私を想う心が少しでも離れてしまうなら
びっくりしました。
氷雨様を待っていただけだったのに、予期せぬ出来事に私は目を見開き固まるしかできなかった。
軽く吐き気がした。
「人の女に触ってんじゃねえよ」
掴まれた腕が剥がされ、その人物から私を遮るように前に立ちはがかる氷雨様。
腰まである黒髪は半ばから髪の色素が薄くなり灰色になっていき、毛先に当たっては白い髪がふわっと定位置へと戻っていく。
私はその背中に飛びつくように張り付いてもびくともしない。
「ぼ、僕は彼女に」
「嫌がってただろ」
回した腕を優しく撫でられた。
ほんわかと拒絶で固まった身体が溶けていく。
「氷雨様」
ギュッギュッと力の限りに纏わりつく。見たくないというわけではない。
彼はあの人の生まれ変わりであるだけで、私の知らない人。
触れられたのが嫌なわけではなかった。
私と氷雨様の幸せを壊そうとするような気持ちが彼から感じられたから。
私達を引き裂こうとするから。
私はもう身を引かないと決めています。
心は揺るがない。
「近づくなよ」
私からあの人のように氷雨様は離れない。ずっと傍にいてくれる。
「君には関係ないだろ!」
貴方が私から離れるはずがない。
あの人のように私から離れるはずがない。
私の思い上がりではないはず。
貴方は私の全てです。
「ない、ね。ないと思えんのか?」
私はひょっこりと背中から顔を離して相手を見やる。名前は知らないし、確か婚約者がいたはずだったと思ったんですが、違ったんだろうか?
「…それは」
「今更、何のようだよ、王子様」
たっぷりと不機嫌さを孕んだ声にかなり馬鹿にするような顔を作った。
相手は目をさまよわせていたが、暫くすると真っ直ぐと私を見た。
ビクリとしたが私は腕を緩めてそっと氷雨様に寄り添う。
「彼女は僕の命愛の君だ」
「…んなの知るかよ。砂姫はもう俺の女で妻だ。ちょっかい出すなよ、勘違い男」
スッと身体を引き寄せられて熱が上がる。熱くて燃えてしまいそう。それでも顔を逸らせない、俯けない。
底のない漆黒の瞳に帯びた熱から目が離せない。ギュッと胸元に顔を押し付けられて見えなくなってしまったが海の香りがこれでもかといったように広がっていく。
「っ、僕はっ!」
「黙れ、とっとと去れ」
昔はあの人が好きだった。でも、今は…。
「砂姫」
名前を呼ばれおずおずと顔を上げれば、酷く優しく微笑んだ氷雨様の顔にのぼせそうです。
甘い声に脳がとろけてしまいそう。
誰にも見られたくない。
彼はもう行っただろうか。
「氷雨様」
「砂姫」
触れ合うのは好き。
言葉を交わすよりもこうしていたい。
嗚呼、見ないで。
誰も私達を見ないで。
「っ」
目を閉じることすら出来ない。
許されない。
私はもう貴方しか見えない。
だから、見ないで。
私にはもういらないものばかり。
捨てても良いものばかり。
両親も姉妹も友達も何もかもがいらなくなっていく。昔は選ぶことすら出来なかったのに、今では選ぶ。
きっとあの時の相手が貴方だったなら私は何をしてでも貴方の気を惹いた。
どうしようもなかったなら、その時はきっと。
きっとその時、私は…。