第二十話:王都への面倒な遠足
あの日、訓練場に三体の怪物が誕生した瞬間は、後に「三女神の覚醒」として学園の歴史に語り継がれることになる。 エリアーナが神技的な魔法剣でゴーレムを解体した、あの衝撃的な光景。それは、これから始まる伝説の、ほんの序章に過ぎなかった。
エリアーナの覚醒に触発されたリリアナとミューは、俺が放った(つもりのない)ヒントを、それぞれ完璧に己のものとしてみせた。
リリアナは、もはや魔術を「詠唱」しなかった。彼女は、まるで歌うように、楽しげに口ずさむ。すると、風の精霊が彼女の歌声に合わせて陽気に舞い、水の精霊が彼女のステップと共にきらきらと跳ねた。訓練用のゴーレムたちは、彼女が奏でる魔術のシンフォニーによって、攻撃するのも忘れ、まるで操り人形のように滑稽なダンスを踊り始め、最後には互いにぶつかり合って自壊していった。それは、もはや戦闘ではなく、芸術だった。
ミューは、もはや「治癒」だけを専門とする少女ではなかった。彼女は、枯れた植物に「おきなさい」と命じた、あの絶対的な意志の力を、あらゆるものに応用し始めた。呪いをかけられた武具に手をかざし、「清らかになりなさい」と命じれば、禍々しい瘴気は一瞬で霧散し、聖なる輝きを放つ武具へと生まれ変わる。味方の騎士役の生徒に「恐れてはいけません」と命じれば、その生徒はあらゆる恐怖心を克服し、バーサーカーのような猛進を見せる。それは、支援の域を超えた、一種の祝福、あるいは絶対的な『言霊』の力だった。
訓練場は、異様な空気に包まれた。 他の代表メンバーたちは、完全に戦意を喪失していた。特に、騎士科のエースであるアーサー・ペンフィールドは、顔面蒼白で壁際に立ち尽くし、「化け物だ……あいつらは、もう人間じゃない……」と、ぶつぶつと呟いている。
指導教官たちは、指導を放棄した。もはや、自分たちが口を挟めるレベルではない。彼らはただ、遠巻きに三人の少女たちと、そして、その全ての元凶であるにもかかわらず、隅の椅子で気持ちよさそうに寝息を立てている俺を、畏怖と困惑が入り混じった目で見つめるだけだった。
「全ては、カイ特別顧問のお導きの賜物だ……」 誰かが、そう呟いた。その言葉は、訓練場にいる全員の総意となっていた。俺がただ居眠りをしているだけで、三人の天才を神の領域へと引き上げた、伝説の指導者。それが、俺の新たな評価だった。面倒極まりない。
そんな地獄のような合同訓練が数週間続き、いよいよ学園対抗戦の開催地である王都への出発の日がやってきた。 学園は、代表選手たちを送り出す壮行会で、朝から祭り囃子のような賑わいを見せていた。俺は、人混みを避け、さっさと出発用の魔導馬車に乗り込もうとしたが、ブレイヴァー公爵と学園長に捕まった。
「カイ君、いよいよだな」 公爵は、満足げに頷いている。 「君の弟子たちの活躍、期待しているぞ。そして、君はただ、そこにいるだけでいい。君という存在が、我が国の何よりの抑止力となる」
一方で、学園長は、胃を押さえながら、疲れた顔で俺に釘を刺した。 「……カイ君。頼むから、事を荒立てるでないぞ……。君が少し動くだけで、星が一つ消し飛ぶかもしれんのだからな……。できるだけ、いや、絶対に、何もしないでくれたまえ……」
二人の期待が、見事に正反対だ。俺は、どちらの期待にも応える気はない。俺の願いは、ただ一つ。この面倒なイベントを、できるだけ省エネで乗り切り、早く寮のベッドに帰ることだけだ。
俺が乗り込むのは、当然のように、エリアーナたちと同じ、最も豪華な装飾が施された一等魔導馬車だった。アーサー君は、俺の姿を見るなり、顔を引きつらせて二等馬車へと逃げ込んでいった。賢明な判断だ。
広々とした馬車のコンパートメントには、ふかふかのソファが設置されている。俺は、真っ先に窓際の席を陣取り、寝る体勢に入った。 しかし、俺の安眠計画は、馬車が動き出すと同時に、無慈悲にも打ち砕かれた。
「カイ様!ご覧ください!あれが王都へと続く『太陽の街道』です!かつて初代国王が……」 「師匠!見てください、あの雲!なんだか、シロに似ていませんか?」 「カイ、王都に着いたら、まず一番に人気の菓子店『甘露の泉』へ行きましょう。あそこのミルフィーユは絶品ですのよ!」
三人の少女たちは、まるで初めての遠足にはしゃぐ子供のように、キラキラした目で窓の外を眺め、俺に代わる代わる話しかけてくる。その膝の上では、シロが満足げに喉を鳴らしていた。 うるさい。静かにしてくれ。寝させろ。 俺の心の叫びは、彼女たちの楽しげな会話のBGMにかき消されていった。
数時間の苦行のような移動の末、馬車はついに王都に到着した。 窓の外に広がる光景は、圧巻だった。どこまでも続く白い城壁、天を突くようにそびえ立つ王城の尖塔、活気に満ちた石畳の街並み。空気そのものが、田舎の学園都市とは違う、華やかさと熱気を帯びている。
街中は、学園対抗戦の開催を祝う旗や幟で彩られ、様々な国の言葉が飛び交っていた。屈強な体つきをした獣人の騎士団、神秘的なローブをまとった魔術師の一団、優雅な装いのエルフの使節団。これから始まる戦いのライバルとなるであろう、他国の選手団の姿も、あちこちに見受けられる。
俺たちが滞在するのは、王城に隣接する、各国の代表団のために用意された迎賓館だった。案内された部屋は、無駄に広く、天蓋付きのベッドまで用意されている。
部屋に荷物を置くと、エリアーナが、決意を新たにした顔で俺に向き直った。 「カイ様。いよいよですね。我々は、この王都で、カイ様からいただいた教えの全てをぶつけ、必ずや勝利を掴んでまいります」 「ええ。このリリアナ・シルヴァームーンの名において、他のどの国の雑魚にも、負けるつもりはありませんわ」 「し、師匠!私、頑張ります!」
三人の瞳は、闘志の炎で爛々と輝いていた。 俺は、そんな彼女たちを尻目に、天蓋付きのベッドの寝心地を確かめるために、ためらうことなくダイブした。ふかふかの羽根布団が、俺の疲れた体を優しく包み込む。
(ああ……最高だ……)
これから始まるであろう、国家間の威信を懸けた熾烈な戦い。 様々な強者たちの思惑が渦巻く、華やかで危険な舞台。 そして、その裏でうごめくかもしれない、『黄昏の蛇』のような闇の勢力。
そんな面倒事の数々など、俺の知ったことではない。 俺は、ただ、この最高のベッドで、最高の昼寝(あるいは夜寝)をするために、この王都へやってきたのだ。
俺の知らないところで、大陸の歴史が大きく動き出そうとしている、そのまさに中心で。 俺は、深く、心地よい眠りの中へと、意識を沈めていった。




