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夢の盾 現の剣  作者:
第一章
12/18

十一 対峙

「新、部活行こうぜ」

 教室の入り口からひょいと顔をのぞかせて、和志がほがらかに言った。

 いちいち、迎えに来るのはやめてほしい。僕は面倒くささに眉を寄せながら、カバンを肩にかついだ。

「……迎えに来なくても、ちゃんと行くよ」

「いやいや、別に、俺が新と行きたいだけだって」

 嘘くさい笑顔を浮かべて、和志は白々しく言う。

 何が一緒に行きたいだ。僕にはわかってる。こいつは、見張り役のつもりなんだ。


 早退事件があってから、僕は部活内でちょっと腫れものに触るような扱いを受けていた。部の女子たちから、変に心配されたり、励まされたりしている。

 あの赤川さんからも、気を使われているようだった。僕が音を外した時、それを指摘する赤川さんの言葉の鋭さが、いつもの3割は減っている。むしろ、こっちが気まずくなるくらいだった。

 つまり合唱部の全員に、僕がふられたことが広まっているらしいのだ。こういう時、女子の割合が高い部活は本当にウワサが早い。男連中は和志以外、情けで知らん顔してくれる。でも女の子たちの憐れみの視線は、正直部活へ行きたくなくなるほどだった。

「今日、パート練は何やんの?」

「そうだな、重唱の仕上がりが遅いから……」

 言いながら廊下に出て、パート部屋の教室へ歩き出す。

 その時だった。

「――新くん、ちょっといいかな」

 杉原さんが、追いかけてきた。


 隣の和志がぎくりと足を止めたので、僕も仕方なく立ち止まった。振り返ると杉原さんが、笑みを浮かべて立っている。けれどその目は、ひどく真剣だった。

 和志が焦ったように、僕と杉原さんへ交互に目配せした。その視線を無視して、僕はできる限りそっけなく言った。

「ごめん、部活あるから。――和志、行こう」

 けれど、杉原さんは引かなかった。和志がまごついて動かないうちに、にっこり笑って言った。

「ごめんね、長谷川くん。部活の人に、新くんは遅れるって言ってもらえるかな」

「う、うん……」

 戸惑いながらも、和志は頷いた。一度ちらりと僕の方を見たけど、そのまま身を翻して、逃げるように走り去った。

 僕は舌打ちしたい気分だった。どうして、あいつは杉原さんの言うことを聞いたんだ。放っておいてほしいとは思ったけど、何もこのタイミングでいなくならなくてもいいのに。

 杉原さんは改めて、僕に向き直った。

「そんなに長くはかからないから。話せない?」

「……わかった」

 諦めて、僕は頷いた。



 杉原さんの後についてやってきたのは、特別教室棟だった。

 「悪夢」に、初めて会った場所。前と同じく薄暗くて、しんと静まり返っている。グラウンドに響く運動部のかけ声も、ここからは遠い。

 普段この時間は、金管バンドが棟を占拠している。けど、今日は金管バンドが音楽室を使って合奏をする日だ。だから合唱部は音楽室を明け渡して、パート別に練習をする。僕は男声のリーダーだから、本当は誰より早くパート部屋へ行って、練習を仕切らなきゃいけない。

 でもどうせ、名ばかりのパーリーだ。男声はみんな勝手に、個人練習を始めているだろう。

 杉原さんは特別教室棟の突き当たりまで、すたすたと歩を進めた。そして一番奥の、物置となっている教室の扉を開けた。ちょうど、前に僕が入った美術準備室の、隣の教室だった。

「中で話そう。……邪魔が入らないように」

 杉原さんは中を指差して、僕を促した。僕は黙って扉をくぐる。

 物置教室は、使っていない机と椅子が壁のように高く積まれていた。ブラインドの隙間から傾いた日差しが薄く入って、部屋を舞うほこりを白く光らせている。あまり、長居はしたくないような場所だ。

「……それで、何の用?」

 急かすつもりで、僕は聞いた。杉原さんは扉をぴったりと閉じると、僕を真っすぐに見つめた。


 明るい灰茶の瞳に、吸いこまれそうだ。


「新くん。――あなたは、『悪夢』にとり憑かれています」



 何を言ってるんだ、と僕は笑おうとした。けれど口から出たのは、僕の言葉じゃなかった。

『その通り。だがもう遅い』

 その瞬間、視界が虹色に燃えた。



 ――目がおかしくなった!

 僕は動転して、とっさに両手で顔を覆おうとした。けれど、指一本さえ、動かなかった。

 体の自由がきかない。パニックを起こした感情とは裏腹に、実際の僕は小揺るぎもせず立ったまま、薄ら笑いを浮かべていた。

『手を打つのが遅かったな。この男は最早、我に取り込まれた』

 喉をこじ開けて、僕のものではないギザギザの声が出る。自分の体なのに、全くコントロールできない。雁字がらめに縛られたような、ひどくおかしな感覚だった。

 ますます混乱する僕を置きざりに、「僕」はしゃべり続ける。

『なかなか時間がかかったよ。こちらに渡り、我の力も衰えた。――お前の力ほどではないが』

 僕の視界は歪み、流動する暗い虹色で覆われていた。

 吐き気がするような「悪夢」の色だ。その中で、ただ杉原さんだけがくっきりと正常な色と形をして、浮かび上がっていた。

 杉原さんは、こちらを厳しい表情で睨みつけている。

「新くんから離れなさい。お前の敵は、私でしょう」

『そうだ。だがこの方法は、なかなか有効だろう?』

「僕」はにやりと笑って、僕を指差した。

 杉原さんは苛立ったように、眉をつり上げた。

「新くんを巻き込むなら見過ごせない。――その人は、関係ないの。解放しなさい」

 その言葉は思いがけないほど深く、僕をえぐった。


 ――関係ない。

 そうなんだ。僕と杉原さんは、もう何も関係がない。彼氏彼女じゃないし、杉原さんの好きな奴は僕じゃない。

 「悪夢」や異世界について、僕たちは共有しているようでいて、全くそうじゃなかった。僕は本当は、杉原さんのことなんか全然知らないんだ。

 そのことが急に、とても悔しくて憎らしくなった。杉原さんに対して、強い憤りが湧き上がる。僕は拳を、ぐっと強く握りしめた。

 ――関係ないだって?馬鹿にしてるのか?


 「僕」の口から、上ずった笑い声が飛び出した。

『そうだ、あの女を憎め。その憎しみで貫け。――あの女を、消してしまえ!』

 僕ははっとした。気付けば指先に、自分の感覚が戻っていた。

 拳を握ったはずの手が、冷たい。僕は呆然と、右手を見下ろした。


 いつの間にか僕は、一振りの剣を握っていた。


パーリー=パートリーダー です。

うっかりしてましたが、一般用語じゃないですね、これ…

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