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第二話:弟子入り志願はお断りします

「…………は?」


俺の口から漏れた、自分でも驚くほど間の抜けた声が、静まり返った広場に妙に大きく響いた。


目の前では、入学式で注目の的だった公爵令嬢、エリアーナ・フォン・ブレイヴァーが、騎士の礼よろしく片膝をついて俺を見上げている。その蒼い瞳は、狂信的とすら言えるほどの熱を帯びていた。


「師匠!」


もう一度、はっきりと彼女はそう言った。 周囲の空気が凍りついているのが肌でわかる。何が起きているんだ、という全校生徒と教師たちの心の声が聞こえてくるようだ。無理もない。魔力測定ゼロ、学園始まって以来の落ちこぼれと認定された男が、新入生総代の天才令嬢から「師匠」と呼ばれているのだから。コメディだとしても三流の脚本だ。


「あのな、人違いだ。俺は師匠じゃないし、お前のことも知らん」


俺はできるだけ穏便に、そして全力で否定する。頼むから勘違いに気づいてくれ。これ以上、俺を目立たせるのはやめてくれ。俺の平穏な隠居生活がかかっているんだ。


だが、エリアーナは俺の否定の言葉に、むしろ感動したように瞳を輝かせた。


「なんと……!あれほどの御業を披露されながら、それを誇る素振りすら見せないとは……!その謙虚さ、そして世俗に興味を示されない在り方こそ、真の強者の証!ますます弟子入りを志願したくなりました!」


ダメだこいつ、話が通じない。 俺の否定は、彼女の中では「強者ゆえの謙遜」というポジティブな要素に変換されてしまうらしい。どうすればいい。頭を抱えたい衝動に駆られるが、そんなことをすればさらに注目を浴びるだけだ。


周囲のざわめきが、さざ波のように広がっていく。 「おい、見たか?あいつ、ブレイヴァー公爵令嬢に膝まずかれてるぞ」 「魔力ゼロのやつだよな?何かの間違いじゃないのか?」 「もしかして、あの暴走を止めたのは……?」


まずい。最悪の方向に憶測が進んでいる。俺が望む「空気のような存在」から、日に日に遠ざかっていく。


俺はもう一度、今度は少し強めに言った。 「いいか、よく聞け。俺はあんたの師匠じゃない。さっきのゴーレムが止まったのは、ただの偶然だ。魔力が暴走して、勝手に自壊しただけ。俺は何もしていない。分かったか?」


「偶然、ですか……」


エリアーナは俺の言葉を反芻するように呟き、ふっと天を仰いだ。そして、何かを悟ったかのように深く頷く。


「……そうなのですね。師匠は、ご自身の御業を『偶然』という言葉で片付けられる。それはつまり、師匠にとってあの程度の魔術制御は、呼吸をするのと同じくらい自然で、ことさらに語るようなことではない、と……!なるほど、私のような凡人には思いもよらない境地です!」


もう、どうにでもなれ。 俺は説得を諦めた。この令嬢の脳内には、俺を「師匠」として崇めるための都合の良いフィルターでもかかっているのだろう。何を言っても無駄だ。


騒ぎが大きくなる前に、とにかくこの場から逃げ出すしかない。 俺はエリアーナを無視して、群衆をかき分けるように歩き出した。


「あっ、師匠!お待ちください!」


当然のように彼女は後を追ってくる。しかも、俺の数歩後ろを、まるで従者のようにぴったりとついてくるではないか。おかげで俺がどこを歩いても、モーゼの十戒のように人垣が割れ、好奇の視線が集中砲火のように浴びせられる。胃が痛くなってきた。


「ついてくるな」 「はい、師匠!どこまでもお供します!」 「お供するなと言っている」 「これは弟子としての最初の試練なのですね!承知いたしました!」


駄目だ。本当に何を言っても通じない。 このままでは、教室どころか寮の自室までついてこられかねない。そうなれば、俺のプライベートな空間は完全に破壊される。


その時だった。 「ブレイヴァー嬢、一体どういうことかね!」 教官の一人が、ようやく事態に介入してきた。助け舟か、と思った俺の淡い期待は、すぐに打ち砕かれる。 「魔力ゼロの生徒に師事するなど、ブレイヴァー公爵家の名に傷がつきますぞ!目を覚ましなさい!」 教官は俺を侮蔑の目で一瞥してから、エリアーナを諭し始めた。


しかし、エリアーナは毅然とした態度で言い返した。 「先生。貴方には見えなかったのですか?この方こそが、我々全員の命の恩人です。貴方がた教官が束になっても止められなかったゴーレムを、この方は指先一つで砂に変えたのですよ」 「なっ……!そ、そんな馬鹿なことがあるものか!ただの偶然だと言っているだろう!」 「ええ、師匠はそうおっしゃいました。ですが、真実を見抜く目を持つ者には、それが謙遜であることくらい分かります」


エリアーナは、まるで出来の悪い生徒を見るような目で教官を見やった。公爵令嬢のその視線に射抜かれ、教官はぐっと言葉に詰まる。家柄というものは、こういう時に厄介な力を発揮する。


もはや、俺が何かを言う隙はなかった。 俺の知らないところで、「カイ・レイジーロード=正体を隠した超絶魔術師」という設定が、既成事実として固められつつある。


俺は、彼らの議論を尻目に、再び逃走を試みた。今度こそ、全力で。人混みに紛れ、建物の影を使い、気配を完全に消して、新入生に割り当てられた寮へと急いだ。これだけやれば、いくらなんでも撒けただろう。


割り当てられた一人部屋のドアを開け、ベッドに倒れ込む。 「……疲れた」 精神的な疲労感が、どっと押し寄せてくる。たかが入学式で、これほど消耗するとは。俺の人生設計は、開始わずか半日で破綻寸前だ。


これからどうするべきか。 このままでは、あの公爵令嬢は明日も「師匠!」と押しかけてくるに違いない。そうなれば、俺の周囲は常に騒がしくなり、平穏とは無縁の学園生活を送ることになる。


それだけは、絶対に避けなければならない。 何か手はないか。いっそ、学園を辞めてしまうか?いや、入学したばかりで退学すれば、それはそれで悪目立ちする。


考え込んでいると、コンコン、と控えめなドアのノック音がした。 まさか。いや、あり得ない。俺は気配を完全に消してここまで来たはずだ。


恐る恐るドアを開けると、そこには、息一つ乱していないエリアーナが、満面の笑みで立っていた。


「師匠。ようやく見つけました。お部屋までご案内いただき、ありがとうございます」 「……なんでここにいるんだ」 俺の声は、自分でも驚くほど低く、冷たいものになった。 「師匠の魔力の痕跡を辿ってまいりました。いえ、師匠は魔力を完全に隠蔽されておりますので、正確には『魔力が完全に無であるという不自然な痕跡』を、ですが。このような追跡術は初めてで、とても良い鍛錬になりました」


悪びれる様子もなく、彼女はとんでもないことを言った。 俺が完全に消したはずの気配を、その逆、つまり「無であること」を手がかりに追ってきただと?剣の天才と聞いていたが、その感知能力は魔術師のそれとしても異常なレベルだ。


面倒だ。本当に、心底、面倒くさい。 俺はドアを閉めようとした。しかし、エリアーナは当然のようにドアの隙間に足を差し込み、それを阻止する。


「師匠、どうか私を弟子にしてください。私は、ブレイヴァー家に生まれながら、剣の才能にしか恵まれませんでした。我が家に代々伝わる魔法剣を極めるには、どうしても高レベルの魔術の素養が必要なのです。どうか、私に貴方様の魔術の神髄を教えてください!」


彼女は、今度こそ本気で、その場に土下座でもしかねない勢いで頭を下げた。 その瞳は真剣そのもので、遊びや気まぐれで言っているわけではないことが伝わってくる。


俺は、深く、長いため息をついた。 もはや、何を言っても無駄なのだろう。この女は、俺が「はい」と言うまで、地の果てまでついてくるタイプだ。


「……分かった。ただし、条件がある」 俺がそう言うと、エリアーナはパッと顔を上げた。その表情は、まるで聖女のように輝いていた。 「本当ですか!?ありがとうございます、師匠!どんな条件でも飲みます!」 「まず、俺を師匠と呼ぶな。カイと呼べ」 「はい、カイ師匠!」 「……まあ、いい。次に、俺のことは誰にも言うな。俺がすごい魔術師だとか、そういう話は一切厳禁だ」 「承知いたしました。カイ師匠の御名は、私の胸の中だけに秘めておきます」 「……最後に、俺に過度な期待をするな。俺は何も教えんぞ。勝手に見て、勝手に学べ。質問も受け付けん」


これは、実質的な弟子入り拒否だ。普通なら、こんな条件を飲んでまで弟子になろうとは思わないだろう。


しかし、エリアーナは。


「はい!ありがとうございます!師匠の御身の周りのお世話をしながら、その一挙手一投足から極意を学ばせていただきます!」


満面の笑みで、そう答えたのだった。


こうして、俺の意思とは全く関係なく、俺の平穏な隠居生活計画は、一人の勘違い天才美少女によって、初日にして完全に打ち砕かれたのである。

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