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第六話:聖女候補はドジっ子でした

俺が森を去った後、そこには長い、長い沈黙が流れていた。


主を失った精霊は、その光の輪郭を揺らめかせ、やがて森の緑に溶けるようにして姿を消した。残されたのは、二人の少女と、気まずい空気だけだ。


先に沈黙を破ったのは、エリアーナだった。彼女は、恍惚としたため息をつき、俺が消えた方向をうっとりと見つめている。 「ご覧になりましたか、シルヴァームーン嬢。あれが、カイ様の真の御姿の一端です」 その声には、絶対的な信仰にも似た響きがあった。 「精霊を呼び出し、使役することを得意げに語る貴女。ですが、カイ様は違います。呼び出すまでもない。なぜなら、世界の理そのものが、常にカイ様の側にあるのですから。精霊の方から、主の御前にひれ伏すのは、当然のことなのです」


リリアナは、何も言い返せなかった。 彼女のプライドは、今、粉々に砕け散っていた。エルフの王女として生まれ、幼い頃から精霊に愛され、その対話能力は歴代でも随一と謳われてきた。精霊魔術こそが、彼女の世界の中心であり、アイデンティティそのものだった。


その全てが、今日、根底から覆された。


自分が生涯をかけて築き上げてきた関係性を、あのやる気のない男は、ただそこに存在するだけで凌駕してみせた。森の古主が見せた、あの絶対的なまでの臣従の礼。あれは、魔力による強制や、契約による束縛などでは断じてない。心の底からの、純粋な敬意と畏怖。


あの男は、一体、何者なのだ。


「……ま、待ちなさい!」 リリアナは、ようやく絞り出すように声を上げた。エリアーナが、満足げにその場を去ろうとした背中に、その言葉をぶつける。 「わ、私はまだ、認めたわけではありませんわ!あ、あれはきっと、何か特殊な体質か、古代の遺物でも持っていたに違いありません!そうよ、そうでなければ説明がつきませんわ!」


明らかに動揺し、しどろもどろになっている。いつもの彼女からは想像もつかない姿だった。 エリアーナは、そんなリリアナを憐れむような目で見つめ、小さく首を振った。 「そうやって、目の前の真実から目を逸らしていても、何も始まりませんよ。ですが、カイ様の偉大さを理解するには、貴女はまだ若すぎるのかもしれませんね」 彼女はそう言い残し、今度こそ優雅な足取りで森を去っていった。


一人残されたリリアナは、その場で唇を噛み締めた。 悔しい。屈辱だ。だが、それ以上に、彼女の心を占めていたのは、得体の知れない男、カイ・レイジーロードへの強烈な好奇心と、そして、ほんの少しの恐怖だった。 「……わたくしが、この目で見極めてさしあげますわ。貴方の正体を、必ず……」


一方、面倒事の発生源である俺は、ようやく人の気配がない場所まで戻り、大きく息をついていた。 もう昼休みは終わりかけている。午後の授業もサボってしまおうか。いや、下手に欠席して呼び出しでも食らえば、さらに面倒なことになる。


俺は重い足取りで、自分の教室がある古びた校舎へと向かった。 その途中、中庭に差し掛かった時だった。 「うぅ……どうして……」 小さな、すすり泣くような声が聞こえてきた。


声のする方を見ると、薬草園のような区画で、一人の女子生徒がうずくまっていた。純白を基調とした、聖職者見習いのような制服。腰まで伸びたふわふわの亜麻色の髪。小動物のような、庇護欲をそそる少女だった。


彼女の前には、一つの植木鉢が置かれている。中には、完全に枯れて茶色く変色してしまった薬草が植えられていた。


少女は、その枯れた薬草に両手をかざし、必死に何かを呟いている。彼女の手からは、淡い、温かな光が放たれていた。治癒魔術だ。植物を活性化させ、蘇らせようとしているのだろう。


しかし、彼女の魔術は不安定で、光は明滅を繰り返し、一向に効果は現れない。それどころか、光が強まるたびに、残っていた葉が黒く焦げていく始末だ。 「あぅ……また、やっちゃった……。ごめんなさい、ごめんなさい……」 ついに彼女は、ぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた。


面倒だ。非常に関わりたくない。 泣いている女子生徒など、面倒事の塊でしかない。俺は気づかないふりをして、足早に通り過ぎようとした。


だが、俺の良心――三千年も生きていると、ほんの少しだけ残っている――が、かすかに痛んだ。このまま放置して、彼女が落ちこぼれの烙印を押され、退学にでもなれば、後味が悪い。


俺は、仕方なく、足を止めた。 少女に近づくことはせず、数メートル離れた場所から、できるだけ独り言のように、ぽつりと呟いた。


「……力みすぎなんだよ」


「えっ?」 少女は、涙に濡れた大きな瞳を上げて、俺を見た。突然現れた俺に、ビクリと肩を震わせる。


俺は彼女と目を合わせず、空を見上げながら、続ける。 「治すってのは、無理やり元に戻すことじゃねえ。元々そこにある、生きようとする力を、ちょっとだけ手伝ってやるだけだ。川の水を無理やり逆流させようとするから、堤が壊れるんだ。流れに乗って、そっと背中を押してやればいい」


何を言っているんだ俺は。柄にもない。 だが、これが真理だった。彼女の魔術は、才能に溢れている。しかし、その才能を制御しようと焦るあまり、力が暴走し、対象を癒すどころか破壊してしまっているのだ。


俺はそれだけ言うと、今度こそさっさとその場を立ち去った。 もう、充分だろう。あれで分からなければ、それまでの話だ。


背後で、少女が何か言っていたような気がしたが、俺は振り返らなかった。


教室に戻ると、午後の授業は退屈な座学だった。俺は当然のように、窓際の一番後ろの席で、堂々と居眠りを決め込んだ。誰にも邪魔されない、至福の時間。今日一日で失われた精神力が、ようやく回復していくのを感じた。


授業の終わりを告げるチャイムで目を覚まし、大きなあくびをしながら寮への帰路につく。 今日一日、本当にろくなことがなかった。もう誰にも会いたくない。部屋に帰ったら、すぐにベッドに潜り込もう。


そんなささやかな願いを胸に、俺は自室のドアノブに手をかけた。 その時だった。


コン、コン。


隣の部屋――まだ空き部屋のはずの――のドアがノックされた。 いや、違う。俺の部屋だ。


俺は心底うんざりしながら、ドアを開けた。どうせエリアーナだろう。今日はもう勘弁してくれ、と言って追い返そう。


しかし、ドアの前に立っていたのは、俺の予想を少しだけ裏切る光景だった。


そこには、もちろん、満面の笑みを浮かべたエリアーナが立っていた。 そして、その隣。 少し後ろに隠れるようにして、顔を真っ赤にしながらそっぽを向き、腕を組んでいるエルフの王女、リリアナ・シルヴァームーンの姿があったのだ。


「おかえりなさいませ、カイ様!今日からシルヴァームーン嬢も、カイ様の偉大さを学ぶために、こちらにいらっしゃいました!」 エリアーナが、にこやかにとんでもないことを言う。


リリアナは、俺の視線に気づくと、ビクリと体を震わせ、ツンと顔を背けた。 「か、勘違いしないでよね!わたくしは、弟子になったつもりなんてありませんわ!ただ、貴方という得体の知れない存在を、わたくしの監視下に置いておく必要があると判断しただけ!そう、これは監視よ、監視!」


誰がどう見ても、ツンデレのそれだった。


俺は、二人を交互に見た。 一人は、俺を神か何かと勘違いしている狂信的な弟子。 もう一人は、俺の正体を暴こうと躍起になっている、素直になれないストーカー。


俺の部屋の前で、とんでもない二大巨頭が揃ってしまった。


俺は、何も言わずに、ゆっくりとドアを閉めようとした。 だが、その試みは、エリアーナの足と、リリアナが咄嗟に突き出した扇子によって、無慈悲にも阻まれた。


「……俺の平穏な日々は、どこへ行ったんだ……」


俺の心の底からの呟きは、騒がしくなり始めた廊下の喧騒に、虚しく溶けて消えていった。

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