リセット・ペンション 〜過去に戻って事件を解決するだけの簡単なお仕事〜
思いついて書きたくなりました。後悔はしていません。
任務の内容を聞いたとき、私は正直なところ拍子抜けした。
山里の小さなペンション。被害者は宿泊客の男性、四十二歳。加害者は同じく宿泊客の女性、三十五歳。凶器はナイフ。発生予定時刻は午後九時十七分。場所はペンション一階の食堂。
以上。
上司の榎本係長は私のデスクの前に立ち、薄い書類をぱたりと置いた。
「それだけですか」
「それだけだ」
「動機は」
「不明」
「なぜその人物を守らなければならないのですか」
「重要任務だ」
「それ以上の説明は」
「ない」
そういうものだった。未来警察の現場任務はだいたいこういう形態をとる。失敗してもリセットされる。開始時点に戻るだけだ。肉体的なダメージも消える。記憶だけが残る。
私は着替えをバッグに詰めた。武器は持たない。過去社会への潜入任務では武器の持ち込みが禁止されているためだ。防がれた犯罪は起きなかったとみなされる。犯罪を抑止するために犯罪を犯してはならない。体術の訓練は十分に積んでいる。新人としては及第点以上、とは自分でも思っていた。任務を受ける前までは。
ペンションの名前は「山の家 みどり」。標高八百メートルの山中にある、十二室の小さな宿だった。
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チェックインは午後三時。二〇三号室に荷物を置き、窓から山の稜線を確認した。出口は正面玄関と裏の勝手口、非常階段が一か所。宿泊客は全部で八名。私を含めて九名。
食堂でコーヒーを注文し、宿泊客の顔を確認した。
被害者、鷹野誠一。書類の写真と一致する。ネルシャツに無精髭、温和そうな顔をしている。隅のテーブルで文庫本を読みながらコーヒーを飲んでいた。砂糖を三つ入れた。
加害者、村瀬陽子。これも一致する。華奢できれいな人だった。窓際のテーブルで山をずっと見ていた。ほとんど動かなかった。この人が人を殺すとは、外見からはとても想像がつかなかった。
夕食は午後六時からだった。食堂に全員が集まった。鷹野はビールを一本飲み、山菜の天ぷらをよく食べた。村瀬は食事をほとんど残した。山のほうを何度も見た。窓の外はもう暗かった。
食後、鷹野はロビーのソファで本を読んだ。村瀬は部屋に引き上げた。私は鷹野の近くのソファに座り、文庫本を開いた。内容は頭に入らなかった。
八時を過ぎたあたりで、村瀬が階段を降りてきた。バッグを持っていた。食堂のほうに向かった。鷹野はソファで本を読んでいた。私は立ち上がった。
村瀬の動線を頭の中で確認した。食堂、廊下、階段。どこでやるつもりか。
村瀬は食堂に入り、自販機でコーヒーを買った。戻ってきた。階段を上がった。部屋に戻った。
何もなかった。
九時が来た。鷹野が本を閉じ、伸びをした。
「おやすみなさい」と私は言った。
「おやすみなさい」と鷹野は言い、階段を上がった。
九時十七分が来た。何も起こらなかった。十時が来た。
私は安堵した。書類の情報が誤っていたか、私が警戒していたことで村瀬が思いとどまったのか。どちらでもいい。今夜は何もなかったのだから、これで任務完了だ。
部屋に戻ろうと廊下を歩いていたとき、階段の踊り場で音がした。
鷹野が倒れていた。壁にもたれるようにして、床に崩れていた。首の右側を深く一か所ナイフのようなもので切られていた。村瀬の姿はなかった。
世界がリセットされた。
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二回目。
一回目で分かったことがある。前回村瀬は九時十七分に食堂で事を起こさなかった。書類の情報はあくまで過去の結果に過ぎない。そもそも私は過去の結果を変えようとしている。彼女はタイミングを見計らっていたのだ。鷹野が一人になる瞬間を。
今度は村瀬を直接監視した。夕食から視線を離さず、席を立つたびに後をつけた。
八時すぎ、彼女がトイレに入った。私はドアの前で待った。五分経った。十分経った。出てくる女性客を一人ずつ確認した。村瀬は出てこなかった。
窓から出ていた。
廊下に飛び出したとき、階段の上から音がした。鷹野の部屋のドアが閉まる音だった。
二〇五号室の前に立った。ドアをノックした。返事がなかった。ノブをひねるとドアが開いた。
鷹野が床に倒れていた。背中を一か所、深く刺されていた。村瀬は窓から出て、ベランダ伝いに鷹野の部屋に入ったのだ。
リセット。
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三回目。
鷹野から離れない作戦にした。
夕食から隣のテーブルに座った。食後もロビーで並んで本を読んだ。鷹野はうろんな目を向けてきたが、それは仕方がない。
村瀬は今回も八時すぎに席を立った。私は立たなかった。鷹野のそばにいることを優先した。
九時になった。鷹野が席を立った。部屋に戻ると言った。私もついていき、二〇五号室の前まで送った。
「おやすみなさい」
「……どうも」
ドアが閉まった。私は廊下で待った。
九時十七分が過ぎた。外の音も聞き漏らさぬように耳を澄ませた。静かだった。
廊下の端から村瀬が歩いてきた。非常階段から降りてきたらしかった。彼女は私を一瞥し、踵を返して非常階段に戻った。
私は鷹野のドアの前に立ち続けた。十時が過ぎた。十一時が過ぎた。途中ルームサービスでペンションの従業員が二〇五号室に入っていった。通り過ぎるとき、私を怪訝そうに見ていった。
少ししてドアの内側で音がした。次の瞬間、鷹野が倒れる音がした。
ドアを開けた。鷹野が床に倒れていた。口元に泡を吹いていた。部屋の中に村瀬の姿はなかった。窓が少し開いていた。飲みかけのコーヒーカップが机の上にあった。
リセット。
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四回目。
毒を使うとは思っていなかった。
コーヒーカップはルームサービスのものだった。私はそれを見落としていた。村瀬は鷹野のコーヒーに何かを入れた。いつ入れたのかは分からなかった。
四回目は鷹野に飲み物を一切口にしないよう話を向けた。さりげなく。「山の水を飲んで大変な目に遭ったことがあって」と言った。鷹野は「そうなんですか」と言ってミネラルウォーターを飲んだ。
その夜、鷹野は食堂で倒れた。
今度は食事に入っていた。山菜の天ぷらに、ほとんど気づかない量が混ぜてあったらしかった。どのタイミングで仕込まれたのかは分からなかった。腹を押さえて倒れ、床で痙攣した。
リセット。
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五回目。
食事を外で食べることにした。フレンドリーに鷹野に近付き、麓のそば屋で夕食を済ませてから宿に上がった。鷹野は訝しんだが、「地元の名店を予約したのだが、一人キャンセルになってしまった」と言ったら納得した。
宿の夕食は断った。飲み物も宿のものは口にしない。部屋のルームサービスも頼まない。
九時が来た。九時十七分が来た。鷹野は部屋で元気にしていた。
私は廊下のソファに座って夜を過ごした。深夜一時になった。
部屋のドアが内側から開いた。鷹野が廊下に出てきた。
私を見てギョッとした顔をしていた。
「小腹が空いて」と彼は言った。「自販機で何か」
「やめてください」
「なんで」
「お願いです、部屋にいてください」
「でも腹が」
押し問答をしている間に、廊下の端から人が来た。村瀬だった。手には何も持っていなかった。私は身構えた。
彼女は私に体当たりをした。体重は軽かったが、タイミングが完璧だった。私がよろけた一瞬に、鷹野の首に腕を回した。捻った。私が立て直して掴みかかったとき、鷹野はすでに意識を失っていた。
リセット。
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六回目。
素手でも殺せるらしい。ただの華奢な女性ではない。
今回は最初から村瀬を行動不能にすることを優先した。夕食の途中、彼女がトイレに立った瞬間に廊下で待ち、腕を取った。
彼女は思ったより強かった。未来警察で訓練を受けた男性の私と互角かそれ以上の実力がある。
私の手首を内側から巻き返し、重心を落とし、肘を打ってきた。正確な打ち方だった。私は一瞬手が離れた。その隙に距離を取られた。
組み直した。壁に押しつけた。彼女は腰を落として私の重心を崩した。私が体勢を立て直す間に膝を打ち込んできた。かわしたが完全ではなかった。
もみ合っているうちに他の客が出てきた。宿のオーナーが出てきた。私が女性を壁に押しつけていた。
引き離された。事情を説明している間に村瀬を見失った。
食堂で、鷹野が椅子に座ったまま動かなくなっていた。一瞬の隙にコップの中に何かを溶かされていた。
リセット。
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七回目から十回目、私はあらゆる手を試した。
七回目。鷹野をドライブに誘い山道を走った。振り返ると村瀬の乗るSUVが追ってきていた。山道の運転に慣れていない私はすぐに追い付かれ、カーチェイスのテクニックでスピンさせられガードレールに衝突した。助手席を見ると鷹野が死んでいた。
八回目。鷹野の部屋に一晩中いた。深夜三時、天井から音がした。屋根裏から入ってきたらしかった。気づいたときには鷹野の首にコードが回っていた。私が引き剥がしたが、間に合わなかった。
九回目。村瀬のバッグを盗んだ。中にナイフが二本と細い紐が入っていた。没収した。毒は見つからなかった。その夜、鷹野は食堂のテーブルに突っ伏して動かなくなった。何を使ったのか分からなかった。
十回目。村瀬を宿の物置に閉じ込めた。外から鍵をかけた。夜中の二時に他の宿泊客が「変な音がする」と言って物置の扉をこじ開けた。鷹野は廊下で倒れていた。首に紐の跡があった。
どの回も、詰めが甘かった。彼女は必ず抜け道を見つけた。
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十五回目ごろから、私は落ち着こうとした。
落ち着こうとした、というより、頭を冷やす必要があった。認めよう。これは簡単な任務などではない。焦れば焦るほど手が荒くなる。手が荒くなるほど彼女の術中にはまる。そういう構造になっていた。
私に分かっていること。村瀬はナイフも毒も絞殺も使う。ナイフがなければ別の方法を使う。道具がなければ素手で仕留める。タイミングは書類の予測と一致しない。状況に応じて変える。何度も過去を繰り返せる私は圧倒的に有利なはず。なのに、村瀬は常に私の予想を裏切り続けた。
私に分からないこと。なぜ鷹野を狙うのか。そして、なぜ私が守らなければならないのか。
後者については考えても仕方がなかった。
十六回目。私は村瀬に声を掛け隣でコーヒーを飲んだ。ただの旅行客として。彼女は山を見ていた。静かな人だった。怒っているわけでも悲しんでいるわけでもなく、ただ何かを決めている人の顔をしていた。不思議と憎しみの感情は湧かなかった。
「景色がいいですね」と私は言った。
「ええ」と彼女は言った。
「よく来るんですか、この宿」
「いいえ、初めてです」
それ以上は話さなかった。その夜も、鷹野は死んだ。部屋で倒れていた。口に白い泡を吹いていた。
リセット。
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二十回を過ぎたあたりで、私はなりふり構わなくなってきた。
二十一回目。鷹野を椅子に縛り付けた。紐は村瀬の荷物から拝借した。本人が激しく抗議したが、謝りながら縛り続けた。
そして村瀬に追った。廊下で組み合った。何度も繰り返していくうちに私は村瀬に鍛えられていた。今回は私がやや優位だった。彼女を物置に押し込んで扉を閉めた。鷹野の部屋に戻った。
縛られた鷹野が椅子ごと倒れていた。頭を床に打っていた。
リセット。
二十二回目。村瀬に泣きついた。廊下で向き合い、「お願いです、今夜だけは」と頭を下げた。
彼女は少し首を傾けた。
「何のことですか」
「鷹野さんを、今夜だけは」
「鷹野さんというのは」
彼女の顔に作った様子はなかった。本当に分からない顔だった。
「鷹野さんに何か」
「いえ、すみません。忘れてください」
その夜、鷹野は階段の踊り場で倒れていた。首を絞められていた。
リセット。
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二十五回目。
私は正面から村瀬に向き合うことにした。廊下で、夕食の前に。
「少し話せますか」
「どちら様でしたっけ」
「同じ宿の者です。お願いがあって」
「なんでしょう」
彼女の目は穏やかだった。何も知らない顔をしていた。
「今夜、鷹野さんという方と二人きりにならないでいただけますか」
「鷹野さんというのは」
「同じ宿の客です。事情があって、その方の傍にいる必要があって」
「変なお願いですね」
「すみません」
「でも特に理由もないので、構いませんよ」
その夜、鷹野は自室で死んだ。窓から入ってきた形跡があった。腹を深く一か所。村瀬はやはり約束を守らなかった。当たり前だった。
リセット。
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三十回目。
私は食堂の入口に立ち、村瀬が入ろうとするのを体で塞いだ。
「どいてください」
「どきません」
「通してください」
「通しません」
彼女は私の脇を抜けようとした。私は腕を掴んだ。彼女は手首を返した。私は逆に取った。彼女は膝を上げた。私は体をずらした。廊下でもみ合った。他の客が出てきた。オーナーが出てきた。二人がかりで引き離された。
食堂の窓が開いていた。鷹野が窓の内側で倒れていた。首に紐が巻かれていた。
リセット。
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三十五回目あたりから、私は考え方を変えた。
村瀬を制圧することと、鷹野を守ることを同時にやろうとするから無理が出る。どちらかに絞るべきだ。そして村瀬を制圧するには、私の力では時間がかかりすぎる。その間に鷹野から目が離れる。村瀬が鷹野を殺そうとするように、鷹野も村瀬に殺されようとしているかの様だった。
ならば、鷹野を完全に密着して守り、村瀬が手を出せない状況を作るしかない。
なんやかんや今回も鷹野は殺された。
リセット。
三十六回目。食事も隣、ロビーも隣、廊下も並んで歩いた。鷹野は露骨に不審な顔をした。
「あなた、さっきからずっとそばにいますよね」
「気のせいじゃないですか」
「気のせいじゃないです」
「すみません、怖い思いをさせてしまって」
「怖いというか……まあ、別にいいですけど」
鷹野の押しに対する弱さには毎回助けられる。
その夜は、部屋の前で立って過ごした。村瀬が廊下を歩いてきた。私は動かなかった。彼女はドアの前で私と向き合い、少しの間立っていた。それから踵を返した。
朝になった。鷹野は生きていた。
しかし起床後、朝食のために食堂に降りた鷹野が、自販機の前で倒れた。朝のコーヒーに何かが入っていた。自販機を細工されていたのだ。いつの間に。
リセット。
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四十回目。
私は食堂の椅子に座り、コーヒーを飲んでいた。鷹野の斜め前のテーブルだった。村瀬は鷹野の後ろ二つのテーブルにいた。
夕食が終わった。九時になった。鷹野が席を立った。私も立った。村瀬も立った。
廊下に出た瞬間、村瀬は動いた。私も動いた。彼女の方が半歩速かった。私は彼女の腕を掴んだ。引いた。彼女は引かれながら体を回転させ、肘を私の顎に打ち込んだ。一瞬、視界が白くなった。
倒れなかった。死ぬ気で腕を離さなかった。引き続けた。
彼女は体重を乗せて押し込んできた。私は壁に背中をぶつけた。それでも離さなかった。膝を打ち込んだ。彼女がよろめいた。
鷹野が廊下の先で立ち止まり、こちらを見ていた。
「逃げてください」と私は叫んだ。
「え、あの、大丈夫ですか」と鷹野は言った。
村瀬が体を引いた。手が滑った。彼女は振り返って鷹野のいる方とは逆向きに走った。私も走った。
廊下を走り、玄関を蹴り開け、外の砂利の駐車場に出た。夜の山の空気が冷たかった。
彼女は逃げない。逃げたことが一度もない。どこかで必ず反転する。
反転してきた。予想していたので正面から受けることが出来た。組み合った。砂利の上で転がった。
気づいたら上になっていた。両腕を押さえていた。
「私の勝ちです。先に手を出したのは貴方だ」と私が言うと彼女は抗うのを止めた。二人で肩で息をした。
宿の玄関が開き、オーナーが顔を出した。鷹野も出てきた。
「あの、何なんですか」と鷹野は言った。
「すみません。彼女が襲いかかるのを見たもので」と私は言った。
警察が呼ばれ村瀬が引き渡されるまで私は力を緩めなかった。
その夜は何も起こらなかった。翌朝、鷹野は朝食を食べていた。コーヒーに砂糖を三つ入れて。
リセットされなかった。
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帰署した。報告書を書いた。
書きながら気づいたことがあった。最初の任務書類に書いてあった情報は、ほとんど当てにならなかった。時刻も場所も、予測に過ぎなかった。加害者の手段は毎回変わった。毒、絞殺、刃物、素手。状況に応じて変えてきた。
私が何かをすると、彼女は別の方法を選んだ。封じると別の入り口を探した。先回りすると違うルートを使った。
こちらの動きを読んでいるようで、しかし記憶がある様子はなかった。単純に、その場その場の判断が速かった。引き出しが多かった。
四十回繰り返して、最後の一回だけ勝てた。
榎本係長が入ってきた。
「お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
「どうだった」
「難しかったです」
「何回繰り返した」
「四十回ほどです」
係長はそれ以上の反応を見せなかった。椅子に座り、私の報告書を読み始めた。
「加害者について、何か気づいたことはあるか」
私は少し考えた。
「対応が速かったです。こちらが手を変えるたびに、すぐ別の方法を使った。引き出しが多いというか、場数を踏んだ人間の動き方でした」
「それだけか」
「体術も、素人ではありませんでした」
係長は報告書から目を上げなかった。
「そういう人間が世の中にはいる」
「はい」
「続きを書け」
私は席に戻った。
窓の外に山の稜線が見えるような気がした。見えるわけがなかった。ここは都市の中のビルだ。
砂利の上で転がった感触がまだ手に残っていた。四十回分の疲れが、まとめて体に来ている気がした。と同時に、何かが前よりはっきり見えるような気もした。うまく言葉にはできなかったが、私は確実に成長していた。
コーヒーを一杯入れた。砂糖は入れなかった。
報告書の続きを書き始めた。
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