第四話:エルフの姫と深まる勘違い
地獄のような午前中の授業が終わり、昼休みを告げるチャイムが鳴り響く。俺は誰よりも早く席を立ち、逃げるように教室を飛び出した。背後から「カイ様!」という聞き慣れてしまった声が聞こえた気がしたが、構っていられるか。
向かう先は決まっている。学園の敷地の外れにある、巨大な樫の木の下だ。そこは古い校舎の裏手に位置し、ほとんど人の寄り付かない、俺が見つけた唯一の安息の場所だった。木陰は涼しく、柔らかい草の絨毯は昼寝に最適だ。
俺は太い幹に背中を預け、大きく息を吐いた。 「……疲れた」 まだ入学して二日目だというのに、疲労困憊だ。たった一人の勘違い少女が、これほどまでに俺の精神力を削るとは。
小石を砂に変えてしまった一件は、幸いにもマグナ教官が「脆い石だったのだろう」と無理やり結論づけたことで、大事にはならなかった。だが、エリアーナだけは違う。彼女のあの瞳。真実を見たと信じて疑わない、あの狂信的な輝き。あれが一番厄介だ。
これからどうしたものか。いっそ、彼女にだけ本当のことを話してしまうか?いや、ダメだ。伝説の大魔術師だと知られれば、平穏どころか国中の厄介事を押し付けられかねない。それだけは絶対に避けたい。
考えれば考えるほど、ろくな結論は出ない。思考を放棄し、俺は目を閉じて、意識を微睡みの底へと沈ませようとした。
「カイ様、こちらにおいででしたか」
その声は、俺のささやかな安らぎを、いとも簡単に打ち破った。 目を開けると、そこには案の定、銀髪の公爵令嬢が立っていた。その手には、どう見ても一人用とは思えない、三段重ねの豪勢な重箱が抱えられている。
「……なんで場所がわかった」 「カイ様の『魔力の無の痕跡』を辿ってまいりました。昨日に比べ、痕跡の隠蔽がさらに巧妙になっており、師の偉大さを改めて痛感いたしました」
もう何も言うまい。こいつはそういう生き物なのだ。俺は諦めの境地で、再び目を閉じた。無視を決め込むのが最善策だ。
だが、エリアーナはお構いなしに俺の隣に腰を下ろし、重箱を広げ始めた。 「ささ、カイ様。お昼の時間です。本日は私が腕によりをかけて作ってまいりました」 蓋が開けられると、彩り豊かな料理の数々が姿を現し、食欲をそそる香りがふわりと漂った。公爵令嬢の手作り弁当。普通なら男子生徒が狂喜乱舞するシチュエーションだろうが、俺にとっては苦痛でしかない。
「いらん。自分で食え」 「ご謙遜を。さあ、まずはこのローストビーフから。最高の火加減で仕上げております」 エリアーナは銀のフォークで肉を一切れ差し出してくる。その距離が妙に近い。
俺がそれを無視していると、彼女は何かを思い出したように、興奮した面持ちで口を開いた。 「それよりもカイ様!先ほどの授業、拝見しておりました!あの御業、あまりにも素晴らしすぎます!」
始まった。面倒な話が。 俺は聞こえないふりをして、寝息を立てる真似でもしようかと考えた。
「あの小石が砂に変わった現象……あれは、ただの破壊魔術などではありません。物質の構造そのものに干渉し、その存在の理を根源から書き換える、神代の『存在変換魔術』!文献でしか読んだことのない伝説の魔法を、まさかこの目で見られる日が来ようとは……!」
彼女の瞳は、宝石のようにきらきらと輝いている。その解釈は、ある意味では間違っていないのが余計に性質が悪い。俺の魔力は、確かに世界の理に干渉する。だが、本人はただ面倒だから適当にやっただけなのだ。
「ただの脆い石が、砕けて砂になっただけだ」 「いいえ、違います!」 俺の否定を、エリアーナは即座に、そして力強く否定した。 「あの砂……もしよろしければ、少しだけいただけますでしょうか。おそらく、ただの砂ではないはずです」 「好きにしろ」 俺が投げやりに言うと、彼女は嬉しそうに小さな革袋を取り出し、机の上にあった砂を丁寧に集めていたらしい。そして、その袋を大事そうに懐から取り出すと、中の砂をひと粒、指先に乗せた。
「この均一な粒子、この一点の曇りもない透明度……!これはただの砂ではありません。最高純度の魔力伝導体、『エーテルクォーツ』の微粉末です!武具に練り込めば魔法の発動速度を、魔道具の素材にすればその性能を数ランクは引き上げる、伝説級の希少素材……!」
それを、あの道端に落ちていたような小石から……? エリアーナは、恍惚とした表情で砂を見つめている。俺のやったことは、彼女の目には、錬金術師が一生をかけて追い求める賢者の石の生成にも等しい偉業に映っているらしかった。
もう、訂正する気力も失せた。 俺が再び沈黙に戻ろうとした、その時だった。
「あら、ブレイヴァー嬢。ごきげんよう」
凛とした、鈴を転がすような声が、俺たちの間に割り込んできた。 声のした方を見ると、そこには、二人組の女子生徒が立っていた。一人はごく普通の生徒だが、もう一人は、明らかに違う空気をまとっていた。
陽光を浴びて輝く、プラチナブロンドの長い髪。刃のように鋭く、それでいて神秘的な翠色の瞳。そして、人間とは一線を画す特徴である、長く尖った耳。エルフだ。それも、ただのエルフではない。彼女が着ている制服は、細部に金の刺繍が施された、王族特待生だけが着用を許される特別なものだった。
「シルヴァームーン嬢……」 エリアーナが、少しだけ表情を硬くして、そのエルフの名を呼んだ。
リリアナ・シルヴァームーン。エルフの国の王女にして、精霊魔術の天才。魔力測定ではエリアーナに次ぐ学年二位の成績を収めた、もう一人のエリートだ。
リリアナは、俺とエリアーナ、そして広げられた豪華な弁当を値踏みするように見ると、扇子で口元を隠し、くすりと笑った。 「公爵令嬢ともあろう方が、このような場所で庶民のような真似を。しかもお相手は……確か、魔力ゼロのFクラスの方でしたかしら?貴女も随分と物好きですのね」 その言葉には、隠そうともしない侮蔑と嘲りが含まれていた。彼女はエリアーナを一方的にライバル視しているらしく、そのエリアーナが格下の俺と一緒にいるのが、よほど気に入らないのだろう。
面倒なのが、一匹から二匹に増えた。 俺は心の中で悪態をつき、そっとこの場から離れようと腰を浮かせた。
だが、エリアーナはリリアナの挑発に乗るどころか、誇らしげに胸を張り、毅然と言い返した。 「貴女のような、物事の表層しか見ることのできない方には、カイ様の真の価値はわかるまい」 「……なんですって?」 リリアナの眉がぴくりと動く。
エリアーナは、俺の方を尊敬の眼差しでちらりと見ると、リリアナに向き直った。 「カイ様は、我々が一生をかけても到達できないほどの深淵を、ただ静かに見つめていらっしゃる御方。貴女が精霊魔術の天才と呼ばれているそうですが、その力も、カイ様の前では赤子の戯れに等しいでしょう」 「……なんですって!!」
今度は、リリアナの声に明確な怒気がこもった。 おい、やめろ。なんで俺をダシにして他人を煽るんだ。俺はただ昼寝がしたいだけなんだぞ。
リリアナの翠色の瞳が、初めて俺を真正面から捉えた。その視線は、獲物を定める猛禽のように鋭い。 「面白いことを言うわね、ブレイヴァー嬢。その魔力ゼロの男が、私より上だと?よろしい。ならば、証明して見せなさいな」
最悪だ。最悪の展開だ。 確実に、面倒な決闘騒ぎに発展する流れだ。
俺は、二人の視線が火花を散らす、その一瞬の隙を突いた。 もう弁当も安息もどうでもいい。ただ、この場から消え去りたい。俺は音もなく立ち上がると、学園の森の奥へと、全力で駆け出した。
「あっ、カイ様!お待ちください!」 「お待ちなさい!話はまだ終わっていませんわよ!」
二つの声が背後から追いかけてくる。 俺は振り返らず、ただひたすらに走った。俺が求めていたはずの平穏な日々は、もはや地平線の彼方にすら見えない。




