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第八話:ダンジョン実習は面倒の入り口

学園を辞める、という俺の決意は、翌朝には脆くも崩れ去っていた。 なぜなら、俺の部屋のドアを開けると、そこにはメイド服姿のエリアーナ、エルフの伝統衣装に身を包んだリリアナ、そして純白のエプロンをつけたミューが、三者三様の完璧な笑顔で「「「おはようございます、カイ様(師匠)!」」」と出迎えてきたからだ。


どうやら昨夜のうちに、俺の世話をするための当番表なるものが作成されたらしく、その連携は見事なものだった。朝食はエリアーナが用意した王宮風のフルコース、食後のお茶はリリアナが淹れた精神が安らぐという秘薬、そして食事が終わるやいなや、ミューが甲斐甲斐しく食器を片付けていく。俺が何かを言う隙すらない。


すでに寮内では、「Fクラスの魔力ゼロの男が、Aクラスのトップ二人と噂の聖女候補を侍らせている」という噂が、尾ひれどころか龍の翼までつけて広まっていた。向けられる視線は、もはや好奇や侮蔑ではなく、畏怖と嫉妬が入り混じった複雑なものへと変わっている。平穏など、どこにもなかった。


そんな地獄のような朝を乗り越え、俺は今日もFクラスの教室で、死んだ魚のような目をして座っていた。 今日の授業は、座学ではなく実習だった。担当のマグナ教官が、苦虫を噛み潰したような顔で説明を始める。 「今日の授業は、学園の地下に広がる訓練用ダンジョンでの実習だ。目的は、基本的な探索能力と、魔物との模擬戦闘に慣れること。二人一組で行動してもらう」


その言葉に、教室がざわついた。ダンジョン実習。それは冒険者を目指す者にとって、胸躍る響きを持つ言葉だ。落ちこぼれの集まりであるFクラスとて、例外ではない。


「ペアは、そこに掲示してある通りだ。文句は受け付けん。装備を整え、十分後に第一階層入り口に集合しろ」 マグナ教官はそれだけ言うと、さっさと教室を出て行った。


俺は、掲示されたペア表を見て、本日最大のため息をついた。 俺の名前、カイ・レイジーロードの隣には、当然のように、クラスメイトの名前が書かれていた。だが、その名前は、横線で無慈悲に消されている。そして、その横に、明らかに違う筆跡で、こう書き加えられていたのだ。


『エリアーナ・フォン・ブレイヴァー(Aクラスより特別参加)』


ご丁寧に、括弧書きまでされている。間違いなく、彼女が自身の権力を使って、本来のペアの生徒をどこかへ追いやり、この枠に滑り込んだのだろう。用意周到すぎて、もはや恐怖すら覚える。


集合場所であるダンジョンの入り口――学園の地下へと続く巨大な石の扉の前には、すでに多くの生徒が集まっていた。Fクラスの生徒たちに混じって、Aクラスの制服に身を包んだエリアーナの姿は、ひときわ目立っていた。彼女の隣には、なぜかリリアナとミューの姿もある。


「カイ様!お待ちしておりました!」 俺の姿を見つけるやいなや、エリアーナが満面の笑みで駆け寄ってくる。その手には、俺の分の冒険者装備一式が抱えられていた。革の鎧、ポーションの入ったポーチ、そして一本の短剣。 「さあ、ご準備を!本日は私が、カイ様の背中をお守りします!」


「なぜお前たちまでいるんだ」 俺は、エリアーナの背後で涼しい顔をしているリリアナと、申し訳なさそうに縮こまっているミューに問いかけた。 「わたくしは、貴方がダンジョンで何か不正を働かないか、監視しに来ただけですわ」 「わ、私も、皆さんの回復役が必要かと思いまして……!決して、ついてきたかったとか、そういうわけでは……!」 二人とも、見え透いた嘘をつく。どうせ、エリアーナが無理やり連れてきたのだろう。


マグナ教官は、Aクラスの生徒が三人、しかもトップクラスの有名人が揃っている状況に、苦い顔をしながらも、何も言えなかった。公爵令嬢とエルフの王女、そして聖女候補。この三人相手に、Fクラスの一教官が意見できるはずもない。


こうして、俺のパーティーは、魔力ゼロのFクラス生徒一人に、Aクラスの天才三人が付き従うという、学園史上類を見ない、異質極まりない構成となった。


ダンジョンの内部は、ひんやりとした空気に満ちていた。壁には魔石が埋め込まれ、ぼんやりと青白い光を放っている。訓練用とはいえ、雰囲気は本格的だ。 第一階層は、主にゴブリンやスライムといった、最弱クラスの魔物しか出現しない、安全なエリアのはずだった。


「カイ様、ご指示を。我々は、貴方の采配の元、いかなる強敵をも打ち払いましょう」 エリアーナが、腰のレイピアに手をかけ、真剣な眼差しで俺に尋ねる。 「……好きにしろ」 俺は、やる気なく答えた。指示も何も、ただまっすぐ進んで、適当に魔物を倒せばいいだけだろう。


だが、エリアーナは俺のその言葉を、またもや都合よく解釈したようだった。 「なるほど……!『好きにしろ』、ですか。これはつまり、『状況に応じて、自ら考え、最適な行動を取れ。その程度のこともできずに、私の弟子を名乗るな』という、高度な課題なのですね!承知いたしました!」


違う。言葉の通り、好きにしてくれと言っただけだ。 彼女は勝手に納得すると、リリアナとミューに向き直った。 「聞きましたね、二人とも!カイ様は、我々の自主性を試しておられるのです!私が前衛、シルヴァームーン嬢が後衛からの援護魔術、ミューさんが全体の支援と回復を担当します!陣形を組んで進みましょう!」 「わたくしに命令しないでくださる?ですが、まあ、合理的ではありますわね」 「は、はい!頑張ります!」


三人は、あっという間に完璧な戦闘態勢を整え、ダンジョンの通路を進み始めた。俺は、その後ろを、ただとぼとぼとついていくだけだ。何もしなくていいというのは、ある意味では楽かもしれない。


しばらく進むと、前方の通路から、数匹のゴブリンが姿を現した。棍棒を振り回し、奇声を上げながら突進してくる。 俺が何か言う前に、エリアーナが動いた。 「カイ様、お下がりください!ここは私に!」 彼女は、疾風のごとき速さでゴブリンの群れに突っ込むと、その手に持つレイピアで、流れるような剣閃を放った。剣の天才という噂は伊達ではない。ゴブリンたちは、抵抗する間もなく、急所を正確に貫かれて次々と倒れていく。


一匹、エリアーナの死角から襲いかかろうとしたゴブリンがいた。 「お見通しですわ!」 そのゴブリンの足元から、リリアナが放った風の刃が巻き起こり、その動きを完全に封じる。 「今です、エリアーナ様!」 「ええ!」 エリアーナは振り返ることなく、リリアナの援護を信じてレイピアを突き出し、ゴブリンの心臓を一突きにした。見事な連携だった。


戦闘は、ものの数十秒で終わった。三人は、息一つ乱していない。 「カイ様、ご覧いただけましたでしょうか。カイ様の教え、『勝手に見て学べ』の成果の一端です」 エリアーナが、誇らしげに胸を張る。 俺は何も教えていないのだが、彼女の中では、俺の存在そのものが生きた教本となっているらしい。


その後も、彼女たちの快進撃は続いた。スライムの群れをリリアナの氷結魔法で一網打尽にし、巨大なコウモリの集団をエリアーナの剣技で切り伏せる。もし誰かがかすり傷を負えば、即座にミューの治癒魔術がその傷を癒した。


俺は、ただ、その光景をぼんやりと眺めているだけだった。まるで、出来の良い演劇でも鑑賞しているような気分だ。


(……このまま、何事もなく終わってくれればいいんだが)


俺のそんな淡い期待は、ダンジョンでは通用しないということを、俺はすぐに思い知らされることになる。


パーティーが第一階層の最奥近くに差し掛かった時だった。 ダンジョン全体が、ぐらりと揺れた。壁に埋め込まれた魔石が、激しく明滅を始める。 「な、なんですの!?」 リリアナが、驚きの声を上げる。 「地震……?いえ、この魔力の波長は……!」 エリアーナが、警戒態勢を取る。


その時、俺たちの目の前の壁が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。 そして、その奥の暗闇から、訓練用ダンジョンには、決して存在するはずのないものが、その巨大な姿を現した。


それは、全身が黒い甲殻に覆われた、牛ほどの大きさを持つ巨大な蟻だった。その顎は鋼鉄すら噛み砕きそうで、六本の足は鋭い刃物のようになっている。複眼が、不気味な赤い光を放っていた。


「ミノタウロス……?いいえ、違う!あんな魔物は、見たことがありません!」 エリアーナが、愕然と呟く。 「あれは……!『奈落の兵隊蟻(アビス・アント)』!なぜこんな場所に……!第二階層ですら出現しないはずの、Bランク級の魔物ですわ!」 リリアナが、顔を青くして叫んだ。


どうやら、ダンジョンの管理システムに何らかの異常が発生し、本来は出現しないはずの強力な魔物が、迷い込んできたらしい。


「カイ様、お逃げください!ここは我々が食い止めます!」 エリアーナは悲壮な覚悟を決め、俺を庇うように前に立った。 だが、その足は、わずかに震えていた。天才とはいえ、彼女たちもまだ学生だ。本物の死の脅威を前に、恐怖を感じないはずがない。


奈落の兵隊蟻は、威嚇するように甲高い鳴き声を上げると、その巨体に見合わない俊敏さで、俺たちに襲いかかってきた。


まずい。こいつらは、この三人では手に負えない。 俺は、三千年の経験から、瞬時にそう判断した。


このままでは、誰かが死ぬ。


(……面倒くさい)


俺は、本日何度目かわからない、心からのため息をついた。 どうやら、俺の平穏な日々は、本当の意味で、終わりを告げる時が来たらしい。

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