中に服をしまい、部屋は見違えるほど綺麗になった。
服など沢山のもので踏み場の無かった地面は、新品のカーペットが敷かれた元の状態に戻り、床に落ちたままだった制服もしわが伸ばされた状態でハンガーにかけられている。
「終わった…………」
水樹はようやく肩から力を抜いた。
一方の楓は立ち上がって水樹に声を掛けた。
「何か飲みますか?」
「えっと…………?」
「お礼です。ここまでしてもらってお礼をしないのは失礼なので、飲みものくらいは準備させてください」
どうやら楓なりの感謝の意思表示らしい。
水樹はお言葉に甘えてご馳走になることにした。
「コヒー、紅茶、ココアどれにしますか?」
「じゃ、じゃあ紅茶で」
「分かりました」
そう言ってリビングを出てキッチンへと向かう楓。
(こうやって見るとやっぱり可愛いよな…………)
学校で噂になるだけのことはある。例え寝間着姿で魅力的に見えるから不思議だ。
そして暫くすると、両手にカップを持った楓がリビングへ戻ってきた。
片方の手に渡されたカップを受け取った水樹は「ありがとう」と口にした。
それからそっと口に液体を運ぼうとして水樹の動きが止まった。
「…………えっと、水面さん?」
「はい」
「俺さっき紅茶をお願いしたよね?」
「はい。ですのでジャスミンティーを入れました」
水樹の視界に入っているカップの中の液体は真っ黒。それこそコヒーのように。
しかし楓いわくこの液体はジャスミンティーらしい。
「俺の知ってるジャスミンティーはこんな黒くない!!」
「奇遇ですね。私もそう思っていました」
「良かった!自覚はしてて」
良く考えれば一人で生活できないと口にする人がまともな料理やお茶の準備ができるわけない。
それから水樹は渡されたカップを回収。中に入った謎の液体は丁重に処分され、しっかりとした飲みものが水樹の手で準備されたのだった。