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12.美緒side:迷子センター方面


 20時30分。


 扉の向こうは、通路だった。

 お化け屋敷の続きではなかった。


 さっきまであった古い壁紙も、ひび割れた額縁も、床に散らばったビデオテープもない。


 白い壁。

 白い床。

 白い天井。


 病院みたいに明るいのに、病院よりずっと冷たい。

 消毒液の臭いだけが、妙にはっきりしていた。


 コツコツ……カツ。


 美緒は一歩踏み出して、すぐに足を止めた。


「……なに、ここ」

 自分の声が思ったより小さく聞こえた。


 通路には、かわいい矢印の看板が並んでいる。


 『迷子センター方面』

 『照合室Cはこちら』

 『お探しの方はこちら』


 どれも丸い文字で書かれていた。

 子ども向けの案内板みたいだった。

 けれど、その下にある小さな文字は、全然かわいくなかった。


 『同行者情報 照合済』

 『対象01 未納品』

 『対象02 情報転送済』


「お化け屋敷……じゃないよね」

「うん。もう違うと思う」


 健人の声もどこか震えていて、低かった。

 さっきまで、列に並びながら軽口を叩いていた人の声ではなかった。


 彼は右手を軽く握っている。

 さっき黒いものが付いた指先を、見せないようにしているのが分かった。


「指、大丈夫?」

「痛くはない」

「それ、大丈夫って意味じゃないから」

「知ってる」


 健人は少しだけ笑おうとして、失敗した。


 強がる気力も、少しずつ削られているみたいだった。


 美緒はスマートフォンを取り出した。

 圏外。

 その表示に、もう驚かなかった。


 『園内では電波状況が不安定になる場合があります。』


 あの注意書きが、頭に浮かぶ。

 ____不安定。

 そんな言葉で片づけていいものではなかった。


 ここは、外と繋がらないようにできている。


 そう思った瞬間、唾を飲み込んだ。


「戻ろう。戻った方がいい気がする! だって、さっきから誰も居ないし! どう見ても変だよ!」

 美緒は手を大きく空気を振り払うように言った。

 言ってから、自分でも無理だと分かっていた。


 健人が後ろを見る。

 さっき通ってきた扉は、まだそこにあった。

 でも、プレートの文字が変わっている。


 『お化け屋敷出口』


 その下に、赤い文字。


 『ご利用いただけません』


「……ほら、これだよ」

 諦めたような声が、静かな廊下に響いた。お化け屋敷に入った時も扉が消えたのだ。今更そういうドッキリはいらない。欲しくない。


「ほら、じゃない」

「いや、俺に怒るなよ」

「怒ってない」

「怒ってる声だけど」

「怖いの!」


 思ったより大きな声が出た。


 美緒は、自分で自分の声に驚いた。

 白い壁に、声だけが薄く跳ね返る。


「……怖いの。もう、ほんとに無理。だって意味がわからないよ……お化け屋敷に入っただけよ?」


 健人は何も言わなかった。

 さっきなら、何か茶化したかもしれない。

 けれど今は、ただ扉のノブに手をかけるだけだった。


 押す。

 引く。

 回す。


 動かない。


「開かない?」

「開かない」

「壊して」

「無茶言うなよ。トンカチすら持ってないぞ」

「……じゃあどうすんの」

「……行くしかない」

「またそれ」

「俺だって言いたくない」


 健人の声も、少し震えていた。だいたい、トンカチで扉が壊れるかも定かでない。


 それで、美緒は少しだけ黙った。

 沈黙が、二人の間に落ちる。


 怖いのは自分だけじゃない。

 そんな当たり前のことに、今さら気づく。

 そして、一人じゃなくて良かったと、心の底から思った。


 通路の壁には、掲示板が並んでいた。


 『お預かり情報』


 そう書かれている。

 貼られているのは、写真ではなかった。


 片方だけの靴

ちぎれたチケット

黄色い花の髪留め

壊れたスマートフォン


 それぞれに、小さな札がついている。


 『お預かり中:音声』

 『お預かり中:識別タグ』

 『お預かり中:交友関係』

 『お預かり中:同行者記憶』


「交友関係ってなんだ?…趣味悪いものばっか並べやがって!」

 健人が言った。

「そんなの預かるなよっ!何がしたいんだここは……あぁ、くそっ」


 美緒は答えられなかった。

 視線が、一点で止まった。


 黄色い花の髪留め。


 紗季のものだった。

 髪留めを買った時、紗季が喜んでいた顔が思い出せてしまう。

 一緒に買いに行ったのだ。


 透明な小さなケースの中に入れられている。

 展示品みたいに。

 丁寧に。

 きれいに。


 その下には、こう書かれていた。


 【 対象02 】

 照合用情報

 迷子センター転送済


「……紗季」


 名前を呼んだ瞬間、通路の奥で音がした。


 ぴ。

 電子音。


 壁に埋め込まれていた小さなモニターが点灯した。

 画面には、丸い文字が浮かんでいる。


 『お探しの方を選択してください』


 その下に、二つの枠。


 【 対象01 】

 状態:未納品

 回収継続中

 照合:未完了


 【 対象02 】

 状態:調理工程へ移行

 照合用情報:受領済

 照合:可能


「……名前、出さないんだ」

 美緒は呟いた。


 名前がなくても分かる。

 分かるように作られている。


 対象01が悠真。

 対象02が紗季。


 分かりたくないのに、分かってしまう。


「選べってこと?」

 美緒は画面を見たまま言った。

「どっちを見るか、選べってこと?」

「ふざけんなよ……」


 健人が歯を食いしばって言った。

 怒っている声だった。

 でも、怒りよりも先に、怖さが滲んでいた。


「悠真は……大丈夫なのか?」

 健人が画面を見つめる。

「未納品って書いてあるな…」

「……うん」

「回収継続中って」

「…うん」

「まだ、終わってないってことだよな」

「そうだと思う。」


 その声には、ほんの少し希望が混じっていた。

 希望にしては、あまりにも嫌な形だった。


 終わっていない。

 まだ、どこかにいる。

 まだ、助かるかもしれない。


 でも、それは同時に、まだ何かが続いているという意味でもあった。


「悠真から……見る?」

 美緒は聞いた。


 言ってから、胸の奥が痛くなった。

 紗季を後回しにする。

 そう言っている気がした。


 健人も同じことを考えたのか、何も言わなかった。


 その時、壁の向こうから音がした。それはスピーカー越しに僅かに割れた音で。


 ずる。

 ずる。


 何かが床を擦る音。

 遠い。

 でも、聞こえる。


 ずる。

 ずる。


 それから、男の人の声。


『……やめろ』


 美緒は息を止めた。

 健人も顔を上げる。


『もう、やめてくれ……』


 掠れた声だった。

 誰の声か分からない。


 でも、美緒は思ってしまった。

 悠真かもしれない。


「悠真?」

 健人が呼んだ。


 返事はなかった。


 代わりに、通路の照明が一つ消えた。


 ぱちん。


 もう一つ。


 ぱちん。


 奥へ続く白い通路が、少しずつ暗くなっていく。

 画面の【 対象01 】の枠が、赤く点滅した。


 回収継続中。

 回収継続中。

 回収継続中。


「行く。行かないと!」

 健人が慌てたように言う。

「悠真の方へ行く!」

「待って!」


 美緒は健人の袖を掴んだ。

 お願い、待って。

 声には出せなかったけれど、指先に力が入った。


「だめ。今の、絶対だめ! 変だよ!」

「でも、悠真かもしれないんだぞ!」

「そう思わせてるんでしょ! それに回収中って……一体何に回収されてるのよ!」


 美緒は自分でも驚くくらい強く言った。

 それでも目に涙は溜まる。


 美緒だって、悠真を助けたい。

 紗季も助けたい。

 誰も後回しにしたくない。


「さっきから全部そうじゃん。見せて、聞かせて、こっちが探したいもの出して、奥に行かせようとしてる!」

「じゃあどうすんだよ」

「分かんない!」

「分かんないなら」

「でも走って行ったら終わりな気がするの! もっと慎重にならないと……私は……みんなで帰りたいの」


 涙声の美緒の言葉に、健人は口を閉じた。

 言い返したそうだった。

 でも、言い返せなかった。


 その時、画面の【 対象02 】の枠が、青白く光った。


 ぴ。


 『音声照合を開始します』


「え」

 美緒が声を出すより早く、スピーカーから音が流れた。


 ざざ。

 砂嵐のような音。

 それから、明るい声。


『美緒たちはお化け屋敷でしょ? 終わったら連絡して』


 美緒の足から力が抜け座り込んだ。

 あぁ。

 紗季の声だった。


 別れる前の声。

 髪留めを直しながら、軽く手を振っていた時の声。


『園内、電波悪いって書いてあったよ』


 自分の声も聞こえた。


 録音。

 そう思いたかった。


 でも、誰が録音したのか。

 いつ録音したのか。

 なぜここにあるのか。

 何も分からない。


『まあ、はぐれたらその辺で会えるでしょ』


 悠真の声。

 軽い。

 いつもの声。

 それが心に重くのしかかる。


 その声が、白い通路に吸い込まれていく。


『広いって言っても遊園地だし』


 美緒は口元を押さえた。

 吐きそうだった。


 あの時。

 もっと強く止めていれば。

 ちゃんと合流場所を決めていれば。

 電波が悪いなんて書かれていたなら、もっと警戒していれば。


 そんなことを考えても、もう遅い。

 遅いのに、頭の中で何度もやり直してしまう。


 画面が切り替わった。


 【 対象02 】

 音声:お預かり中

 髪留め:お預かり中

 識別タグ:お預かり中

 同行者記憶:抽出中


「抽出中……?」

 美緒は読んだ。


 意味が分からない。

 分かりたくない。

 お願い、もうやめてと叫びたかった。


 でも、まだ終わっていない。

 終わってくれない。


 次の文字を見た瞬間、少しだけ分かってしまった。


 本人照合:一部可能


「一部って何」

 美緒は言った。

「ねえ、一部って何。紗季は紗季でしょ。髪留めとか声とか、そういうのじゃなくて」


 画面は答えない。

 ただ、さらに文字を出した。


 『照合室Cへお進みください』


 通路の奥で、扉が開いた。

 白い扉。


 プレートには、黒い文字。


 『照合室C』


 その横に、小さくこう書かれている。


 『対象01・対象02 同時確認可』


「同時確認……」

 健人が呟いた。

「悠真も、紗季も」

「やだ」


 美緒は首を振った。

「やだ。絶対やだ。見るってことでしょ。確認するってことでしょ」

「でも」

「でもじゃない! ……っ! だって! 一部って!」


 声が通路に響いた。


 その瞬間、遠くで鈴の音がした。

 ちりん。


 美緒と健人は同時に振り向く。


 通路の向こう。

 さっき閉じたはずの扉の近くに、フクロウが立っていた。


 茶色い羽。

 大きな丸い目。

 黒い蝶ネクタイ。

 片手には、クリップボード。


 フクロウは何も言わない。

 ただ、照合室Cの方を指さした。


 どうぞ。

 そう言っているみたいだった。


「行かないって言ったら?」

 健人が睨みつけるように、低い声で言った。


 フクロウは答えない。

 代わりに、天井のスピーカーが鳴った。


『確認を中止した場合、対象01の回収を優先します』


 明るい女の人の声だった。


『確認を中止した場合、対象02の照合情報を破棄します』


「破棄……?」

 美緒の声が震えた。


『確認を継続しますか?』


 画面に二つのボタンが出る。


 【 はい 】

 【 いいえ 】


 どちらも同じ大きさだった。

 同じ色だった。

 なのに、美緒には、いいえの方が黒く見えた。


「選ばせんなよ」

 健人が言った。

「こんなの、選べるわけないだろ」


 美緒は画面を見た。

 悠真。

 紗季。


 どちらかではない。

 両方を人質にされている。


 ここで進まなければ、悠真は回収される。

 ここで進まなければ、紗季の情報は破棄される。


 それが本当かどうかなんて分からない。

 でも、確かめる方法もない。


「……押すしかないじゃん」

 美緒は言った。

「こんなの……酷いよ」


 指が震える。

 健人が止めようとした。

 でも、美緒は先にボタンに触れた。


 【 はい 】


 ぴ。


 軽い音だった。

 軽すぎる音だった。


 照合室Cの扉が、ゆっくりと開く。


 中から、匂いが流れてきた。


 消毒液。

 紙。

 甘い香水。

 鉄。


 それから、どこかで聞いたことのあるシャンプーの匂い。

 紗季が使っていたものと、同じ匂い。


 美緒は、泣きそうになった。

 泣かなかった。

 泣いたら、その涙までお預かりされそうだった。


「行こう」

 健人が言った。


 美緒は頷いた。

 頷いたつもりだった。

 足は動かなかった。


 すると、健人が左手を差し出した。

 黒く汚れていない方の手だった。


「一人よりは、マシだろ」


 美緒はその手を見た。

 強がっているのが分かった。


 健人だって怖い。

 それでも、手を出してくれている。


 美緒は、その手を取り立ち上がった。

 しかしその手は……冷たかった。


 でも、一人で立っているよりは、ずっとましだった。


 二人は、照合室Cへ足を踏み入れた。


 背後で、フクロウがクリップボードに何かを書き込む音がした。


 かり。

 かり。

 かり。


 扉が閉まる直前、美緒は見た。

 廊下の壁に、新しい札が貼られていくのを。


 『お預かり中:選択』


 その下に、小さく名前が出ていた。


 美緒。

 健人。


 扉が閉まった。



 20時36分


 捜索者  :2名


 対象01 :未納品

 状態   :回収継続中

 照合室C−1 接続


 対象02 :調理工程へ移行

 照合用情報:受領済

 照合室C−2 接続


 確認選択 :承認


 お預かり情報:

 音声

 髪留め

 同行者記憶

 選択


 次工程:本人照合


 すたっふ:フクロウ


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