AD20XX(きょう)の料理
おとといは、うさぎを見たの。
きのうは鹿。
きょうは……
アパートのドアを開けると、ごく微細な音を立てながら、ドローンがゆらゆらとホバリングしていた。
〈宅配便です。カメラをご覧ください〉
若い女性の声がアナウンスする。僕は言われるがままに、ドローン前部の小型カメラに目を向けた。
〈虹彩認証、確認いたしました。ワタナベ ユウキ様、お荷物をお受け取りください〉
名前の部分だけ少し合成っぽい響きになる。僕は荷物を受け取り、ドローンが去って行くのをぼんやりと見た。昔は人が配達していたらしい。物騒な話だと思う。
発泡スチロールを開けると、保冷剤に囲まれた、約1キロくらいの包みがあった。
「おお、これは……」
開けようと思い、包みに手をかけたその時、机の上で携帯端末がブーブーと震えだした。
「お兄ちゃん、荷物は届いた?」
声の主は、三つ年下の妹だった。
「ああ、今ちょうど」
「おー、さすが都会の宅配便は正確だね」
「どこも一緒だって」
今年、進学を機に離れることになった僕の故郷は、雑誌の発売が遅かったり、日曜朝の子供番組が次の土曜日に放映されたりはするが、宅配便に関しては特に都会との格差はないはずだった。
「ところで、この荷物、やっぱりケンおじの?」
「うん。おじさんの獲物。しご(下処理)してあるって」
ケンおじ、というのは母の弟で、父を早くに亡くした僕たち一家の事をいつも気にかけてくれる、優しいおじさんだった。また、釣りと狩猟が趣味の、ワイルドでタフな男でもあった。
「そっちでは、もう食べた?」
「うん、美味しかったよ」
「母さん、どんな風に料理してた?」
「んー、なんか、つぁーっと焼いとったよ」
「そうか」
ごく簡単な自炊はするが、適当に作って美味しくできるほどの腕は、当然ない。
「ニンニクと、そうそう、なんか枝みたいなやつ」
枝みたいなやつ……?
「母さんに聞いとくけん。また連絡するね」
「ああ、わかった」
塩、コショウ、ニンニク。多分これで普通にそこそこ美味しくなるだろう。でも……せっかくの食材だ。「枝みたいなやつ」の事も気になるし、ここはひとつ、詳しい人に聞いてみよう。しょうがないな……全くしょうがない。
「……それで部活に持って来たと」
学校の調理室。放課後は調理研究部の部室として使用されていた。
「頼りにしてくれて嬉しいよ、ワタナベ君」
シンクとガス焜炉が付いた家庭科室特有の机。僕の向かい側で座っているのは、調理部の部長であり、1年上級のアリマ先輩だった。
「先輩なら、色々な調理法を知ってるんじゃないかな、と思って」
「ふふふ、照れるな……」
先輩と出会ったのは、僕が入学して間も無くのことだった。部活見学の途中、通りかかった調理室の中から、とても良い匂いがする。それとなく覗いてみると、制服にエプロンを着けた上級生の女子が、料理をしていた。
……あの先輩カッコよくね?
……メッチャ美味そう……
決して多くない見学者達が、口々にそう言う。
まとめた髪を覆う三角巾、その下には真面目ながら少し楽しそうな、はにかんだような表情。料理が好きなんだろうな、と思った。その手際の良さが、童顔で小柄な彼女を頼もしい先輩に変えている。僕は入部を決意した。
「そして、その食材は?」
僕は発泡スチロールを開け、包みを取り出す。
「コレは、僕の叔父が仕留めた獲物の肉です」
テーブルに置くと、先輩はそれを両手で持ち上げた。
「これは立派な……ずっしりと重い」
重さを確認すると、そっと机の上に戻した。
「1キロくらいあるそうです」
「そうか……とりあえず全部は多いかな……」
呟くように言いながらもどこか上の空だった。レシピに思いを致しているのだろう。僕はそれを良いことに、考え込む先輩の横顔をじっと見つめていた。
迷い込んだその部屋には、独特な匂いがあった。壁に飾られた猟銃、そして仕留めた獲物たちの剥製ーー壁の中から飛び出してくるような、迫力のあるーー幼い僕の記憶はそこで途切れ、気付いた時には母の膝の上にいた。
「ダメよ、勝手に部屋に入ったら。……ケンにも鍵をしっかりするように言わなくちゃ……」
震える僕に、母は優しく言った。
「食べ物はね、命をいただくの。あなたにもいつか、わかるから……」
「ふうん、『枝みたいなやつ』ねえ……」
考え込む先輩。沈黙の中、空調の音がやけに響く。
「心当たりありますか」
「たぶん、アレだと思う……ちょっと取ってくる」
言うが早いか、そそくさと部屋を出ようとする。
「待っ、先輩、僕も行きます」
「そうか。……二人がかりでするほどでもないんだが」
だからといって待っているのも悪いし、それに、好奇心もあった。
「行きましょう、先輩。で、どこに?」
校舎とグラウンドの間に点在する花壇。その一角に、他とは一風変わった雰囲気のところがあった。
「あれってシソですよね」
「ああ、そうだよ。そしてこれがパセリ、セージ、そしてこれ」
たしかに枝のような見かけの植物が、そこにはあった。
「これがローズマリー。肉との相性も良いんだ」
先輩は持参したハサミでそれを少し切り、僕に渡した。
「嗅いでみるといい」
言われるままに嗅ぐと、少し刺激的で、それでいてさわやかな香りがした。
「一応、君の妹ちゃんにも確認してみよう」
家庭科室に戻ると、僕はローズマリーの写真を妹に送った。しばらくして、妹からの着信。
「あー、お兄ちゃん?それそれ。名前はなんて言ったかな?」
ハンズフリーの携帯端末から、ボリューム大き目の声が響く。
「元気な妹ちゃんだね。可愛い」
「もう、うるさいもんですよ」
なんとなく気恥ずかしくなり、弁解がましく言う。
「ん?お兄ちゃん、なんか女の人と喋ってなかった?」
妹が怪訝そうに聞いてくる。
「ああ、部活の先輩に、料理を手伝ってもらってるんだ」
「‼︎……女子の先輩と料理‼︎」
「いや、そんな大げさな……」
「これだから、都会の学生は……あっ、お母さん帰って来た。電話代わる?」
「いやいいよ、今、先輩といるし。あとでまた連絡するから」
「ううっ、お兄ちゃんが不良に……家族より先輩を……」
「いいから、切るぞ」
「あ、うん」
「私も妹ちゃんに挨拶しようと思ったのに、残念だ」
「すいません、なんか妹が失礼なこといっちゃって」
恐縮する僕に、先輩は少しクスッとして言った。
「いや、別に、失礼じゃないよ。それより、そろそろ取り掛かろうか」
「ユウキは?」
リビングから話し声がする。
「部屋にこもりっきりで……ショックだったのはわかるけど」
「姉さんだって同じだろう。俺にはなんにもできないけど、とにかく、栄養つけちゃるけん……」
足音が近づいてくる。重い、母さんのとは違う音。
「ユウキ、おじさんだぞー」
ケンおじさんの太い声がする。
「うまいもんでも食って、力つけようや。なあ」
そうだ、力をつけなくちゃ。もう、父さんはいないんだから……
「もうすぐ完成だ、ワタナベ君ッ!」
小さな体でフライパンを振る先輩。テンションが高い。時折フライパンから火が燃え上がり、ニンニクとローズマリーの食欲をそそる香りがする。
「暑くないですか、先輩?大丈夫ですか」
「ああ、大丈夫。クーラーも効いてるし」
昔の学校にはクーラーが無かったらしいが、みんなどうやって過ごしていたのだろうか?とりあえず、僕は現代の人間で良かった……などとどうでもいいことを考えていると、先輩がガス焜炉の火を消した。
「よし、出来た!食べよう!」
「うまいか、ユウキ?」
ケンおじの優しい声。
「うん、おいしい!これは何?」
ケンおじは得意げに言った。
「これは『肉』だ」
……『肉』……
もりもり食べて、強くなって、僕がみんなを守るんだ……
「ほら、好きなだけ食べろ。お前の父さんは、いつでもお前と一緒にいるからな……」
僕はその時小さすぎて、よく理解できなかったけど、一人でないというのは素敵なことだと、子供ながらに感じていた。
「先輩、いただきます」
命をいただく、いつか母さんがそう言ってたっけ。
「ワタナベ君、いただきます」
僕たちはナイフとフォークで一口大にすると、おもむろに口に運んだ。
「美味しいです、先輩!」
素直な感想が溢れる。
「これは、『肉』が良いよ、ワタナベ君。おじさんにお礼を言っておいてくれるかな?」
「ハイ、きっと叔父も喜ぶと思います。……それにしても、やっぱり、『肉』ですよね」
「ああ、『肉』は格別だ。今日は本当にありがとう」
「それはこちらのセリフですよ、先輩……」
他愛の無いやりとり。先輩との距離が縮まったような気がする。やっぱり料理って、食事って素晴らしい‼︎
ーー美味しいですよね、『肉』!ーー