第弐章 2-7
私はともかく急ぐ。
警戒しながらなんてのはもう頭の中にない。
ニーニャの事が心配で、もう他の事を考えている余裕はなかった。
私の後ろをまるで軽業師のような身軽な動きでイセリナがついて来ている。
「さっきまでの警戒心はどこにいったのやら…」
そんな憎まれ口を叩いていたが、今は言い返す余裕も惜しい。
ただ急いで彼女の元に行く事だけを考え、動いていた。
途中1度なにやら矢らしきものが飛んできたが、ひょいとまるで気まぐれに出たかのような気軽さで前に出たイセリナが素手で叩き落している。
いや、正確に言うと伸ばした爪らしいのだが、そこまでは見ていない。
言いたくもないが、短く「ありがとう」とだけ行っておく。
ふふん…と鼻で笑われたが、もうどうでもよかった。そして、いくつかのドアを開けたか覚えていないが、私が捕まっていた場所からかなり奥の部屋に入った時、恐れていたものを目目にした。
真っ赤な血だまりのなかに横たわる二人の女性の姿。
「ああああああっ…」
口から嗚咽が漏れる。
間に合わなかった。
後悔が一気に押し寄せていき、私の心をどろどろとしたものが染め上げていく。
そして、限界を超えるかのように心が染まった時、自分の中で何かがすとんと落ちた。
「なんだっ、てめえはっ…」
「こいつ、逃げた女ですぜ」
「カモ達はどうしたんだっ」
「今さっき、出て行ったはずですがっ」
「ともかく、こいつを捕まえろっ」
すぐ傍でなにやら男達が騒いでいる。
うるさい…。
何を騒いでいる…。
私はゆっくりと視線を男達に向ける。
「お前達が…やったのか?」
私は無意識のうちにそう聞いていた。
なんか身体が重いのか、あるいは力が入らないのか身体がゆらゆら動いている気がする。
その割には、身体の中でなにやら燃え上がっているような感覚がある。
しかし、どうしてそんな感じがするのかは、思考が真っ白になってしまって何も考えられない。
「こいつ、なにを言ってやがる」
「ともかくだ。捕まえろっ」
男達がそれぞれ武器を構える。
その武器には、赤いモノが付着していた。
ああ、あれは…。
そう…あれは…血…ね。
ニーニャと…その妹の…血…。
「くすくすくすくす…。そう。やっぱりね…あなた達がやったのね…。ニーニャを…そして彼女の妹を…」
私の口から笑いが漏れる。
何がおかしいのかわからないのに…笑いが漏れる。
「ひぃぃっ…。こ、こいつ…おかしいですぜ…」
一番下っ端らしい男が怯えている。
いや、彼だけではない。その場にいる全員が怯えていた。
いや、一人だけ例外がいた。
イセリナである。
彼女は、楽しそうな微笑を浮かべて私を見ている。
その目は愉悦に揺れ濡れていた。
「ほほう…これはこれは…」
「邪魔をしないでよ…」
「邪魔?するわけがないだろう…。さぁ楽しみな…」
その言葉が合図かのように私の身体が動いた。
自分でどうこうしょうと思って動いたわけではない。
ただ、この場合なら、本能と言ったほうがいいのかもしれない。
そう、本能のままに身体を動かした。
一回拳を振るたびに悲鳴と叫びが辺りを満たし、男達の身体か吹き飛んで血が飛び散る。
いくつもの返り血が私に降りかかるがそんな事はもうどうでもいい。
ただ、ただ、本能に任せるままに拳を振り続ける。
その度にぞくりとした刺激が背中から全身に走り、私の息を荒くしていく。
はあ、はあ、はあ…。
荒い息を吐き出しながら、私の耳がある音を捕らえる。
それは手を叩く音。
拍手である。
それはイセリナから生み出されていた。
私はゆっくりと視線をイセリナに向ける。
「ふふふっ。宴は終わりだ…」
彼女はそう言うと、一際大きく手を叩いた。
そこで私は我に返る。
そして自分が何人もの男達が血みどろで折り重なって倒れている中心に立っている事に気が付いた。
「こ、これは…私が…」
「そうお前だ。霧島秋穂。お前が嬉々としてやったことだ。くっくっくっ…。見せてやりたかったぞ。悦びと快楽に震えながら、怒りを糧にして血肉にまみれて踊る姿を…。実に美しかったよ。くっくっ…」
その言葉に私は否定しょうとした。
しかし…身体が覚えていた。
ゾクゾクとした感覚が全身に走り、そして私は…。
しかし、思考はそこで別の方に向けられた。
「うううっ…」
それは声だった。
うめき声…。
それは、私でもなく、イセリナでもなく、ましてや倒れている男達の声でもなく…。
私は、はっとしてニーニャたちの方を見る。
微かにだが身体が動いているように見えた。
「ニーニャっ!!」
私は彼女の傍に駆けつけると彼女の身体を抱きかかえる。
血まみれだが微かに息がある。
助けたい…。
しかし、自分には彼女を救う方法がない。
だから、私はイセリナに叫ぶ。
「お願い彼女を助けて」と…。
しかし、イセリナの対応はあっけないものだった。
「無理だ…」
無表情にただその一言だけだ。
「お願い。彼女を救う方法はないのっ?何かっ、何かっ」
なおも食い下がる私にイセリナは冷たい目で見下して言う。
「何度も言うが無理だ。治癒の呪文の使い手がいたとしてももう間に合わない。血が流れすぎている」
私は床に広がる血の海を見る…。
そう。この世界の治癒呪文は傷口を塞ぐ程度のことしか出来ない。
それ以上の事をしょうとすればそれなりに触媒と魔力とそれを補佐する道具が必要だ。
しかし、今、それは何一つない…。
いや、まて…。
触媒ならここにある…。
魔力だって…。
道具だって移植をするためのものがあるはずだ。
それを使えば、あるいは…。
だから私は、イセリナに頼む。
「触媒なら、私の血を使えばいい。魔力はイセリナなら何とかできるんじゃないか?それに…探せば道具だって…」
しかし、言い切る前にイセリナに怒鳴りつけられる。
「無理だ。何度も言わせるな。触媒はお前の血を使えばいいだと?どれだけいると思っているんだ。それに魔力を出せだと…ふざけるな。私の魔力をどうするかは私が決める。それにだ…」
冷たい目で私を見据えて言い切る。
「道具を探す時間もないと思うがな…」
その言葉の通り、ニーニャの身体から段々と暖かさが消え去っていく。
それは命が燃え尽きていくのを比喩しているかのようだ。
「ニーニャっ…。ニーニャっ…」
私は、ただ泣いて友達の身体を抱きしめることしか出来ない。
冷たくなっていく身体が、私の後悔を大きくさせていく。
もう取り返しがつかないとわかっていても、それでも私は…。
私が無理を言ってでも一緒に行けばこんなことにはならなかったのに…。
なのに私はっ…。
「ごめんっ…ごめんなさいっ…、私が…私がっ…」
そんな私の叫びを打ち消すかのように私の耳に届いたもの。
それは「自分を…責めないで…アキホさま…」という言葉だった。
呟くような、囁くような小さな声だったが、私の耳にははっきりとそう聞こえた。
視線の定まらない表情のまま微笑むニーニャ。
その笑顔には、恨みも痛みも辛さも何もなかった。
ただ、喜びだけがその顔にはあった。
すーっと息が止まってぶるりとニーニャの身体が震えると身体中から力が抜けていく。
そして、彼女はただの肉の塊へとなっていく。
なんでよっ。なんでっ…。
私はただ、呆然として呟いた。
「もう…なんで…最後ぐらい…友達として…呼んで欲しかったな…」
イセリナは、まるで哀れむような表情でその様子をただ見ているだけだったが、すぐに周りの異変に気がついた。
そして舌打ちすると、呆然として泣くことも何も出来ないでいる私の肩を掴むと激しくゆする。
「ちっ。マリサめっ、しくじったな。不味いぞ。結構な人間がこっちに向っているようだ。逃げるぞ」
その言葉の意味が私の中に染み込んでいく。
「それって…こいつらの仲間?」
私は周りに飛び散って崩れ倒れている男達を見て言った。
「そうだ。もし、魔術師が何人も要るようなら、面倒なことになりかねんからな」
イセリナが少し焦っている。
いや、多分、焦っているのは私のためだろう。
彼女一人なら、多分、何も問題ない。
ただ、呆然としたままの私がいると言う事は、かなりの制限を受ける。
いくら強いとはいっても守りながらの行動は、攻撃にするにしても、守るにしても多勢に無勢ではどうにもならない。
ましてやこの狭い空間では、爆発系の魔法なんてのは無理であり、無力で何も出来ない状態の私を守りながら逃走なんてのは無理に決まっている。
何も考えられないはずなのに、私の頭の中はまるですーっと霧が晴れたように澄み切っていた。
ただ一つの事だけを求める欲望だけが私の行動原理になっている。
私は抱きしめていたニーニャだったものを床におろす。
そして立ち上がった。
「ちょっとした小競り合いにはなるが一気に突破するぞ」
多分、やっと私が逃げると思ったのだろう。
そうイセリナが言ってきたが、私はその顔を見て笑った。
「なぜ逃げるの?」
私の笑顔とその言葉にイセリナの表情が固まった。
しかし、その固まった表情は崩れていき、愉快なものを見たという冷たい笑顔へと変わる。
それは、彼女の顔が保護者の顔から吸血鬼の顔へと変わったという事だ。
「くっくっくっ…。そうか、そうかっ。霧島秋穂っ。ますますお前が気に入った。その顔だっ。その顔が見たかったんだ。復讐と殺戮、そしてそれによってもたらされる快楽。それを得るための顔。我と同属のモノのみが持つその顔だっ。いいだろう。お前の主催するパーティに我も手助けをしてやろう。いいだろう?」
冷たい目と残忍な笑みを浮かべてそう告げる吸血鬼のイセリナを、その時、私は始めて美しいと思った。
「いいわ。私のパーティへようこそ。吸血鬼の姫」
そういった私に、彼女は言い返す。
「私が吸血鬼の姫なら、さながらお前は鬼の姫だな」
鬼の姫…。
いいじゃないの…。
復讐と殺戮に身も心も任せようとしているんだから…まさに私に相応しい。
「いいわ。私は今から鬼になるわ」
そう言うと、ゆっくりとドアの方を向く。
そしてすぐにドアが激しく開け放たれた。
そこには、あの腰ぎんちゃくのような男を筆頭に十二人の男達、それにその後ろにはあの性格の悪そうな女もいる。
「ねぇ…イセリナ…。せっかく来てくださったお客様が途中で帰られてしまっては、パーティがつまらなくなるわ…」
私の言葉に、イセリナは皆まで言うなとばかりに言葉を続ける。
「心配するな。途中退場なんてさせやしないよ。安心して楽しめ」
そしてイセリナの姿が霧となって消えた。
多分、逃げられないように回り込みに行ったのだろう。
いきなり消えたことで男達がざわめくが、それでは面白くない。
「ふふっ。嫌ですね。主賓はきちんとこっちにいますから…安心して…」
私は極上の笑みを浮かべる。
「だから…安心して死んでくださいな…」
霧となって連中の退路に回りこむ。
これで連中が逃げてきたら、秋穂のところに追い立ててやればいい。
私は暗闇の中で潜み、あの場に残しておいた眷族の目から見える様子を楽しむことにした。
ああ、秋穂のやつめ。
なんていい顔をしてるんだ。
まさに私が思ってた通り、あの女は、私と同属だ。
人でありながら人ではない。
破壊と殺戮に悦びを感じる化け物だ。
くっくっくっ…。
今の混沌としたこの世界には、彼女のような存在が必要だ。
何もかも壊し尽くす存在が…。
あの方の為にも…。
今、脳内に見えるのは、血しぶきを上げながら男達を殴り殺していく鬼と化した女の姿。
その動きに合わせて舞い上がる真っ赤な血しぶきと飛び散る肉片。
それはまさにダンスだ。
ふふふっ。いいぞ。踊るための曲が聞こえそうだ。
だが、そんな楽しみもすぐに邪魔される。
「ここにいたのですか…」
闇に隠れているはずの私を見つけられるものは、この辺では彼女しかいない。
「なんだ…マリサか…」
振り向かず、そう答える。
「ところで…秋穂さまはどこに…」
その問いに、私は笑みが漏れる。
この女は、今、彼女主催のダンスパーティが行われていることは知らない。
そして、この現場を知らない。
だからこそ、かわいそうに思う。
こんなにも楽しいダンスを見ることが出来ないなんて…。
しかし、そんな事はおくびにも出さず、言い返す。
「それより、主犯は捕まえたのかい?」
私の問いに、マリサは少し身体が揺れる。
「い、いいえ。証拠は押さえたんですが…」
「そうか。それは残念…」
私の残念という言葉にマリサは少し首を傾けた後、はっとする。
やっとわかったようだ。
だから、私は振り向いて答えてやる。
最高の笑顔をして。
「残念だ…。今、主犯は秋穂に潰されて肉片になってしまったよ…」
慌てて先に進もうとするマリサ。
その後姿を、私は笑いながら見送った。
多分、次か、その次ぐらいで第弐章は終わる予定です。
少し更新が遅れ気味ですが、よろしくお願いします。
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