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第二十三話:勝利の美酒は面倒の味

ガルガン帝国に対する、あまりにも一方的な圧勝劇。 その衝撃は、闘技場を揺るがした大歓声が止んだ後も、まるで終わらない余韻のように王都全体を包み込んでいた。


新聞の号外が街を駆け巡り、酒場では吟遊詩人たちが、早くも『三女神の凱歌』なる英雄譚を歌い始める。剣の女神エリアーナ、森の女神リリアナ、慈愛の女神ミュー。彼女たちの名は、一夜にして大陸中に知れ渡った。


そして、人々の興味は、当然のように、その三女神が絶対の忠誠を誓う、謎の男へと向けられた。 特別顧問、カイ・レイジーロード。 試合中、ただ椅子に座って居眠りをしていただけにもかかわらず、その存在そのものが勝利の鍵であったと噂される、謎に満ちた指導者。彼のやる気のない振る舞いは、「常人には計り知れない境地に達した強者の余裕」として、様々な憶測と共に語られていた。


そんな世間の熱狂など、俺の知ったことではない。 俺は、試合が終わるやいなや、誰よりも早く宿舎の自室に戻り、最高のベッドで最高の昼寝の続きを満喫していた。俺にとって、あの試合は、ただの退屈な観戦であり、ようやく終わった面倒な公務でしかなかったのだから。


「カイ様!お目覚めでしたか!」 俺の安らかな眠りは、興奮冷めやらぬエリアーナの声によって、無慈悲に破られた。俺が目を開けると、そこには頬を紅潮させ、瞳をキラキラと輝かせた三人の少女たちが、俺のベッドを取り囲んでいた。


「カイ様のおかげです!貴方様が見守っていてくださったからこそ、私は、迷いなく剣を振るうことができました!」 「ええ。貴方が顧問席に座っているだけで、まるで世界そのものがわたくしたちに味方してくれているような、不思議な感覚でしたわ」 「し、師匠!私、師匠の教えを、ほんの少しだけ、体現できたでしょうか……?」 三者三様の言葉で、彼女たちは勝利の喜びと、俺への感謝を伝えてくる。その瞳には、もはや疑いの色など微塵もない。自分たちの力が開花し、勝利を収めたのは、全てが俺のおかげであると、心の底から信じきっていた。


俺は、眠い頭でぼんやりと彼女たちを見ながら、ただ「そうか」とだけ返した。 その素っ気ない返事すら、彼女たちの勘違いフィルターを通せば、「この程度の勝利で満足するな。先はまだ長いぞ」という、深遠な激励の言葉へと変換されるのだろう。


その日の夜、俺たちの勝利を祝うという名目で、国王陛下主催の小規模な晩餐会が、王城の一室で開かれることになった。 もちろん、俺は「疲れているから行かない」と固辞した。だが、やってきたブレイヴァー公爵に「陛下直々のご指名だ。断れば、国際問題になるぞ」と、全く笑えない冗談で脅され、結局、またしても窮屈な礼装に着替えさせられ、会場へと引きずられていく羽目になった。


晩餐会の席には、国王陛下やブレイヴァー公爵、そしてなぜか改心したはずのペンフィールド侯爵といった国内の重鎮たちに加え、ガルガン帝国のレオニダス王子や、魔術師連邦のエルシオンといった、各国の要人たちの顔も見えた。明らかに、ただの祝賀会ではない、政治的な駆け引きの場だ。


国王陛下は、上機嫌で俺たちの勝利を称えると、ワイングラスを片手に、俺の隣に腰を下ろした。 「見事であったぞ、カイ・レイジーロード君。君の指導力には、朕も感服した。あの三女神を育て上げた手腕、ぜひ我が国の騎士団の育成にも……」 「お断りします」 俺は、国王の言葉を遮って即答した。面倒事の予約など、ごめんこうむる。 陛下は、一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに愉快そうに笑い出した。 「はっはっは!そうか、そうであろうな!君ほどの男が、俗世の地位や名誉に興味などないか!ますます気に入ったぞ!」


どうやら、俺の無礼な態度は、彼の目には「俗世を超越した賢人の風格」とやらとして映ったらしい。面倒なことこの上ない。


そんな俺たちの会話を、少し離れた席から、エルシオンが分析するような目で観察していた。 彼の隣には、今日の試合で完全に自信を喪失したのか、借りてきた猫のようにおとなしくなっているレオニダス王子が座っている。彼は、俺と目が合うと、ビクリと肩を震わせ、慌ててジュースを飲んだ。どうやら、シロによる精神的外傷は、まだ癒えていないらしい。


やがて、晩餐会の本題が、ブレイヴァー公爵の口から切り出された。 「カイ君。今日の君たちの圧勝劇は、実に爽快であった。だが、同時に、我々は新たな懸念を抱いている」 公爵の表情が、引き締まる。 「君たちの力が、あまりにも規格外すぎる。その力は、良くも悪くも、大陸のパワーバランスを大きく揺るがしかねない。そして、その力を快く思わない者たちも、当然、現れるだろう」


彼は、声を潜めて続けた。 「『黄昏の蛇』の残党……。あるいは、それ以外の闇の勢力。彼らが、この対抗戦という華やかな舞台の裏で、何かを企んでいる可能性は、非常に高い。君たちの力が公になった今、彼らの標的は、間違いなく君たちに向かうだろう」


それは、警告だった。そして、俺に対する、さらなる協力要請でもあった。 俺は、テーブルに並べられたローストビーフを、ただ黙々と口に運びながら、その面倒な話を聞き流していた。


その時だった。 俺の胸ポケットに隠れていたシロが、かすかに、グルル……と喉を鳴らした。それは、普段の甘えた鳴き声とは違う、明らかな警戒音だった。 俺もまた、感じていた。 この王城の、どこか遠い場所から漂ってくる、微かで、しかし不快な魔力の不協和音。それは、まるで美しい音楽の中に紛れ込んだ、たった一つの不協和音のように、俺の鋭敏すぎる感覚だけが捉えることのできる、歪みの気配だった。


(……いるな。面倒なのが)


俺は、誰に言うでもなく、心の中で呟いた。 どうやら、公爵の懸念は、杞憂ではなかったらしい。


晩餐会が終わり、俺たちが宿舎への帰路についた、その夜道。 王都の賑わいも、今は静まり返っている。月明かりだけが、石畳をぼんやりと照らしていた。


俺は、ふと足を止め、闇に包まれた王城の尖塔を見上げた。 「……騒がしくなりそうだ」


俺がぽつりと漏らした独り言に、隣を歩いていたエリアーナが、即座に反応した。 「カイ様……!やはり、お気づきでしたか!」 彼女の顔は、勝利の喜びに浮かれていた先ほどまでとは違い、引き締まった戦士のそれに変わっていた。


リリアナも、リラックスした雰囲気を消し、扇子を構える。 「この対抗戦の裏に潜む、本当の敵の気配を……。さすがですわ、カイ。わたくしたちは、勝利に浮かれて、全く気づけませんでした」


ミューも、祈るように両手を胸の前で組んだ。 「師匠は、もう、次の戦いを見ていらっしゃるのですね……!」


違う。俺はただ、これから起こるであろう面倒事の予感に、うんざりしていただけだ。 だが、三人の少女たちは、俺のその呟きを、「次なる試練」の始まりを告げる、師からの神託として、深く、深く、その胸に刻み込んだようだった。


「カイ様、ご命令を。我々は、貴方様の剣となり、盾となります!」 「ええ。どんな闇が相手だろうと、貴方がいれば、わたくしたちに恐れるものはありませんわ!」 「師匠、私、もっと強くなります!師匠の、お役に立てるように!」


三人の瞳に、新たな闘志の炎が燃え盛る。 俺は、そんな彼女たちに背を向け、大きく、そして深いため息をついた。


俺はただ、静かに眠りたい。 その、たった一つのささやかな願いが、どうしてこうも、遠いのだろうか。 王都の夜空に浮かぶ月だけが、俺の尽きることのない憂鬱を、静かに見下ろしていた。

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