幻の令嬢婚約破棄
ハッピーエンドですよ
「ヘレーナ・アンジエロ。君には失望したよ。君との婚約は破棄させてもらおうか。代わりにルシェナ・オードウェナーとの婚約を宣言する」
「え?嘘」
お城の庭先で、わたくしの婚約者であるアルデリード・フィナー第一王子殿下が静かにそう言った。彼の周囲には、立場上致し方ない側近4人が控えているが、全員何故かわたくしに敵意の目を向けている。
今はパーティーの最中で、庭先にだって人目はある。この面子が穏やかでなく集まっているので、ちょっとずつ野次馬しに来る人が集まって来ていた。
「いきなり、なんなんですの。それに、肝心のルシェナ嬢がおられないようですが」
「ルシェナは自宅で療養している。知っているだろう?」
穏やかに笑っているが、その目は全く笑ってなくて、寧ろ恐ろしい程の冷気が漂う。
実際、ちょっと寒い。
彼の感情の高ぶりに漏れ出た魔力が周辺の空気を冷やしているのだ。
「どういう事かしら。身に覚えはないのだけど」
「しらばっくれるのか!」
ひゅん、と氷の破片が飛ぶが、側近の宰相の息子であるバーガスが慌てて間に障壁を張って防いだ。
「王子!落ち着いてください!それはダメです」
「ちゃんと話そうって来たんじゃなかったんですか!一方的じゃダメです!」
バーガスと近衛騎士団団長子息のノウェがアルデリード殿下を抑えて。魔術師団次期団長候補のマナヴィカと辺境伯家のクロウが王子の魔力を宥めて何とか散らす。
それでなんとか落ち着いた王子はわたくしを睨みつける。
それでも今にもまた声を荒げてきそうな熱があって怖い。
クロウが代わりに口を開いた。
「ヘレーナ嬢、公爵令嬢たる貴女が男爵令嬢のルシェナ嬢に陰湿なイジメをしているという噂があるのです」
「具体的には?」
「人気のない所でルシェナ嬢を酷く詰った、暴言でルシェナ嬢を傷付けた、ルシェナ嬢の物を盗んで壊した。挙句の果てには昨日階段からルシェナ嬢を突き落としたそうじゃないか」
最後の言葉に、わたくしは驚いた。そんなの、わたくしは報告を受けていない。
「ルシェナ様の、怪我は?どこから落ちたのです?」
「白々しい。学園の外階段だ。段数が大した事なかったから、足をくじいたぐらいで済んだが・・・そういう問題じゃないだろう?」
「そう・・・」
大した怪我じゃないなら良かった。だが、どうしてわたくしに疑いが出たのだろうか。
「目撃者もいるし、学園には監視カメラもある。幸い、君がルシェナを詰る所は映像が残ってるんだぞ」
周囲を囲う野次馬はざわざわとわたくしたちのやり取りを見ている。多くの好奇と多少の悪意の混じったさざめきが広がっている。
「ルシェナは、泣いていたんだぞ。貴女の向ける悪意に傷つき泣いていた。それでも何でもないと気丈に振る舞って、告発する事はしなかった。それを!」
「わたくしは彼女に悪意を向けるような事はしておりませんわ。そういう悪しき噂があるのは存じておりましたが」
「・・・・白を切るのか?」
「事実ですもの」
はっきり言うと、側近たちからの敵意が増す。王子以外にもルシェナ嬢に好意を抱いていたらしい。と、野次馬の向こう側から声が響いた。
「通してください!お願い、通して!」
そうして野次馬の向こうから出たのは、片足を引きずった黄金の髪に紫水晶の瞳を持つ、絶世のというべき美少女。それが必死に野次馬を掻き分けて出て来た。
「ルシェナ!」
アルデリード王子はよろよろと頼りなく出て来るルシェナ嬢を抱き留め、少し怒る。
「ダメじゃないか、ちゃんと安静にしていないと」
「で、でも・・・殿下、お手紙に書いてあった事を本当になさったのですか?ヘレーナ様と婚約破棄など・・・ダメです、そのような!」
ぎゅっと王子の袖を掴んで、改めて状況を見て、既に手遅れなのが分かったらしい。顔を青ざめさせてうずくまって泣き崩れた。
「ごめんなさい、ごめんなさいヘレーナ様!私が悪いのです、我が儘を言った私が・・・!こんなつもりじゃ、なかったのに!」
わっと泣くルシェナ嬢を抱きしめアルデリード殿下がわたくしを睨む。端から見たら、わたくしが断罪されている図だろう。いや、実際そういう状況なのだが。
「ヘレーナ、私はお前を愛せそうにない。私が真実愛しているのは、優しく天真爛漫で、知的で教養あるこのルシェナだ。婚約破棄に応じてもらえないだろうか」
どよどよと野次馬がざわめく。
公爵令嬢が男爵令嬢に婚約者を奪われた状況なのだから、それはそれは見事な下剋上だ。ルシェナ様に嫉妬と羨望、わたくしに悪意と同情が向けられる。
「・・・ルシェナ様」
わたくしが呼び掛けると、ルシェナ様はびくりとしつつもわたくしを見上げてきた。殿下がその背に隠そうとするが、ルシェナ様はしっかりとわたくしを見ている。
「貴女は、アルデリード殿下の愛を得ましたわ。もう、その偽りの姿は要らないでしょう?」
「・・・はい」
「ルシェナ?」
うなだれ、ルシェナ様は涙に濡れた顔でアルデリード殿下に笑みを向けた。色々な思いの篭った笑みに、アルデリード殿下が何か言う前にわたくしは魔法を解いた。
ルシェナ様の姿が銀の光に包まれて、さらりと砂のように崩れた。軽く悲鳴が上がる。
そしてルシェナ様だった砂の小山はもう一度輝くと小さめの人の形になって光が消える。
ルシェナ様のいた場所には、肩に触れる程度の黄金の髪に、大きな紫水晶の瞳をした、ルシェナ様の面影が色濃くある5歳程度の美幼女がそこにいた。
「ルシェナ!?ヘレーナ、ルシェナに何を!」
「これが彼女の本来の姿ですわ。見覚えございませんか?」
アルデリード殿下も、バーガスもノウェもマナヴィカもクロウも驚きのあまり声が出ないようだが、最初に復帰したのは殿下だ。
「・・・ルーナ皇女殿下?」
「はい・・・アルデリード殿下、ルーナ・ヴィグです」
ルシェナのものより些か高い小鳥の囀りのような声が答える。
隣にある友好国の現皇帝の長女、5歳のルーナ・ヴィグが彼女の正体だ。
「一体・・・どういう?」
「殿下。ルーナ様は前からおっしゃっていたでしょう?殿下をお慕いしておりますと。あれ、彼女は本気でしたのよ?」
扇で口元を隠すが、ニヤニヤが止まらない。ルシェナ、いやルーナ様はうるうるとした涙目で殿下を見上げた。
「騙すような事をしてごめんなさい・・・でも。殿下は私が子供だからって私自身を見てくれてない気がして・・・ヘレーナ様に協力してもらって・・・」
「わたくしの魔法で見た目だけ10歳ほど歳をとらせてみましたの。それで、偽りの身分を用意して学園に通って、それで殿下にちゃんと己を見てほしい・・・ただそれだけの可愛らしい我が儘でしたの」
ちなみに、陛下と皇帝に許可は取ってある。
誤算は、殿下が本気でルシェナ様に恋をした事。
「本当に年齢と身分以外は何も偽っておりません。そんな彼女に、殿下は恋をしたのですわ。怒ります?」
「いや・・・私の、ルシェナに、いやルーナ殿下に対する思いは変わらないようだ」
困惑したように、文字通り自分の胸に手を当てて答えた殿下にニッコリとわたくしは笑みを向けた。
「婚約破棄、応じましょう。詳しくは陛下と皇帝を交えて致しましょう」
「ああ・・・すまない、ヘレーナ」
「ごめんなさい、ヘレーナ様」
「良いのですよ、ルーナ様。子供扱いで好きな人に相手にしてもらえない気持ち、分かりますもの」
それから、正式にわたくしと殿下の婚約は破棄されて、新しくルーナ様と殿下の婚約が結ばれた。まだ5歳のルーナ様を殿下は待つそうだ。
そして、婚約破棄されたわたくしは。
「お久しぶりですわ、サディ公爵閣下」
「久しぶり、小さなヘレン」
先代国王陛下の末弟である、自分の父親より年上の公爵閣下に嫁ぐ事になった。
今回の事態を聞いた公爵様が控えめながらわたくしの新たな婚約者候補に入っていたので、全力で推させてもらった。父は微妙な顔をしていたが、構うものか。
「いいのかい?私のような年寄りが、君の新たな嫁ぎ先なんかで。もっと他にも若くて有望な」
「ファーレン・サディ公爵閣下」
他の方を推そうとする閣下の言葉を、わたくしは遮った。じっと彼を見つめると、確かに昔よりも顔にも皴が目立ち始めたし、黒髪にちらほら白いものが混じっている。それでも。
「わたくし、ルーナ様を見習おうと思いますので」
「ルーナ様を?」
「ええ。歳の差で、この恋を諦めたくないのです」
ずっとずっと好きだったのだ。昔から、ずっと。でも、ずっとずっと年上の彼には子ども扱いしかされなくて。だから諦めて、アルデリード殿下の妻として生きていこうと思っていた。
でも、今回の件でルーナ様はその行動力で愛する殿方に想いを伝え、そうしてわたくしが諦めた恋を掴み取った。そして、婚約者のいなくなったわたくしの元へ舞い込んできた縁談の中に、一応とばかりの公爵様からの物を見つけて飛びついたのだ。
それが同情からでも構わない。やっぱり、諦めたくないと。
「ですが、公爵様がお嫌ならわたくしは・・・だって、まだエリザ様のこと」
婚約者を病で亡くして以来、ずっと独身を貫いてきたのだ。それを知っているから、強引な手は使えないと思っていたのだが。
公爵様は、ふっと笑って立ち上がり、わたくしの頭を撫でた。子供にするような仕草に、悲しくなってくる。ああ、まだ彼の中のわたくしは小さいのだと。
「不思議な事があってね。夢の世界でエリザに会ったんだ」
「エリザ様に?」
「そんなこと初めてで嬉しくて駆け寄ったのに、開口一番に怒られたよ。いつまでも辛気臭いと」
わたくしはエリザ様にお会いしたことはないが、随分と辛辣な一言だ。そんなことを言われたのに笑っている公爵様が不思議だ。
「なんで自分の幸せを諦めるの、あなたに託した私の分の幸せを持ったまま死ぬ気か、と」
「託されたのですか?」
「死に際にあなたに幸あれと言われたけど、あれが託したってことなのかなぁ、と疑問には思ってる」
快活に笑いながら、公爵様の手が髪を撫でて、頭から頬へと流れるように触れてくる。くすぐったくて嬉しくて、頬が熱を帯びたように熱くなる。だが、すぐに手は頬を離れて髪を一房優しく掴んだ。「・・・私の幸せ、と言われて、君の顔が浮かんだんだ」
「え?あ・・・・」
髪に口づけをされて、ぼぅと顔全体が真っ赤になるのを自覚した。思わず顔を逸らしてうつむいてしまう。
「そんな時に、君が婚約破棄されて婚約者がいなくなったと聞いてね。こんな年寄りが相手にされる訳ないと思いつつ、ダメもとで縁談を申し入れた」
「年寄りだなんて・・・」
わたくしは大きく息を吸って吐いて、漸く公爵様の顔を見る。優しげに微笑むその顔は、昔と変わりなく見える。
「・・・ずっとずっと昔から、お慕いしておりました。公爵様、子供みたいな歳のわたくしですが、女として愛してくださいませんか?」
とびっきりの微笑みを見せると、公爵様はちょっと驚いた顔をして微笑んだ。
「ありがとう。共に良い家庭を築こう」
「はい・・・!」
ヘレーナ・サディ公爵夫人は、ルーナ王妃の最大の理解者にして一番の親友として、その生涯を公私に渡って支え続けた。
また、夫のサディ公爵との間に三人の子宝に恵まれ、それぞれ立派に成長し国を支える重鎮に名を連ねた。
ヘレーナはその生涯の終わりに満面の笑顔で言ったという。
ーわたくしは、幸せな婚約破棄をしたのですわ・・・ー
と。




