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虚構の祝杯、共有される琥珀

アパートのキッチン棚の隅に、一本のウイスキーが置かれている。

カナが好む派手なラベルの缶チューハイとは対極にある、どこにでもある普通の、けれどコウタが自分の金で買い、この部屋に「置きっぱなし」にしている一瓶だ。


「……カナー、あれある?」


コウタの声に、カナは鼻を鳴らして棚の奥を指差した。

「手取川」から生還し、まとまった報酬を得た今夜。

彼はカナが勧めてくる高い日本酒ではなく、自分の意志で、自分の飲み慣れた味を選んだ。


「……あるに決まってるでしょ。」


カナは『よわよい 2%』の缶を両手で包み込みながら、コウタがグラスに琥珀色の液体を注ぐ動作をじっと見つめている。

コウタが自分のウイスキーに口をつけるたび、カナの知らない彼の「日常」や「嗜好」が、この部屋の空気に溶け出していく。

それが、彼女にはたまらなく愛おしく、同時にひどく癪だった。


「ねえ、コウタ。……美味しい? ……一口、ちょうだい」


カナは自分の『よわよい』をテーブルに置き、コウタの持つグラスに手を添えた。

彼が口をつけたのと同じ場所に、自分の唇を重ねる。

2%のピーチ味に慣れた舌には、ストレートのウイスキーはあまりに暴力的な熱量だった。


「……っ!? ……ごほっ、……げほっ! ……な、にこれ、いったい……」


カナは激しくむせ込み、涙目でグラスを突き返した。

喉を焼くような刺激と、鼻に抜ける重厚な樽の香り。

意識を鮮明に保つために選んだ『よわよい』とは正反対の、容赦のない「大人の毒」に、彼女の身体が拒絶反応を起こしている。


「……だから、無理だって言っただろ。今日は、よわよいが似合ってるよ」


コウタは淡々と、カナが飲み込めずにグラスの縁に残した雫を、自分の指で拭った。

その突き放すような態度が、カナの独占欲に油を注ぐ。


「……う、るさい……。別にいいじゃん」


カナは赤くなった顔を隠すように、自分の『よわよい』の缶を握りしめ、強引に流し込んで喉の痛みを中和した。

自分には到底耐えられない強度の酒を、平然と喉に流し込むコウタ。

その埋められない「差」を実感するたびに、彼女はパニックに近い焦燥に駆られる。


「ねえ、コウタ。……そんなに強いの飲んで大丈夫?……」


カナはコウタの腕に頭を押し付け、彼の服に染み付いたウイスキーの匂いを、代わりに肺いっぱいに吸い込もうとする。

飲めないのなら、せめて匂いだけでも、皮膚からだけでも。

2%の微かな酔いの中で、彼女の執着はより一層、逃げ場のない方向へと尖っていく。


 

コウタはウイスキーを一口含むと、デュアルモニターの一つに目を向けた。

そこには、先ほどアップロードしたばかりの「手取川:巨大個体戦」の動画が再生されている。

カナはむせた口元を『よわよい』で潤しながら、コウタの膝の上でスマホを操作し、動画のコメント欄を高速でスクロールしていく。


「見て、コウタ。……すごい。……『カナさん、いつも応援してます! こんなゴミ相棒、いっそ一人の方がマシですよ』だって」

 

「視聴者層悪すぎだろ」

 

カナはスマホの画面をコウタに見せつけながら、甲高く笑った。

その声には、先ほどのむせ込みの苦痛も、ウイスキーへの不満も、一切含まれていない。

あるのは、自分たちの「ビジネス」が完璧に機能していることへの、純粋な歓喜だ。


「『カナさん可哀想、コウタ最低』だって。あはは!」



「……あの時、俺が吹き飛ばされたシーンか?」




「そう。あんた、マジで痛そうだったもんね」

 

ウイスキーが進む。ホントはプライドがえぐられる。


「……演技じゃねえよ。……マジで、死ぬかと、思った……」



「……知ってる。だから、映像、めちゃくちゃ良かったんだよ。あの吹っ飛び方、物理演算バグってるみたいで最高のクリップ(切り抜き)になった。ほら、もうショートで回ってる」


カナは喉を鳴らして笑った。

彼女が2%を選んだのは、コウタがこうして「壊れていく」瞬間を、一秒も逃さず冷静に観察し、次回の「サムネの引き」を計算するためだ。


「……あんたの骨が軋む音、ASMRみたいに綺麗に拾えてた。コメ欄も『今の音、ガチじゃない?』って阿鼻叫喚。最高にバズってる」


コウタは3杯目のウイスキーをストレートで煽った。

痛みを消したい。疲れを消したい。

次第に身体の芯が熱くなり、指先が微かに震え、呂律が怪しくなっていく。


「……お前、……計算、して……。俺が、……ボコボコに、されるの、……最高の画角えづらだって、思ってるだろ……」



「何? もっとちゃんと言って」



カナはスマホを放り出すと、コウタの顔を両手で挟み込んだ。

2%の微かなアルコールで、彼女の頬はほんのり赤く染まっている。

コウタの服から漂うウイスキーの匂いと、彼女自身の『よわよい』の甘ったるい香りが、密室の空気を飽和させていく。


「そんなわけないわよ。

 ねえ、コウタ。……私たちって、本当に最低だよね。……こんな嘘で、みんなからお金巻き上げて。……でも、楽しい」


お前の喜ぶ姿ホントは好きなんだ。

その言葉は、世間への嘲笑であり、コウタへの独占欲の表明でもあった。

コウタは無言で、カナの頭を撫でた。

その指先から、モニターの光が反射し、二人の顔に歪んだ影を落とす。


歪んだ笑みが、コウタの唇にも浮かび上がった。

外の世界では決して見せることのない、剥き出しの本性。

「ビジネス不仲」という虚構は、この暗いアパートの中で、二人の救いようのない関係を、より強固なものへと変えていた。


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