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十五話

昼下がりの日本橋は活気づいている。人や人力車の行き交いも激しく、大通りには商人達が(あきな)いに勤しんでいた。食料品から生活雑貨に至るとこまで売られている光景が珍しくて、柚はついキョロキョロしてしまう。

チリンチリンと風鈴の音も心地良い。

(明治の街…時代劇みたい)

浅草や神楽坂とはまた違う雰囲気の日本橋。そういえば、大阪は天下の台所と称されていたから、ここより沢山物が売ってあるのだろうか?

行き交う人の殆どが和装だ。たまにスーツに帽子といった人も見かけるが、女性に対しては殆ど和服といって良い。

柚は改めて自分が明治に来てしまったんだと理解した。

(たま…何処にいるのかな?)

ここに足を運んだ理由は主に二つ。

一つ目は、たまを探すこと。

たまは明治に来てしまった時、抱いていたのだが、いつの間にかいなくなっていた。帰るなら、たまも一緒が良い。

そして二つ目、帰る方法を探すこと。

寝て起きたらタイムスリップという前代未聞の経験をしたが、帰り方が分からない。この時代で出会った人達に手伝ってもらうのは、流石に申し訳ない。ただでさえ、勇と咲真には迷惑をかけっぱなしなのに…ということで柚は一人で歩いていた。

(魚屋のとこは…)

魚を売っている店を覗き込むが、たまはいない。

道行く人に聞いても、「知らないなぁ」と返されてしまう。

高層ビルで遮られていない空は広く、土埃が舞う。風が吹くたびに、着物で柚は口元を覆わなければいけなかった。現代とは違って、道路はコンクリートで舗装されていないからだ。

川にかかる立派そうな木製の橋を見付けた。

「わぁ…大きな橋!!」

さらさらと流れる川を見ていたら、「日本橋ですよ」と聞き覚えのある声がした。

声が聞こえた方を見ると、そこには仕事の途中であろう井上がいた。

「井上さん…!」

「そんなに川底を覗き込んで、どうしましたか?」

「大きな橋だな〜と思いまして」

「頑丈そうに見えますが、災害にはめっぽう弱くて何度も架け直しているんです。はて、これは何代目でしょうか?十八代目か…十九代目か…。二十代目ではないはずなんですけど…」

彼は首を傾げた。ということは、この橋も現代には残っていないのだろう。そもそも現代の日本橋は木製ではなく、石造りだった気がする。

会話が続かず、風が井上の淡い水色の髪を揺らす。

「柚さん、今から時間が空いていましたら柚さんの観光案内をさせてもらえないでしょうか」

「え?でも、井上さんは仕事なんじゃ…」

「そこは大丈夫です。丁度帰ろうと思っていたところでしたから」

「は、はぁ…」

(観光案内をしてくれるにも、一旦帰った方が良いんじゃ…)

などと柚は思ったが、楽しそうに何処に行きましょうかと呟いている井上の手前、言葉を飲み込んだ。


井上と柚を乗せた人力車はやがて賑やかな繁華街へと辿り着いた。

ずらりと商店が軒を連ねる通りには、のぼりが並んでおり、演劇や屋台などの呼び込み声があちこちで飛び交っている。物見遊山(ものみゆさん)の老若男女がひしめき合うはるか向こうには、十二階建ての灯台のような建物がそびえ立ち、柚はぽかんと口を開けたままその光景を眺めていた。

「浅草は初めてですか?」

「あ、いえ、前に二回だけ」

「そうですか。あの建物は凌雲閣(りょううんかく)。一階から十階がレンガ造り、十一階と十二階が木造という変わった形をしています。別名『浅草十二階』とも言われているらしいですよ」

井上は丁寧に説明してくれた。

「展望台から見る東京は格別です。天気が良ければ房総(ぼうそう)半島まで見えたり。十五年前までは電動式エレベートルで楽できたんですけどねぇ。安全性の問題から使用停止になってしまったんです」

電動式エレベートル。言葉の響きから察するに、おそらくエレベーターのことなのだろう。

(明治時代にもエレベーターがあったんだ…。確かに乗るのはちょっと怖いかも…)

立派に佇む凌雲閣は大正時代に半壊して、危険と判断されてなくなったんだよね…。歴史の教科書に載っていたうろ覚えの知識。

ここは浅草だけれど、自分の知っている浅草ではない。

その事実が切なくて、言葉少なになってしまう柚の肩をぽんと井上が叩いた。

「お腹が空きましたか?」

「いいえ?」

そんなことひと言も柚は言っていない。だが、井上は何故か納得している様子だ。

「女性の方が浮かない顔をしているのは気に入らない柄の着物を着ている時か空腹の時のどちらかと相場が決まっている…と、いつの日か颯介くんが言っていました」

どんな理論なんだろうと柚は心の中でツッコんだ。

井上は屋台で今川焼きを購入し、柚に手渡した。

「好きなだけ食べて良いと言ってあげたいんですが、夕食前ですのでひとつにしておきましょうか」

「ありがとうございます」

一体、自分はどれだけ食いしん坊だと思われているのだろうか。

(いや、確かにチョコレートは遠慮なく貰ってしまったけど…)

礼を言ってから柚は今川焼きを頬張る。

ふっくらとした皮とあつあつの(あん)の素朴な味は、まさに柚の知っている今川焼きそのものだった。

「…美味しい。たい焼きも美味しいけど、今川焼きも美味しい」

「たい焼き?」

「井上さんはたい焼きは尻尾まで餡が入っている派ですか?それとも入っていない方が良い派ですか?私は尻尾まで入ってる方が良いです」

何年経っても意見がまとまらず、議論が繰り広げられている尻尾まで餡が入っているべきか尻尾には餡を入れない方が良いかの問題。きのこの山とたけのこの里戦争と同じくらい決着がつかない。

「すみません。たい焼きは知らないんです」

申し訳なさそうに謝罪する井上。柚が気付いた時には遅かった。

(この時代には、まだたい焼きがないんだ…)

国民的おやつと言って良い程の人気を誇るたい焼きを知らないなんて、たい焼きそのものが誕生していないに決まっている。さて、どう誤魔化そうか。

「井上さんは好きな物とかありますか?」

とりあえず好きなものを聞いて話をずらせる作戦を決行することにした柚。

「シェイクスピアの本はよく読みますよ」

柚でも知っている名前が出てきて安堵の息をつく。

「良かった…知っている人だ」

シェイクスピアといえば『ロミオとジュリエット』などの五代悲劇が有名な人だ。中学校の演劇で隣のクラスがやっていたのが記憶に残っている。と言っても「ああ、ロミオ。貴方はどうしてロミオなの?」という有名な台詞(せりふ)しか知らないが…。

すると井上は目を輝かせた。

「おや、柚さんは博識ですね。シェイクスピアを(たしな)むなんて、気が合いそうです」

「嗜むって程じゃないんですけど…知っているのはロミオとジュリエットくらいで」

「僕は留学中、初めてシェイクスピアの舞台を見たんです。…O Romeo, Romeo, wherefore art thou Romeo?あれは後世に残る名作だと僕は思っています。柚さんはどう思いますか?」

「確かに現代でも残っていま…」

そう言いかけて柚は慌てて言葉を呑んだ。

テレビもスマホもないだけではなく、義務教育という概念すら浸透していないこの時代。現代ではシェイクスピアは一般常識の部類に入るのだろうが、どうやら今はそうではないようだ。

明治の生活に馴染むべく、勇から聞き出した情報によれば、全ての子供がまともな教育を受けられると思ったら大間違いで、満足に読み書きも出来ないまま奉公に出される例も決して少なくないらしい。特に女性に関しては頭が良くなると男性に敬遠(けいえん)され、婚期を逃すと考える人が多いのだとか。仮に結婚したとしても妻は『無能力者』とされ、働くには夫の許可が必要であり、財産も夫に管理される始末。

「いやしかし、柚さんとは思わぬ方向で話に花が咲きそうで嬉しいです。そうだ、今度一緒に活動写真を見に行きませんか?最近人気の弁士(べんし)がいるらしくてですね」

井上は満足そうに頷いた。

彼は柚にそれなりの教養が備わっていることを嬉しく思っているようだ。少なくとも敬遠している気配はない。

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