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夢の盾 現の剣  作者:
第一章
9/18

八 侵食

 暗さに慣れた目には、闇に泳ぐ魚の影がはっきり見えた。忌々しいのに、ゆったり揺れる尾ひれはいっそ幻想的と言ってよかった。寝そべって、大きな水槽を見上げているようだ。

『あの女は、この世界でお前と恋人になる一方で、「あちら」の騎士と愛し合っていた。女の心は騎士のものだ』

 魚の話は、昨日もその前もずっと同じだった。けれど僕は、それに慣れることがなかった。聞くたびに、同じところをえぐられる。飽きもせず、突き落とされる。

『お前は最初から愛されてなどいない。あの女に、弄ばれたのだ。――許せるのか?』

 耳を塞ぐ気力もなかった。でも、せせら笑う魚を見ていたくなくて、僕は顔を腕で覆った。視界が真っ暗に閉ざされる。

 けれど、声が頭を掻きまわすのを、防ぐことはできなかった。

『裏切りだ。裏切りだ。裏切りだ。裏切りだ。裏切りだ。裏切りだ。裏切りだ。裏切りだ』

「消えろよ……」

 僕の呟きは、魚に比べればとても弱々しかった。

 怒って叫ぶことも、魚めがけて枕を投げつけることも、既にやった。でも何をしようと、「悪夢」を追い払うことはできなかった。頭がおかしくなりそうだ。

 いや、もうおかしくなっているのか?


『許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない』

 狂ったように魚は繰り返す。

 どれほど固く目をつぶっても、目をそらすことはできなかった。

 ――「悪夢」の言葉は、僕の心の声だ。




 あれから毎晩、「悪夢」は僕のもとを訪れた。

 僕をぐるぐる取り囲み、同じ話をささやく。――杉原さんが好きなのは僕じゃない。異世界の人間だ。これは、裏切りだ――。

 うるさい!と僕は怒鳴ったし、魚を殴りつけようともした。魚などいないかのように、無視し続けようともした。けれど「悪夢」は、話を信じたくなくて抗う僕を、憐れむように笑うだけだった。ぱっくりと口を開けて、『お前は騙されたのだ、かわいそうに』と。

 実体をもたない「悪夢」には、拳も言葉も沈黙も、僕の抵抗の全てがすり抜ける。僕が疲れ果てて、覚えもなく眠りに落ちるまで、魚はずっとしゃべり続けた。


 魚は実体がなくても、僕は生身の人間だ。家族には、夜中に僕が1人で暴れていると思われているようだった。

 「悪夢」とやり合った翌朝、母さんが怯えた顔で「何か悩みがあるの?」と聞いてきた。父さんも沙也も、そ知らぬ顔で朝食をとりながら、僕の様子を探っているようだった。それがあって、僕はあいつを追い払うことを諦めた。

 どうしようもない。魚はただ現れて、しゃべり続けるだけだ。それ以外の実害はなかった。ただ僕が最悪な気分になって、寝不足になるだけだ。

 少しずつ、僕の食欲は失せたし、頭痛も頻繁に起こるようになった。学校には行けるけど、絶えず疲れたような倦怠感が抜けない。授業にも部活にも、身が入らない。

 でも、どうしようもなかった。

 こんなこと、誰にも言えないから。




「嶋本、お前大丈夫か?」

 前の席の吉岡がそう声をかけてきたのは、「悪夢」と初めて会ってからちょうど一週間たった日だった。

「目の下、すげぇクマだぞ。顔色も悪いし……」

 吉岡が、僕の顔を覗き込む。心配そうなその目から逃れたくて、僕は頬杖をついてうつむいた。

「そうかな……」

「だってお前、さっきの授業寝てただろ?寝不足?」

 その通りだったけど、僕は苦笑で誤魔化そうとした。

「寝てねーよ。前の席なのに、なんでわかるんだよ」

「だって、いびきが聞こえた」

 眉を寄せて吉岡が言う。僕は笑いが引っ込んで、思わずまじまじと吉岡を見返した。

「……嘘だー」

「マジだよ」

 うわーと思わずうめいて、僕は天を仰いだ。両手で顔を覆って、大きく息をはく。

 教室でいびきをかくなんて、めちゃくちゃ恥ずかしい。寝不足が続いていたとはいえ、大失態だ。

「……いびき、大きかった?」

 心配になって聞くと、吉岡はニヤリと笑った。

「おう。先生もほっとけって、呆れてたぞー」

 バーカと笑う吉岡から、気まずくて顔をそむけた。


 そむけた先で、杉原さんと不意に目が合った。遠い席から、杉原さんは眉をひそめてこちらを見ている。

 ――大丈夫?

 そんな声が、聞こえてきそうな顔だ。杉原さんはたぶん、僕を心配してくれている。


 けれど、僕の胸に湧き上がったのは怒りだった。

 杉原さんには関係ないだろ。心配なんて嘘。どうせ僕のことを、授業中にいびきをかくなんて、馬鹿なやつだと思っているんだ。

 コントロールできない強い憤りに、僕自身が戸惑った。


 どうかしてる。杉原さんに、そんなことを思うなんて。きっと、寝不足で気が立っているんだ。

 もやもやした気持ちを抱えたまま、僕は目をそらした。


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