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夢の盾 現の剣  作者:
第一章
3/18

二 帰り道

 日が落ちるのが早くなった、と思う。

 季節は確実に秋へ向かっていて、昼の日差しはきついけど、それがなくなってしまえば風はひんやりと腕を撫でた。寂しい虫の鳴き声に覆われた夕暮れ、夜はもうすぐそこだった。


 合唱部では迫りくる学校祭でのミニコンサートに向けて、目下鋭意練習中だ。当然、今日も追い込みの練習だった。僕の歌う曲目は、去年流行ったポップス2曲と、クラシックの重唱を2曲。半分カフェみたいなコンサートで、前売りチケットご購入のお客さんには1ドリンクサービスあります。

 そうだ、杉原さんに渡そうと思って、チケットを1枚買っておいたんだ。

 ぼんやりそんなことを考えていたら、後ろからいきなり衝撃がきた。

「聞いたぞ新。お前、あの彼女泣かしたんだってなぁ」

 振り返ると、にやついた和志がいた。とっさに反応できずにいたら、薄っぺらい鞄でまた背中を叩かれた。

 青いフレームの眼鏡の奥、ぎょろっとしたつり目がおもしろそうに細められている。それを見た途端、僕は何もかも面倒臭くなって、やり返すことをやめた。和志の見せる、あけすけな好奇心にうんざりした。

「……泣かしてねーよ」

 僕は投げやりに答えた。和志はそのまま、僕の隣に並んだ。

「彼女、早退したんだろ?何かあったんだろうが」


 杉原さんは、結局5限には出ずに帰っていった。

 心配だったけど、僕は5限の生物も半分出て、さっきまでちゃんと部活にも行った。混乱しているという理由では、高校生は休めない。歌に全然身が入ってないって、部長の赤川さんには怒られたけど。

 杉原さんの話してくれたことが頭の中でぐちゃぐちゃに散らばって、僕は途方にくれていた。正直、これ以上何も考えたくない。

「なぁ、ケンカでもしたのか?お前らもうダメになったの?」

 和志は直球で聞いてきた。僕はもうそれで限界だった。

「黙れ。しゃべんな。蹴るぞ」

 睨みつけると、和志は驚いたように目を瞠って足を止めた。僕はもちろん、一緒に立ち止まったりしなかった。むしろ足を早めて、和志を置き去りにしてやった。

「えーっ、マジで別れたの!?」

 和志の無神経な大声が追いかけてきた。うるさい、最悪だ。僕は心の中で大いに悪態をついてやったけど、やっぱり足は止めなかったし、振り返りもしなかった。



「私は今日まで、ここにいなかったの」

 杉原さんはそう言った。

「頭がおかしいって思われるかもしれないけど……ここじゃない、別の世界にいたんだ」

 杉原さんは真剣な表情で、本気で言っているのだとよくわかった。だからこそ、僕は慎重に指摘せざるを得なかった。

「……杉原さんは、今までちゃんと学校に来てたよ?」

「うん」

 杉原さんは小さく頷いて、胸に手を当てた。

「私が全部、向こうに行ったんじゃないと思う。心――精神が、行ったんじゃないかな。生身の身体は渡れないって、聞いたから」

 「向こう」とはどこなのか、誰にそう聞いたのか、杉原さんは言わなかった。目を伏せて、ぽつりぽつりと、1つずつ語り始めた。


 ここじゃない別の世界。突風に吹き飛ばされて、杉原さんはそこへ行った。

「そうとしか考えられない。すごい風で、思わず頭を庇ってしゃがみこんだの。それが止んで目を開けたら、もう、ここじゃなかった」

 その世界では、杉原さんは特別な扱いを受けたのだという。身体をもたない者として。その世界では杉原さんの身体はちょっと透けていて、思い通りに自由に姿を変えることができた。鳥に獣に、自分ではない人に。そして、その世界で唯一「悪夢」に対抗することができた。


 「悪夢」について、杉原さんはたくさん説明してくれた。でも、僕にはそれがなんなのか、全然わからなかった。ただ「悪夢」とは僕の知るような悪夢ではなくて、杉原さんの敵で、その世界では幽霊のような、伝染病のようなものだったらしい。

「『悪夢』は人の心を支配して、身体を操るの。心だけだった私は、むしろ『悪夢』の影響を受けなかった。身体の入れ物がなければ、『悪夢』は入り込めないから」

 そして、「悪夢」に取り憑かれた人々を、正気づかせることができた。

「やり方はね、『悪夢』と同じなんだ。人に――身体の入れ物に入り込んで、心に直接働きかける。私の場合は、目覚めさせる」

 身体をもたない杉原さんだからできる、特別な役割。自覚してそれをするようになってから、少しずつ力をつけた。そのうち「悪夢」の側からも警戒されるようになって、攻撃を受けるようになった。「悪夢」の攻撃は、その名の通り精神攻撃なのだそうだ。でも、それから守って、支えてくれる人達もいた――。

「……でもね、ちょっと無理しすぎて、ダメになっちゃった。疲れて動けなくなった時、帰れって言ってくれた人がいて。だから、こっちに戻ってきたの」


 僕は――何も言えなかった。

 杉原さんの語る世界は到底信じられるものではない。そしてあっさり嘘だと笑うには、あまりに大真面目だった。杉原さんは僕の反応をいちいちうかがうこともなく、白い床を見つめてただ淡々と話した。そのせいで、僕は何をどう返せばいいのか、ますますわからなくなった。

 心だけ、異世界へ飛び出した杉原さん。じゃあ、ここにいた杉原さんは、何だったって言うんだ?

 足下がガラガラ崩れていくような気がした。

 杉原さんの心は、今までずっとここにいなかった?


「……いつから?」

 いつから、そこにいたの?

 僕はやっとそれだけ口に出した。口の中がひどく乾いていて、それなのに手はじっとり湿っていた。

 杉原さんは少し首を傾げたけど、僕の問いかけがわかったようだった。一度唇をかんで、ゆっくり答えた。

「……4月。2年生になった、始業式の日から」


 それで終わりだった。もうおしまいだと、突きつけられたような気がした。

 足下が崩れて、まっさかさまに落ちていく。その浮遊感にも似た真っ暗な思いを、僕は初めて味わった。

 あれが、失恋というものなんだろうか。


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