思考少女は床の上 “許容”
思い返すと私は自分の肯定ってことをよく考えてるな。今回ははそのこと“許容”についてだな。許容とは許し認めることだ。私はどんな私であっても否定されたくない。なにより否定が嫌いだ。私が存在するためには、存在を認めてもらうためには許容を求めるしかない。いわゆる承認欲求のなれの果てだと思う。
自分が認めてもらうためには人を認めなくてはならない。自分にされて嫌なことは相手にもしない。これと同じように私のなかには自分がされたいことを相手にするというのも同時に存在する。だから私は周りを許容する。イラつくことも嫌だなと思えることも許容する。なぜなら、私も知らないうちに誰かを傷付けているかもしれない。ならば私は、いつでも、誰でも、なんでも許容しなければならない。誰かを恨んで自分だけ許されるなんてことはあり得ない。それこそ自分を許容できなくなる。自己満足的な他人への許容によって私自身を許容している。とても危うく、とても崩れてしまいそうなバランスで保ってる。過剰なストレスは他人を許容できなくなる。あとになって気がついて自分を許容できなくなる。そうだ、今日だって私は…………。
ごめんね。私には許容される資格なんてないよね。おやすみなさい。
窓の外にオリオンが見える。しかし瞬く星は少ない。それでも見えないところで幾つもの星々が誕生と消滅を繰り返してる。