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十六話

日本橋まで戻ってくると、柚と井上は近くの長椅子に腰掛けてシェイクスピアなどの話をした。話をすると言うより、柚はほぼ聞くだけだった。

やがて井上は懐中時計を懐から出し時間をチラリと見て「僕はそろそろ戻りますね、雲行きが怪しいので雨には気を付けて下さい」と一礼して立ち去った。

午後の穏やかな風が過ぎ通り人々の足が疎らになった頃、柚の目の前をそれは通り過ぎた。

数メートル先に此方を見ているのは、柚が探していた黒猫。此方に来いとでも言いたそうにじっと待っている。

「た、たま!!」

たまはにゃあとひと鳴きし、柚と一定の距離を開けて歩き出した。

たまを追いかけて数分後、柚は森の中にいた。柚が初めて死ニカエリと遭遇したあの森である。

そろそろ日は暮れかかっていた。

早く帰らないと死ニカエリが現れる時刻になるし、何より雨が降るかもしれない。

森は日を差さず、薄暗い。

ようやく視界が開けると、目の前に池が現れる。青々とした(はす)の葉が浮かぶ池はひどく静かだった。もう時間も遅いからか、散歩をしている人も写生をしている人もいない。

たまを抱き上げて柚は落ちたら怖いので遠巻きに池を散歩する。

(何でここに連れて来たんだろう…)

(とび)が水面の上をゆるやかに旋回し、水と緑、土の匂いを巻き上げた風。不意に胸がぎゅっと締め付けられたみたいに苦しくなった。

どうして、初めて来たはずなのに懐かしいと思うのだろう。

そして、ぽつぽつと雨が降ってきた。降ってきたかと思ったら本降りになって近くの木の下で雨宿りをするしかなかった。

少し濡れてしまったがそのうち乾くだろう。


何時まで経っても雨は止む気配がない。空はもう暗い。

一体、雨宿りを初めてから何分経っただろうか。ブチブチと足元に生えている草を抜いて暇を潰している。

「おい」

底冷えのするような低い声が、柚の背中を凍りつかせた。

柚に声をかけた人は咲真だった。本降りになった雨のなか、蛇の目傘を持って立っている。

「あ、咲真さんだったんだ…」

声の主に安堵し、息を吐いた。良かった、変質者じゃなくて…。

何故ここに咲真がいるのか聞きたいが、多分、仕事帰りだったのだろう。咲真はにゅっと柚に手を伸ばしてきた。その動作に思わず驚く。

「さっさと受け取れ」

「…?」

「何をしている、風邪をひく」

「え、でも…」

なんと、咲真は自分がさしていた傘を柚に渡してきたのだ。呆然としている柚に傘を押し付け、呆れたように息を吐いた。

「その猫も、主人に風邪をひかれては困るだろ」

それに返事をするように、たまは「にゃあ」と鳴く。

「え…あの」

有無を言わさず傘を押し付けられてしまった。

「あの…入らないんですか?」

「は?」

「あ、いや傘」

少し大きめの傘なので、詰めれば二人共少し肩が濡れるが、入れないことはないだろう。

「入らん」

「何で!?」

「男女が同じ傘に入っているところを見られたら、あらぬ噂を立てられるだろう」

きっぱりと断られた。

柚はしどろもどろになりながら、ならせめてと思い、着物の袖から手ぬぐいを取り出した。

「これ、使って下さい」

「いらん」

二回も断られてしまった。行き場をなくした柚の手が宙を漂う。

「で、でも…服がびしょ濡れで、乾かさないと風邪ひいてしまいますよ!」

「風邪などひかん」

「拗らせて肺炎になったら後が面倒臭いって勇さんが言ってました!」

引くに引けず、押し付けた。うさぎ柄のそれを手渡された咲真は断ろうとしたが、これ以上断るのも面倒だと判断したのか、諦めて制服の水気を払う。

「では!」

逃げるようにそそくさと柚は家に戻る。

その後、うさぎ柄の手ぬぐいを頭に置いて傘代わりとして使用しているところを颯介に見られ、討伐課の中で『うさぎちゃん』というあだ名が誕生することになるなんて、この時の咲真は微塵(みじん)も知らなかった。

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