次期領主が受ける洗礼
早朝、朝鳴き鳥が鳴く前の時間帯。鳥の代わりに人の叫ぶ声が館をつんざく。
王家の印が押された私書が届いたと聞いてココス家長女、レイン=ココスは寝床から撥ね起きた。この案外寝汚い若き令嬢の世話は今日に限り不要だろう。
「私書、印付きの私書だと!?よりによって、よりにもよって。何を考えているんだリストリン!!!」
王家の印だけなら公文書か重要な契約書、私書だけなら友人からの手紙で済む。しかし、両者が揃うとなると大分話が違ってくる。
家印の押された私書は一般的には家族宛とされる。ひいては、未婚の女性に送った場合は求婚と解釈されるのだ。
「奴は我が家の状態を理解していないのか。それとも、王にしてみればココスなどどうでもよいと仰るのか」
現在、ココス領は病床に着いた領主アンブレラの周囲を中心に後継ぎ争いや利権争いが表面化している。実権は後見を務める領主の弟が握り、直系のレインでさえ次期領主の座をかろうじて確保するのが精一杯の状況だった。
「信じられん愚行だ頭が痛い。私が居なくなったら滞りに滞った政務を誰が引き継ぐというのだ。伯父か従兄弟か・・・・・・いっそ国の直轄地にでもなった方が幾らかマシであろうな」
直轄地?待てよ、いやまさか。レインにとって学舎での姿の印象が強いリストリンはその実昔のリストリンではない。父王が急死した混乱に紛れ兄を全て排除した上、魑魅魍魎集う宮中を征した男だ。
目的は領地の接収か。単に額面通り受け取るより余程説得力のある予想だった。早急に確認を取らねばなるまい。レインは慌てて使者を捕まえ会談の予定を取り付けた。
「久しいなレイン、会えて嬉しいぞ。惜しむらくは残酷な現実が引き裂いた我等の距離か。まあ、貴様が纏う茨は健在なようで安心したよ」
リストリンのどことなく厭味な語りは酷く懐かしいもので、郷愁が強くレインを揺さぶる。
王になる前のリストリンは、学舎で学んでいたリストリンはレインの家族に等しかった。些細な悩みを打ち明けたり、日常を楽しむ時間を共有できたのは彼とあと一人デンターだけ。だからこそ、なにかの間違いだと言って欲しかった。
「何故だ。何故、お前は過った」
いっそ政治的な理由での行動であったら、深謀深慮の指し手に操られる盤上の駒と扱われたのなら良かった。
顔を合わせれば互いに意図が知れた。無条件で信じられる関係だった。二度と戻らないそれを壊したものがただただ憎い。
「リストリンお前は」
「言うなレイン、頼む。縁談は断ってくれて構わん。けれど、気持ち自体を否定しないでくれ。貴様への想いが唯一私が人間であった証なのだから」
レインは貴族の仮面の裏で泣いていた。愛する友を惑わせた自分の性を歎き、自由を許されない玉座を悲しみ、優しい思い出を蹴り飛ばしたリストリンを憎悪した。
もしも、私に兄か弟がいればこんな形で傷付け合わなかった。領主の娘でなければ、貴族でなければ。きっと優しい嘘に塗れて生きていけた。
「リストリン=サイゼリア。お前は私が一番信頼する政治家だ。血と才を生かしてどうか責務を果たして貰いたい」
大いに同情しようリストリン。お前は愛を形にする機会を失った。命を繋ぐ為に王になったその日から。
たとえ政治の道具になろうとも私は領地を捨てられない。民を肉とし、貴き血を受け継ぎし者の道を歩む。
領民が自然発生するものだと思っているどうしようもない輩に、誰が舵取りを任せていられるか。ここにかつての友との友誼に誓って宣言する。我レイン=ココスは身命を賭してココスを繁栄させて見せると。
さよなら、リストリン=サイゼリア。私の信じた人。
そして今日も夜が傷を包む。
リストリン「早く人間になりたい(来世に期待的な意味で)」
レイン「さよなら、リストリン」
あと三回ぐらいシリーズが続くかもしれない。かもしれない。