帰還
この話を聞いて杉原さんのことを大嘘つきだという人がいるかもしれない。でも、これは本当の話だ。少なくとも僕は、これが嘘じゃないと知っている。自分の目で見てきたし、誰より大いに関わってきたと思う。そうこれは、僕の戦いでもあった。
でももしかしたら、どれだけ何を言ったって、みんな信じないかもしれないな。「あの時」を見たのは、僕だけだったから。
「あの時」というのは、1つの終わりだった。そして、僕にとっての始まりでもあった。
それは、静かに始まった。
といってもちょうど昼休みだったし、教室ではみんなが弁当を広げていて、だから全然静かじゃなかった。でもそれが始まって、僕の耳には一切の音が聞こえなくなった。静かに、静かに閉ざされた。
「あの時」、僕の前に座った杉原さんがふと笑うのをやめた。サンドイッチを持つ手も止まって、杉原さんのすべてがその一瞬、世界から切り離されたように停止した。ただ淡い色の目だけが、ゆらゆら揺れていた。
その時の僕にはもちろん、一体何が起きているのかまったくわからなかった。ただ息をのんで、杉原さんの水面みたいな目を見つめていた。
静かだったけど、劇的だった。限りなく薄めた絵の具に、筆先から少しずつ濃い色を落とすと、にじんで広がるだろう。そんな感じ。ゆらゆら揺れる目に、急速に何かが吸いこまれて、濃くなっていく。瞬きのたび、杉原さんの目はしっかりした重さを取り戻していくようだった。
杉原さんの目は明るい茶色をしていて、瞳の周りが灰色がかっているんだ。そんなことを、その時発見した。まつげもばっちり長かった。それは前から知っていたけど。
全部吸いこんで、杉原さんは目を閉じた。僕の耳に、やっと周りの音が戻ってきた。笑い声、校内放送、誰かが廊下を走っていく音。何も変わらなくて、ただ杉原さんだけが決定的に違っていた。そしてそれを知っているのは、僕だけだった。
杉原さんは何度か瞬きをして、僕の方を見た。もう揺らいではいなくて、ずっしりとした石をのみこんだように確かな、静かな目だった。
「……おかえり」
僕はそう言った。そう言うのが、一番正しいような気がした。
そして、やっぱり正解だった。杉原さんはふっと笑ったんだ。
「――うん、ただいま」
そしてぽつりと一粒涙を流した。
それは始まりだったけど、終わりでもあった。
杉原さんは帰ってきた。