38・初魔獣戦
「ぬんッ! 」
闇に碧い残光を引いたジローの右拳が隕石の如く灼咬獣の頭に叩き落とされた。
激しい衝突音と鈍い破砕音が響き、殴られた灼咬獣は声も上げられずに崩れ落ちるが、ジローはすかさずその体を左手で掴み上げる。
同時に、前方から二匹の灼咬獣が飛びかかってきていた。
「ぉるぁッ! 」
気合いと共に左腕の筋肉が隆起し、灼咬獣の屍が浮き上がり加速する。
全力で振り抜かれた灼咬獣の屍は同朋の胴を打ち据え、自らも捻切れながら二匹を弾き飛ばした。
二匹はせめてもの抵抗と、その鋭い爪をジローの左腕に突き立てるが、返ってきたのは肉を引き裂く感覚ではなく、まるで金属のような硬質な反発。
踏みとどまることも出来ず、二匹は悲鳴を上げて吹き飛んでいった。
決して柔な鋭さではない魔獣の爪を弾いたジローの腕は、月明かりと揺らめく炎の光を受けて鈍い鋼色に輝いている。
鬼人種のみが行使可能な身体強化魔術、【硬化】の力だ。
体の構造上、属性魔術を含む放出系の魔術が一切使えないという特徴を持つ鬼人種は、それを補って余りある身体強化能力の高さがある。
【硬化】はその一つであり、防御力の強化と共に拳を凶悪な武器と変える鬼人種には欠かせない術だ。
そして、今のジローには身体強化以外の魔術が扱えない欠点を補う雷砲獣の手甲がある。
魔力を帯びて碧く輝く手甲は拳の衝突と同時に雷を迸らせ、獲物を焦がし痺れさせる。
これによってジローの拳は灼咬獣にとって、直撃なら即死、掠っても致命的な凶器と化していた。
「さて……」
二匹が吹き飛んだ方角へ向き直ったジローが両拳を打ち付ければ、溢れ出した雷がその触手を地に、宙に伸ばし、周囲の灼咬獣の動きを牽制する。
しかし、ジローを脅威と認識した灼咬獣の一匹が呼び掛けるように吠えると、続々と新手の灼咬獣達が現れ、ジローを取り囲み始めた。
その数は九匹。
流石に看過できない数にジローも足を止め、拳を握り込む。
が、次の瞬間、ジローを囲む灼咬獣の一匹に落雷の如き閃光が叩き落とされ、その体を真っ二つに斬り裂いた。
凄惨な屍を蹴り飛ばして現れたのは、稲妻を纏った碧い剣を持つアラタだ。
「ジローさん、もうこいつらで最後みたいですよ。取り逃がしはカドワキさんとロイズさんがやるそうですしっ! 」
一体何匹の灼咬獣を斬り伏せたのか、返り血にまみれたアラタは話す間にも手近な灼咬獣の首を刎ね、ジローに軽く笑いかけた。
ジローに気を取られていた灼咬獣達の群はアラタの乱入によって混乱し、包囲の輪が瓦解の兆しを覗かせる。
一瞬呆気にとられたジローはその光景に気を取り直し、拳を握り直した。
「おおッ! 」
これなら一気に決められる。
確信したジローは、すかさず追撃するアラタに続き手近な灼咬獣に飛びかかり拳を込んだ。
確かな感触と共に獲物は吹き飛び、木に衝突して倒れ伏す。
更にアラタが一匹を斬り裂けば、周囲の灼咬獣達は逃亡を試み始める。
しかし、突如アラタの背後から細い稲妻が飛び出したかと思うと、瞬時に二匹の喉が切り裂かれた。
それを成したのは、いつの間にか影のようにアラタに付き従っていたユウナだ。
ユウナは細剣を振るった低い体勢そのままに地面に手を突く。
すると僅かに地面が振動し、脇目も振らず逃げ去ろうとしていた残りの三匹を、地面から突き生えた三本の石柱が弾き飛ばした。
「二人ともっ! 」
ただそれだけを言ったユウナは剣を構えて飛び出した。
だが、アラタにもジローにも、その意図が容易に理解できた。
二人もそれぞれ拳と剣を構えて飛び出す。
一人一匹。
それも無防備に宙を舞う獲物にトドメを刺すことなど、作業のようなものだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
戦闘が終わり、再びの静寂を得ると同時に当初より濃い血の臭いに包まれたルマの外壁外にて、ロイズを先頭にするユウナ達はルマの兵達に頭を下げられていた。
「ロイズ様、この度はお力添えありがとうございました。おかげで我々も怪我人すらなく、助かりました」
「いや、私は援護をしただけだよ。実際に奴らを倒したのはこの子達だ」
「ふぇ? 」
礼を手で制したロイズがユウナの肩に手を置き後ろに下がれば、いきなり前に出されて呆けるユウナをよそに、兵士は驚きながらも頭を下げた。
「これは失礼。皆様のおかげでルマの危険は取り除かれました。常駐の兵だけで対応していたら怪我人が出ることはもちろん、戦いも今日だけでは終わらなかったでしょう。ありがとうございました」
「えっと……」
頭を下げた兵士に続いて背後に控える数人の兵達も続いて頭を下げ、それを受けたユウナはどうして良いかわからず後ろを見た。
アラタは誇らしげに笑みを浮かべ、カドワキも同じく。ジローは堂々と腕を組んでいる。
そして、ユウナの肩に手を置くロイズは小さく笑うと、ユウナの顔を前に向き直させた。
ついでに頭を強く撫でられ、何となくだが自信を持てと言われている気がしたユウナはぎこちないながらも笑顔を作る。
「ど、どういたしまして……? 」
ユウナがそう言うと、兵士達も応じるように更に平伏する。
ユウナにとっては何とも恥ずかしくむず痒い扱いだが、ロイズに肩を掴まれているユウナはそれを誤魔化してその場をやり過ごすこととした。
幸い、それ以上兵士達に頭を下げ続けられるということはなく、後日の報酬の受け渡しの件と共に事後処理はルマの兵士で行うということでロイズと隊長らしき兵の間で流話が決まっていき、直ぐにユウナ達はルマの町に戻ることとなった。
「はぁー、なんか急に疲れた……」
人通りの少ないルマの大通りを歩きながら、ユウナは大きく伸びをした。
未だ処理が終わっていないため、住民達に安全が知らされていないルマの町は静かで、時折すれ違う兵達に挨拶をされる事を除けば今のユウナにはとても開放的だった。
ユウナが更に先の緊張で凝り固まった気がする肩を回していると、頭に隣を歩くロイズの手が置かれる。
「そう言うな。事実、私の援護が殆ど必要ないほどよく頑張っていたよ」
優しく言い聞かせるように言うロイズはそのままユウナの頭を撫でる。
先程兵士達に礼を言われた時は緊張が勝ったが、ロイズに褒められると素直に嬉しさと喜びが湧いてきて、ユウナは思わず笑顔になってしまいそうなを伏せた。
「そ、そうですかね……? 」
「ああ。私が数えた限り、今回現れた灼咬獣は三十匹。内四匹はルマの兵士達が、ユウナとアラタが八匹ずつ、ジローが四匹、カドワキと私が二匹ずつ狩っている。大したものだよ」
「へへ、寧ろやりがいがありましたよ。あの倍はいけます」
アラタが大口をたたくが、確かに数字にしてみるとユウナとアラタで全体の半数を狩ったことになる。かなりの戦果だ。
当然新たな武器のおかげでもある。
雷砲獣の素材を使った細剣は魔力を流すだけで雷を纏い、恐ろしいまでの切れ味を発揮してくれたため、ユウナは殆ど攻撃魔術を扱わず剣のみで灼咬獣達を倒せた。
だが、剣の一振り、一突きで的確に急所を突いて殺す事が出来たのは自身の実力、成長と捉えてもいいのではないか。
それは、満身なのかもしれない。
だが、今更ながら先ほどの戦いを思い出したユウナは高揚感と共に、少しだけ自信を持てた気がした。
そうして歩いていると、前方にユウナ達が部屋を取っている宿の看板と、此方へ歩いてくる集団が見えてきた。
ユウナ達が宿の入り口に辿り着いたとほぼ同時に歩いてくる集団ともすれ違う。
それは土木作業の為に召集された男達といった風で、木材や道具を抱えている様子からこれから事後処理の手伝いに行くのだと伺える集団だった。
何の変哲もない男達。
ユウナは気にせず通り過ぎようとした。
しかし、男らとすれ違った瞬間、ユウナの鼻腔をどこか覚えのある匂いが刺激した。魔力の匂いだ。
同時に頭に浮かんだのは、ラズリスでの出来事。
新たと共にベイートと名乗る男と対峙し、完膚無きまでに敗北した苦い記憶。
まさかと思いユウナは振り返るが、男達の中にそれらしき者の姿はなかった。
当然、こちらに視線を向けている男もいない。
「…………? 」
「どうかしたかユウナ? 」
「あ、いえ……」
気がかりは残るが、ユウナは大人しくロイズに着いて宿に入った。
だが、部屋に向かう間もユウナは考える。
言ってみれば、これはラズリスで会ったベイートという男の魔力の匂いを感じた気がしたという曖昧なもの。
さらに先程は身体強化もほぼ薄れた状態で、森民族の特性が発揮されてた可能性も低い。
そしてユウナより感知に長けているロイズも特に気にした様子ではなかった。
それを考慮すると、ユウナの勘違い説が濃厚になってくる。
結局、否定する理由を挙げればキリが無く、考えても無駄だろうとユウナは判断した。
そして気がつくとロイズに抱き枕にされてベッドに入っていた。
「あれ……もう寝るんですか? 」
「ん? 湯浴みも済ませただろう。お前は何か考え事してたようだが」
「あーそう言えば……? 」
言われてみればロイズに生返事を返しながら身を任せていた記憶が朧気に思い出され、ユウナは部屋を見渡した。
ユウナとロイズの二人部屋で一応ベッドは二つあるが、ユウナは抱き枕のように扱われているためそちらは空いている。
既にユウナも慣れたもので、ロイズに抱き締められた状態だと気がついた途端に眠気なってきた。
「考えるのは良いが、あまり抱え込むなよ? 」
「……はい」
ロイズが何か問いかけてきているが、ユウナの頭には半分入ってもう半分は抜けていっている。
「……なあ、聞いてるか? 」
「……すぅ……」
「こいつ……」
ひとまず安心、何かあれば明日考えることにしようと決めたユウナは呆気なく眠りに落ちた。
ロイズに頬を軽く引っ張られ放され、こねくり回されても起きないユウナの寝顔は、実に穏やかなものであった。
今回も短かったです。