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夢の盾 現の剣  作者:
第二章
16/18

二 二人の問題

 昨日、図書館棟脇の花壇の前に座りこんで、杉原さんと話し合った。

 「悪夢」のこと、異世界のこと。話すべきことはたくさんあった。僕は自分に起こったことを、できるだけ全て話した。どうやって「悪夢」に会って、取り憑かれたのか。どれだけあいつに悩まされたかとか、眠れない夜を妹に助けてもらったとか、あまり情けなくなるようなことは言えなかったけど。

「……新くんには、道ができたんだね」

 僕の話を全部聞いた後、杉原さんはじっと考え込むように、ゆっくりしゃべり始めた。

「――道?」

 そういえば、「悪夢」も同じ言い方をしていた。体操座りで抱えた膝頭を見つめながら、杉原さんは頷く。

「『あちら』ではそういう言い方をするの。『悪夢』が人から人へ渡り歩くことを」

「……『悪夢』が杉原さんから僕に伝染った、ってこと?」


 図書館棟脇の花壇は、校庭からも渡り廊下からも見えないところにある。何の花も植わっておらず、忘れ去られたように乾いた土が盛られているだけだ。誰もいないから気兼ねなく話ができるけど、「悪夢」のいない日常の中で異世界のことを話すのは、ひどく不思議な感じがした。

「うん。『悪夢』は心から心へ渡り歩くって言われているから。……心に掛っている人へ、道ができやすい」

「――」

 反応に迷って、言葉に詰まった。僕が「心に掛る人」なのだと、喜んでいいところなのだろうか。杉原さんは淡々としていて、こっちを見さえしないから、わからなかった。

「新くん、剣をもっていたでしょう。たぶんあれが、道ができたしるしだと思う」

「……しるし、って?」

 杉原さんはちょっと笑った。その口元だけの笑みで、僕の疑問がすごく初歩的なことなのだとわかった。

「『悪夢』に憑かれた人をどう見分けると思う?彼らは必ず足跡を残す。それが、しるし」

 杉原さんの話が、よくわからないところまで伸びてきた。ぐるぐる頭をめぐる混乱を、僕はなんとか飲み下した。不思議で、わけがわからないと感じても、そういうものだと無理やり納得するしかない。「あちら」へ渡った杉原さんには、異世界の常識がわかっている。僕にはそれがないのだから。

「だからあの剣は、『悪夢』と似たようなもの。……『あちら』での私みたいなものなんじゃないかな」

「――つまり、実物じゃない?」

 説明をどうにか飲み込もうとしている僕に、杉原さんは静かに頷いた。でも、僕には全くピンとこなかった。


 あの時、手に吸いついて離れなかった剣は、ずっしりと重くて冷たくて、確かに存在していた。すぐに、幻のように消えてしまったけど、あの剣は本物だと思う。きっと人に向かって振るえば、ざっくりと皮膚を切り裂いて、血が出るのだろう。

 剣の感触を思い出して、僕はじっと両手を見つめた。

「きっとあの剣は、新くんの心に関わるものね」

 ふと気づくと杉原さんも、僕の手を見つめていた。

「私は『あちら』で、自分の意思で姿を変えられた、って言ったよね?――新くんの場合は、そういう意思が剣に働くと思うんだけど」

 今も、剣を出せる?と杉原さんはこともなげに聞いてきた。


 当然のように言われても、できるはずがない。途方にくれて、僕は呆然と杉原さんを見つめ返した。

 あの剣は気付いたら手の中にあって、気づいたら消えていたんだ。どこからきたのかも、どこに消えたかもわからない。そんなものを、ひょいと出すことなんて無理だ。

「……ごめん、できない」

 僕は力なく首を振った。けれど杉原さんは真剣な表情のまま、「いや、たぶんできるよ」と言った。

「しるしは『悪夢』が消えても、なくならない。何か、きっかけみたいなものを思い出して」

「きっかけ、って言われても……」

 思わず目が泳いだ。頬をかく僕を、杉原さんがじっと見る。

「きっかけさえ掴めば、今でも出せるはずだよ。あれはきっと、新くんがコントロールできるものなんだ」

 杉原さんのまっすぐな瞳は、そうと信じて疑っていないようだった。それに圧されるように、僕はぐっと固く目をつむった。やけくそになって心の中で、剣を出てこいと何度も唱えた。



 ――本当は、あの剣が出てきたきっかけを、考えたくなかったのだ。

 杉原さんには言えなかったけど、きっかけなら僕はちゃんと覚えていた。忘れられないくらい、強烈な感情だったから。

 杉原さんに対する怒り、憎しみ。「悪夢」の色をした剣は、そういうドロドロした暗い感情から生まれた。真っ黒な炎のようなあの衝動を、僕はまだ覚えている。それ自体はもう遠いけれど、杉原さんを傷つけてやりたいと確かに思ったのだと、その記憶が煤のように腹の底に残っていた。

 思い出すたびに、後ろめたさと自己嫌悪で胸が悪くなるような思いがする。好きなのに、どうしてあんなことを思ったんだろう。

 今はもう、傷つけたいだなんて思っていない。むしろ逆なんだ。


「――あ」

 杉原さんの驚いた声がして、僕は目を開けた。握りしめた手の中に、銀色の剣があった。

「うわ!」

 意識した途端、手に重みがかかる。慌てて左手で支えて、ぽかんとその重たい剣を見つめた。

 この間と、同じ剣だった。色が変わっても、形はかわらない。平べったくて幅の広い、鈍器のような剣だ。でもあの淀んだ色よりは、おぞましさがいくらか薄れていた。磨かれた刃が光を弾いて、僕は眩しくて目を細めた。

 まじまじと見つめていたから、前は気づかなかったことに気づいた。

「これ……」

 柄にはまった玉も、色が変わっていた。恐る恐る、指先でそれを撫でる。

 この前は何の光も通さない、真っ黒な玉だったけど、今は違う。酸化した銀のようにくすんだ、けれどそれよりも複雑に渦巻く色。――「悪夢」の色だ。

 剣がまとっていた「悪夢」を、この玉が吸い取って封じこめたかのようだ。指先から伝わる冷たさに、背筋が寒くなった。

 この色はダメだ。見つめていると、ぐらりと視界が揺らぐ。魚の、ぱっくり割れた口。尾ひれに取り巻かれた息苦しさを、思い出してしまう――。


「すごい!やっぱり出せた」

 杉原さんの弾んだ声に、はっと我に返った。

 杉原さんは微笑んで、輝く剣先を見つめていた。嬉しそうに頬が赤らんでいる。そうっと優しく、指の腹で剣に触れた。

「……なんだか、懐かしい感じがする。やっぱりこれは、『あちら』のものだね」

 いとおしむような穏やかな杉原さんの横顔を、僕は呆然と見つめた。

 杉原さんは剣を見ても、触れても、恐ろしさなんて全く感じていないようだった。「悪夢」の色をした玉にも動揺しない。杉原さんにとってこの剣は、懐かしい――好ましいものなんだ。


 得体の知れない、違和感のようなものを感じた。僕と杉原さんの、認識の差。一目で血や痛みを連想させるような剣を、好ましく、懐かしく思うなんて。理解できないズレに、もやもやした冷たい不安を感じた。

「どうやって出したの?何を考えて?」

 こんなに笑顔な杉原さんを、久々に見る気がする。僕は今感じた違和感に気をとられていたから、大して考えずに答えた。

「何って、杉原さんのことを。僕が考えることなんかそれ以外ないよ……」


 杉原さんがぴたりと止まった。笑顔も固まって、頬がさらに赤くなった。

 え?とその反応にあっけにとられて、その瞬間に気づいた。一気に心臓が跳ねて、かあっと頬が熱くなる。

 今、僕は何て言った?顔から火が出るって、こういうことを言うんだろう。恥ずかしい!

「まぁ、とにかく!たぶんこの剣は、杉原さんがきっかけになって出てきたと思う。コントロールできるかは、知らないけど」

「そ、そう……」

 杉原さんは赤くなりながらも、ちょっと困った顔をしていた。その表情で、ふと僕は恥ずかしさが少し冷めた。


 僕がこういうことを言えば、杉原さんは困ってしまうんだ。改めてそう気づかされる。「悪夢」が去っても、僕がふられた事実はなくならない。……あきらめないと、決めたばかりだけど。

 ちょっとしたことにこうして距離を感じては、予想以上にへこんでしまう自分を何とかしたい。杉原さんのこと、わかりたいと本当に思っているのに、少しつまずいただけでへこむなんて馬鹿みたいだ。もっとどっしり構えた男になりたい。

 杉原さんを、困らせたいわけじゃないんだけど。


「――『悪夢』がまた出るのか、どうなのかわからないけど」

 僕は剣をぐっと握り締めて、杉原さんを見つめた。

「僕はもう、関わりがあるから。杉原さんだけの問題じゃ、ないよ」

 杉原さんははっとしたように、僅かに目を見開いた。何か言いたそうに唇の端を震わせたけれど、ついには目を閉じて頷いた。

 「関係ない」という言葉がどれだけ容赦ない力で人を叩くのか、僕も杉原さんも、ついこの間思い知ったのだ。だからこそ杉原さんに宣言したかった。僕にはもう、「関係がある」ことなのだと。

 僕は剣を額の上に掲げて、刃を空へ向けた。空には秋の、刷毛で薄くはいたような雲が溶けている。その淡い空色が、銀に映った。

 誓いなんてどうやるか、全然知らないけど。

「僕も、力になりたいんだ」

 それができるのは、僕だけなのだ。


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